法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『ぼくと魔女式アポカリプス』/『ぼくと魔女式アポカリプス2 - Cradle Elves Type』/『ぼくと魔女式アポカリプス3 - Nightmare Crimson Form』水瀬葉月著

魔術種によって蘇らされた人間達が強制される、酸鼻きわまるデスゲーム。蘇った者達は代替魔術師と呼ばれる存在となり、魔術種の力や姿を借り受けて戦わなければならない。魔術種の意図は、デスゲームの勝者が得られる力によって、それぞれの種族を復活させること。


2007年に3巻まで出版されたところでシリーズは中断中。戦う人間達が高い治癒能力を持っていたり、TVアニメが10月から放映予定されている同作者の『C3』*1へ繋がる要素がありそうだが、そちらは未読だ。
蘇った死者が魔法少女として戦いあう物語に、使い魔と逆転した立場という設定の組み合わせが面白い。『舞-HiME』『セキレイ』等に代表される少女をポケモンあつかいして戦わせる物語を、少女側が主人公となることで政治的に正しくしつつ*2、デスゲーム作品の欠点である動機設定の難しさを解消した。
今年初頭に話題をさらった『魔法少女まどか☆マギカ』の先駆的な作品と見ることも可能だろう。第3話から第9話までの内容を濃密に、流血度合いや知略を増して展開されると想像すれば、そう的外れではない。


本編も、デスゲームとして読めば、なかなか完成度は高い。代替魔術師の力を発現すると姿が変わる設定から推察されるように、姿形の誤認や正体探索が駆け引きの基本となるが、古典的トリックでもしっかり伏線や誤誘導をはりめぐらせて楽しませてくれる。一作目の時点で三作目までの伏線がしっかりはってあったことには驚かされた。
代替魔術師は生前の人格を持ち続けているので、魔術種がどのように指示してデスゲームに追い込むかも見所のひとつ。デスゲームの常として少なくない参加者が戦いを拒絶するわけだが、それを逆に敵の動機探しの物語へしたてる。
もちろんデスゲームらしいルールに対して、そのルールを破る選択肢も示唆される。一作目ではひとつのルールを破った結果が明らかにされ、シリーズをつらぬく主人公の目標を生み出す……シリーズが中断したため、主人公が目標を見すえた瞬間に終わってしまったのが悲しいが。


欠点は、主人公が偽悪的でいて倫理観がかなり高く、受動的にしか戦えないところ。敵や周囲のキャラクターは強烈な魅力もあるが、デスゲームなので次々に脱落してしまい、一冊を読み終えるごとに虚脱してしまう。群像劇的なデスゲーム小説としては悪くないが、キャラクター小説としては難ありと認めざるをえない。
主人公の変化した姿形も、ひとつの見所になりそうなのに、一作目ではデスゲームとしてのどんでん返しを優先してイラストでの描写を抑えているし、二作目以降にいたっては重要事項としてあつかわない。せいぜい見せ場となるのは三作目のイラスト一枚くらいか。
デスゲームの苛烈さがしっかり描写されているだけに、いかにもライトノベルらしい描写がサービスシーンとして機能していない。イラストは悪くないし、設定もライトノベルだからこそ可能だったとは思うが、シリーズが中断しているのは、うまく主要な客層とかみあわなかったためかもしれない。

*1:「3」の表記は3乗で、読みは「シーキューブ」。

*2:その種の物語が政治的に正しくないと批判するつもりはない。たいていの作品は、それなりに設定の下世話さを解消したり昇華するよう工夫していることが多い。