法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破 TV版』

TV放映版はEDクレジットなしで、結末から直接『Q』の新作予告映像へ繋がる。
映画としては、見せ場を順番通りに繋いだ構成が相当にいびつ。おそらくTV放映当時の多くが望んでいた展開なのだろうが、もともと当時のTV版に乗り切れていなかった観客としては、最後の盛り上がりにも熱くなりきられない。中盤の退場劇を少女一人に集約して結末の情動へ繋げたり、TV版で少年が担当していた全裸が見えないギャグを少女で再演したりの、再構成の手腕が興味深いと感じるだけだった。
たとえば第9使徒戦後の帰宅描写を削り、拘束された場所にいるままで父や上官との別離を描き、そこへたたみかけるように第10使徒が攻めてきた……という展開であれば感情の流れが分断されずクライマックスへ突入できて、主人公が退避場所に一人だけという御都合主義も減じたと思う。
新登場のキャラクターは、『破』から見た観客に対して冒頭で世界観を説明しつつ、TV版中盤を組み替えた結果として別キャラクターの身代わり的な立場になるため説明台詞の多さが耳に残る*1。ここまでストーリーに奉仕するキャラクターも珍しい。


戦闘の多くは、矢継ぎ早にくりだされるビックリドッキリメカと、カット割りの呼吸だけで緊張感や爽快感を演出している。それはそれで悪くないのだが、武器の意外な使用法やSF設定を活用した逆転劇はほとんど見当たらなかったところが残念。ドラマの余剰として整理されたTV版中盤の使徒撃退エピソードは、旧来のロボットアニメの延長であるため社会現象となって以降は省みられなくなっていったが*2、もっと評価されていいと今も思っている。
最強の敵を倒せた経緯は、最終的に初号機の暴走任せだったTV版と異なり、残酷さを拒絶する主人公の能動性へ組みかえられた。しかし、倒せた過程が物語上のブラックボックスへ隠されているままなところは同じ。もっと人事をつくして天命を待つ展開がほしかった。たとえば結末の戦闘で初号機が再起動できたのも2号機が這いずってきて自分のプラグを指していたから……といったトンチをきかせた戦いを見たかったかな。

*1:もともと説明的な台詞を魅力へ転化させた描写が多く、意外と内面も饒舌に吐露する作品ではあったが。

*2:アニメ雑誌月刊アニメージュ』で第9話が年間グランプリ2位に読者から選ばれたりと、放映当初は中盤も高評価されていた。http://animage.jp/old/gp/gp_1996.html