法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

日本「南京」学会という団体が何の注釈もなく記述されている件

朝日新聞の熊本地域情報において特集されている「軍都の風景」シリーズに、疑問符をつけたい記事があった。
中立的な報道を目指す朝日新聞の悪い面が出ているというべきか。双方の言い分を報じた内容自体は興味深いのだが。
http://mytown.asahi.com/kumamoto/news.php?k_id=44000001108170003

  師団の関与 なお論争

  古びた従軍手帳に、その一文は記されていた。

  約三百補領ス 全部殺ス

  書いたのは、陸軍第六師団の騎兵隊伍長だった牧野信人。日中戦争が始まって間もない1937年12月、国民党政府の首都だった南京攻略戦での記述だ。「捕虜300人を受け取り、全員殺した」と解釈できる。

  39年5月、牧野は30歳で戦死。遺品の手帳は、故郷の山本村(現・熊本市植木町)に送られた。今は長男の久仁博(78)が風呂敷に包んで仏壇に納めている。

  熊本市を本拠にしていた第六師団は南京戦で、堅牢な城門の攻撃を担った。当時、師団がいわゆる「南京事件」に関与したか否かをめぐる論争は、70年以上経てなお続いている。

  日記は3月に出版された論文集「第六師団と軍都熊本」に掲載された。編集した熊本近代史研究会の事務局長、広島正(62)は「日記は不都合な事実を隠す検閲をかいくぐった貴重な史料」と評価する。

  広島は論文集に「南京事件と第六師団」という稿を寄せている。日本軍は戦時国際法を無視し、捕虜として扱うべき中国人敗残兵を銃や刀で殺害。軍紀の緩みもひどく、略奪や放火、強姦(ごう・かん)などを繰り返した。第六師団もその例外ではない――。これが、旧日本兵の日記や中国側の史料をもとに広島らが描く実相だ。

  ■   □

  久仁博は昨年12月、近代史研究会とともに県庁で記者会見を開き、手帳を公開した。「父が私に残してくれた遺産。後世に伝える義務がある」。そんな思いを込めたはずだった。

  だが、直後からネット上で批判が渦巻いた。「嬉々(き・き)として国を売る」「手帳が本物である証拠は?」

  元防衛大学校教授で、県郷友会常任理事の中垣秀夫(66)は「軍事の常識に照らし、騎兵が捕虜を預かるはずがない」と、この記述に疑問を投げかける。日本「南京」学会理事でもある中垣によれば、中国軍は武器を隠し持つなど市民に紛れていたため、日本兵が身を守るために誤って市民を殺害した可能性は否定しない。が、民間人も含め約30万人が惨殺されたという中国側の主張については、「市民を狙った組織的な虐殺は一切ない」と反論する。

  県郷友会は、第六師団が南京事件に関与していないと訴える集会を毎年続けている。一昨年は「百人斬り競争」の罪で、戦後になって処刑された元少尉2人の遺族を招いた。会長の中村達雄(86)は「師団や熊本の名誉のためにやっている」と語気を強める。

  行為、被害者数、証言や史料の評価……。事件をめぐる肯定派、否定派の主張は対立したままだ。そして広島も、中垣も異口同音に言い切る。

  「すでに議論の決着はついている」と。(敬称略)

  南京事件南京大虐殺) 1937年12月、旧日本軍が南京で捕虜や市民の殺害、略奪に及んだとされる事件。中国側は、戦後の「南京軍事法廷」の判決などをもとに「犠牲者は30万人」と主張。日本の研究者の間では「約4万〜20万人」の説が多数だが、「虐殺はない」との意見も。外務省は「殺害や略奪は否定できないが、被害者数の認定は困難」との公式見解を出している。

この記事では軽く触れられているだけだが、日本「南京」学会理事という肩書きを何の注釈もなくつけくわええれば、誤解する人も少なくないだろう。この肩書きや「なお論争」という表現とあわせることで、末尾の説明にある「虐殺はない」という「意見」が、学術上で少数ながら存在するかのよう受け取られかねない。
日本「南京」学会は「学会」と称してはいるが、日本学術会議の協力団体ではなく*1、あくまで自称にすぎない。しかも名誉毀損裁判で敗訴し、ある判決文では「学問研究の成果というに値しないと言って過言ではない」とまで激しく批判された東中野修道会長がひきいている。権威がないことはもちろん、素人なりに真面目な研究を行おうと努力しているわけですらない。
かつて研究報告を一般向けに毎年出していたが、平成20年に「最終完結版」を出してから音沙汰がなかったが、このようなところで名称が利用される危険性が残っているとは。
南京「事件」研究の最前線平成二十年版[最終完結版]

六年の歳月を閲した日本「南京」学会年報。
所期の目的を達成し、本巻を以て最終完結版とする。
着実に成果を積み重ねて前に進み続けた「最前線」は、
南京「事件」研究上の揺るぎなき橋頭堡となり得たか、
読者諸賢の判断を仰ぎたい。その便に供するため、
全年報ならびに全会報の総目次一覧を巻末に附す。

論文を提出して査読に通ることを目指すのではなく、「読者諸賢の判断」と書くことで語るに落ちている。建前はともかく実態として、自身の主張を権威づけて広報したいがための「学会」と見て間違いない。
ちなみに、記事中にある熊本近代史研究会は、日本近代史・思想史を専攻している熊本大学の小松裕教授が会長をつとめている*2。比べて東中野会長は亜細亜大学において、政治思想史と日本思想史という研究分野から「日本軍南京占領の世界史的考察、吉田松陰全体主義政治」を研究課題とし*3、担当科目は思想史ばかりで*4、日本近現代史が専門とはいいがたい。少なくとも熊本近代史研究会は、ずっと学問的に信頼がおけそうだ。


具体的に記事で書かれている中垣氏の疑問も、いささか論拠が弱すぎる。「軍事の常識に照らし、騎兵が捕虜を預かるはずがない」というが、だからこそ受け取った捕虜を全員殺したという解釈ができる。
何より、「中国軍は武器を隠し持つなど市民に紛れていたため、日本兵が身を守るために誤って市民を殺害した可能性は否定しない」と主張しているのならば、中垣氏は軍事以前に頭が悪すぎる。たとえ「中国軍は武器を隠し持つなど市民に紛れていた」という仮定を受け入れるとしても、中国首都まで乗り込んでおきながら「身を守るため」とは厚顔にすぎる。命令された末端の兵士は横に置いても、中国市民を殺さないと身を守れない場所まで軍を進めた指導者の責任はまぬがれない。