法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『となり町戦争』

もしも現代日本の地方都市で、町と町が戦争を始めたら……という設定で描かれた小説の映画化。
実際に四国の地方都市でロケを行い、普通の映画ならセットを組むような場面でも小説に近い場所を探して撮影された。
http://homepage2.nifty.com/Film-Makers/tonarimachi/tonarimachi_sensou_locmap.html


<渡辺監督のコメント>
原作では暗渠と書かれていたシーン。簡単に言うが、なかなかそんな場所は無い。
予算があったらセットを組むところだが……
しかしよく見つかったものだ。愛媛フィルムコミッションに感謝。
流れている水は本物の生活排水。時間によって深さ流れが変わるので、
カメラに映らない所で堰き止めたりして画面がつながるようにした。

主要ロケ地の大洲市に旅行した経験があり、記憶の中の風景が戦場として現れるという個人的な楽しみもあった。


国同士でないと狭義の戦争とは呼ばれまいといった疑問は、劇中で国家内の戦争として内戦が言及されたりして、それなりに納得できる。なぜ日本国内の町で戦争が行われるのかという根本的な疑問も、作中で主人公などから疑問視される描写があり、現実の戦争も似たようなものだという諦観へいたる。
戦争映画らしい派手な描写は皆無に近い。低予算を逆手にとって、町がゴーストタウンと化すような、ハッタリの効いた場面もない。あくまで普段と変わらない日常と戦争が同時進行していく不条理さを描く物語だ。中盤からは敵町への潜入劇が始まり、終盤の戦争終結前の脱出行はそこそこ緊張感があったが、これらも日常をずらした風景にすぎず、戦闘も個人間にとどまる。


地方都市を舞台として、開戦から終戦後のわだかまりまで描いた寓話として、一応は楽しめた。いくつか戦争の不条理さを皮肉る表現としてうまいと感じる場面もあった。
しかし不条理なことを生真面目に演じるか、ブラックコメディとして滑稽に演じるか、どっちつかずな印象も強い。主人公達数名だけが真面目ぶった芝居をしているのは、狂った世界で生きていると解釈することはできる。しかしリアリティある芝居というには、あまりに心情や状況を台詞で長々と説明しすぎていて、動きのない映像とあいまって舞台劇を見ている感覚になった。
見せ場であるはずの「戦争説明会」も、エキストラが50人くらいでものさびしい。かけた手間に比して必要以上に映像が安っぽい。
もっと台詞を削って間延びをなくし、こぢんまりとした寓話として映像化するべきだったと思う。たとえば『世にも奇妙な物語』の一編として短編テレビドラマ化するくらいが、ちょうど良かった。