法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『もしドラ』雑多な感想

まず、著名人がドラッカー観を語る放送後コーナー『私とドラッカー』について。
最終回にaureliano氏が登場していたのだが、はてなダイアリーで注目をあびていた時から全く変わっていない芸風に驚愕した。
まずaureliano氏は『マネジメント』の一節から衝撃を受けた過去を語る。次に『マネジメント』の要点と考える箇所を長々と朗読する。

事実、うまくいっている組織には、必ず一人は、手をとって助けもせず、人づきあいもよくないボスがいる。この種のボスは、とっつきにくく気難しく、わがままなくせに、しばしば誰よりも多くの人を育てる。

このような素質を欠く者は、いかに愛想がよく、助けになり、人づきがいがよかろうと、またいかに有能であって聡明であろうと危険である。

なぜか、かつて自作SF小説が高評価されなかった後でaureliano氏が語ったSF史を思い出した。
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20080714/1216000325

よく知らないけど、SFの歴史っていうのは、それが名作であればあるほど初出時に「あんなのSFじゃない!」って叩かれるらしいね。それもガチガチのSFファンから。だけど結局、そうした作品がSFの可能性を押し広げてきた。

そして朗読した後のaureliano氏は、翻訳者によっても変化するだろう細部にすぎない表現をとりあげた。他のどのような表現でもなく「危険」と評したことに特別な意味を見いだそうとする。かつて『ゼロの使い魔』第1巻だけを読み、その内容からライトノベルというジャンル全体を語ったことを思い出した。
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20090517/1242546021

ここで例えば「才人は剣道部だった」などという設定が入り込もうものなら、運動をしたこともないような読者は、それだけでもう「才人は自分とは違う」と思い、そこで感情移入することをやめてしまって、それ以上読み進むことの興味も失う。だからライトノベルは、なるべくそういう取りこぼしをしないために、多くの読者が何の疎外感もなしに、なんの障壁もなしに読み進められるよう最大限の注意を払っているのだ。

それ以前にも、たいていのジャンルは少数の作品で全体を語ることができると主張し、多くの反論がよせられた。
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20080518/1211038930

そうして、ついには全くといっていいほど読まなくなった。たまに(一年に二、三冊)、気になった作品を読むくらいだった。しかしそれでも、マンガを語るには十分過ぎるほどだった。

ぼくは、いくつかのジャンルでこれと同じことをした。「テレビゲーム」「ハリウッド映画」「野球」「お笑い」「世界文学」でそれをやった。


面白いもので、結果はいつもマンガと一緒だった。そのほとんど全てを知りくしても、「知るべきだった」と感じさせられたのはほんの数点に過ぎなかった。またそれさえ知っておけば、そのジャンルの全てを語ることが可能だった。

たぶん「真摯」さが欠けているのは、aureliano氏自身なのだと思う。かつては演技だと思われていたこともあったが、どうやら素でこういう人物だったらしい。
しかしフィクションで活躍する限りにおいては、読者にまで物事を針小棒大に感じさせる技術は、素晴らしい技術だとも思う。


さてアニメ本編の感想だが、プロダクションIG制作とはいっても、『獣の奏者エリン』や『ルー=ガルー』と同じで、実質的にトランスアーツ作品。あまり映像には力を入れていない。あと、シリーズ構成の藤咲淳一*1も個人的には最も評価できない脚本家の1人。
野球部マネージャーの参考にと思ってビジネス本の『マネジメント』を間違って買ってしまうまではいい。ビジネス本からでも参考になる部分を得るまでも許そう。しかし、ビジネス本の用語をいいかえないままキャラクター達が真面目にしゃべるので、その違和感が下手なギャグアニメよりも笑えてしまう。つっこむキャラクターも登場しない。当の『マネジメント』で、専門家がわかりにくい専門用語を使う問題をいましめているらしいのに。


そもそも責任をとれる監督ですらないのに、親友の代役として入っただけの主人公が思い通りに野球部を動かす展開が、見ていて気分良くなかった。新入部員を面接して合否判定することを、他の運動部へ人材を送る立派なことと無邪気に描かれても困る。思えば、同じNHKでTVアニメ化された『ジャイアントキリング』は、新任監督がメンバー達と衝突する導入部で、他人を思い通りに操ることへの嫌悪を最初から物語に組み込んでいた。
もっとも、クライマックスにあたる第9話では、親友の死をうけて感情的になった主人公が自分の野球嫌いを吐露し、好き勝手にマネージャーをしてきたことを公言し、逃げ出す。他のキャラクターが主人公を批判しないままなので、取り巻く世界の書き割り感覚は変わりないが、この自覚的な描写は悪くなかった。第9話は原画に中嶋敦子黄瀬和哉が入っており、芝居作画にも見所があった。
どうせなら主人公の野球嫌いが毎回のように描写されていれば、もっと説得力が上がったかもしれない。たとえば野球が嫌いだからこそ、ビジネスにおきかえてマネージャー業をしていたとか描かれていれば。

*1:代表作はシリーズ構成だけでなく監督も担当したTVアニメ『BLOOD+』かな。