法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

過去のあやまちを直視できない政治家は、現代の友好をふみにじる

日独交流150周年にあたって提出された「日独友好決議」の採択において、提出に参加した自民党側では少なくない有力議員が退席した。
時事通信朝日新聞がそれぞれ伝えているが、かなり切り取り方が異なる。
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2011042200723

 22日の衆院本会議で採択された、日本とドイツの友好関係強化を目指す決議をめぐり、当初は賛成方針を示していた自民党内で本会議直前に異論が噴出、40人以上が反対や退席する異例の事態となった。決議の文言について党内調整を怠った執行部の不手際が原因とみられている。

この冒頭文で示されているように、時事通信自民党内部の混乱に注目して報じている。

 同決議については、民主、自民両党を中心に文言をまとめ、21日の衆院議院運営委員会理事会で22日の本会議採択を決定。第2次大戦に関し「(日独)両国が各国と戦争状態に入り、多大な迷惑を掛けるに至ったが、両国は戦争への反省に立ち、世界の平和と繁栄のため緊密に協力している」などと記した。
 ところが、この表現をめぐって本会議前の自民党代議士会は紛糾。高市早苗氏が「日本側の一方的言い分で、ドイツまで巻き込んで反省する決議はおかしい」と主張すると、下村博文氏は「ドイツに対しても日本の国会が断罪していいのか。絶対に賛成する内容でない」と強調した。
 自民党は決議の共同提出に加わったが、同党の石原伸晃幹事長は代議士会で「党議拘束が掛かっていないので、各自で判断いただきたい」と「自由行動」を容認。その結果、麻生太郎安倍晋三両元首相らは退席、森喜朗福田康夫両元首相らが反対した。退席者の一人は「きちんとプロセスを踏んでいないからこうなる」と執行部を批判した。
 決議採択に至る一連の動きを、シュタンツェル駐日独大使は本会議場の外交官傍聴席で見届けていた。(2011/04/22-19:54)

自党も提出にくわわった決議に対して、4人もの首相経験者*1が明確に反対の意を示す光景は珍しい。いくら党議拘束がかかってないとはいえ、あまり記憶にない。
そして反対の根拠だが、時事通信記事では、日本が過去の罪を悔いるため友好国を勝手に巻き添えにしていいのか、という批判が取り上げられている。これだけを読むと、自国のあやまちは直視しているように感じられるかもしれない。しかし後述の、日独友好決議が提出される前の産経新聞記事を知っていると、素直に受け取ることはできなかった。


実際、朝日記事では同じ下村議員の主張でも、日本とドイツが三国同盟締結前から別個に戦争を始めたという部分をとりあげている。逆に、森議員と福田議員が反対したことは伝えていない。
http://www.asahi.com/politics/update/0422/TKY201104220547.html

 日独交流150周年にあたって友好関係を深めるため、22日の衆院本会議に民主党自民党が提出した「日独友好決議」の採決で、自民党議員116人のうち安倍晋三麻生太郎両元首相ら約30人が直前に退席し、10人近くが座ったままで反対するという異例の事態となった。

 問題になったのは「(日独)両国は、第1次世界大戦で敵対したものの、先の大戦においては、1940年に日独伊三国同盟を結び、同盟国となった。その後、各国と戦争状態に入り、多大な迷惑をかけるに至り、両国も多くの犠牲を払った」という部分。

 本会議直前の自民党代議士会で(1)事前に党の部会などで議論がなかった(2)事実の誤認がある、と執行部批判が噴出。下村博文氏は「ドイツは1939年のポーランド侵攻から(戦争が)始まっている」と採決での全員退席を求めた。

確かに日本も、第二次世界大戦へ繋がる日中戦争を始めたのは三国同盟より早い1937年。日本軍の謀略で始まった満州事変をふくめるなら1931年から各国へ多大な迷惑をかけたといえる。
しかしながら、三国同盟の前身である日独防共協定は1936年、日独伊防共協定は1937年に結ばれた。三国同盟以前から日本とドイツとイタリアの結びつきがあったから、締結前に始まった第二次世界大戦で日独伊は枢軸国とされているのだ。
また、三国同盟締結後に戦争相手国を増やしていったことも事実だ。米国が第二次世界大戦へ軍事力をもって参加したのは1941年の日本による真珠湾攻撃を受けてからだし、それ以前に日本がABCD包囲網と呼んだ禁輸措置も日本の仏印進駐を受けた1941年だ。
確かに文言は修正の余地を感じないでもないが、下村議員の批判は反対のためにするものとしか思えない。

 石破茂政調会長が「党の手続きにのっとって私が賛成ということにした」と説明したが収まらず、石原伸晃幹事長は党議拘束を外すことを決定。この影響で本会議の開会が遅れ、菅首相を含む他党の議員は約15分間、本会議場で待機した。

時事通信記事の印象ではもともと党議拘束がかかっていなかったように読めたが、朝日記事を読む限りは石原幹事長が反対派におもねって党議拘束を外したことがわかる。
ただ他党を待たせたことについては、国会運営においてお互い様というところがあるので、個人的には批判しなくてもいいと思う。

 採決で反対した菅原一秀氏は「当時の状況があったとはいえ、『迷惑をかけた』では英霊が浮かばれない」。高市早苗氏も「交戦権や開戦権はすべての国家に認められた基本的な権利。自虐的国家観、歴史観だ」と反対理由を語った。

 採決で多数の退席者が出たことは、第2次世界大戦をめぐる自民党内の「歴史認識」に深い溝があることを印象づけた。

 決議は民主、公明両党や自民党の一部などの賛成多数で可決。共産、社民両党は「『侵略行為』という文言が削除された」などとして反対した。

菅原議員は「日韓議員連盟」「日中友好議員連盟」他、他国や他地域との友好関係を促進する多くの議員連盟に参加している*2。「当時の状況があったとはいえ、『迷惑をかけた』では英霊が浮かばれない」などという発言は最もつつしまなければならない立場だろう。公式ブログで当日の心情を語っているが、「必要以上に自虐的」という表現に違和感を持たざるをえない。
http://ameblo.jp/isshu-sugawara/entry-10870138455.html

昨日の日独友好決議の採決について、私は自身の判断で棄権することなく、反対をした。

この決議文のなかには、「日独伊三国同盟は・・その後、各国と戦争状態に入り、多大な迷惑をかけるに至り・・」とあり、この表現と歴史認識が違うことを理由に反対した。

党議拘束がかからなかったゆえに、議場を出て棄権することもなく、淡々と着席していた。

私は不戦の誓いを固く胸に刻む平和論者である。

二度と戦争を起こしてはならない。

しかし、今日、あの戦争を必要以上に自虐的にとらえ、「多大な迷惑をかけるに至り」と断罪した文言を載せたものを唯々諾々と賛成するわけにはいかない。

これでは、当時の状況下の英霊たちが浮かばれない。

また、もしあの戦争に勝利していたなら、史実は正当化されるのだろうか?

議論を深めたい。

高市議員も、朝日記事では印象が異なる。「交戦権や開戦権はすべての国家に認められた基本的な権利」という主張には困惑せざるをえない。第一次大戦後に日本をふくめた多数国がくわわった不戦条約を思い出せば、当時でも戦争をすることへの制約がかけられつつあった。実際に当時でも、ただの侵略戦争どころか完全な謀略で始まった満州事変で日本は各国から批判され、国際連盟脱退にいたったのだ。しかし今回を機に、基本的な権利は留保なく守るべきと高市議員が主張するなら、それはそれで良いことだと思わなくもない。


さて、朝日記事末尾の共産党社民党が退席した理由は記事内だけでも読み取れるが、先日の産経新聞による記事と読み比べればより明確になる。産経新聞の政治的な立ち位置を反映してか、結果として時事通信記事や朝日記事よりも自民党の駄目な一面をよく報じている。
記事が短いこともあって、決議を民主党だけが採択を目指していたかのように読めるところも、今回の決議報道記事と比べて興味深い。産経記事が正確に伝えなかったのか、修正前は実際に自民党全体が反対していたのか。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110331/stt11033101440001-n1.htm

 民主党が採択を目指していた日本とドイツの交流開始150周年の国会決議案の文言の一部が削除される見通しとなった。自民党関係者が30日明らかにした。

 原文では、先の大戦を「両国は、その侵略行為により、近隣諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えることになった」となっており、日本の行為をユダヤ人大量虐殺などナチス戦争犯罪と同一視していると受け止められかねないため、自民党が強く反発。「侵略行為」という表現を削除し、「両国は、近隣諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えることになった」に修正する方向だ。

国家に真の友人はいないという言葉もあるが、相手国を相対的におとしめようと画策しながら交流をはかろうとは、いささか厚顔にすぎる。もしこの産経記事が報じた時点で三国同盟への言及があれば恥知らずというしかない。
自民党側の物言いで「侵略行為」という文言が削られたわけだから、考えてみれば朝日記事の伝えた高市議員の主張は根本からおかしい。もし本会議での決議にも「侵略行為」という文言が残っていれば、「侵略権はすべての国家に認められた基本的な権利」などと主張できなかっただろう。自国のあやまちを明確に表記させなかった側が、過ちが明確に表記されていないことを理由にあやまちではないと言い張る醜悪さ。三国同盟と開戦時期がねじれた文言も、この自民党の画策によって修正の余地を生んでしまったようだ。
何より、文言が修正された過程を見れば、社民党共産党の反対はドイツとの友好を真に求めたものとわかる。相手国の過去を自国より相対的に悪いと主張しながら、どのような顔をして友好をうたえるといえるのか。
社民党の服部議員ブログでは、決議の経過を伝える詳細なエントリにおいて、採択前にドイツ大使館へ意図を説明しに行ったことも書かれている。
http://www.hattori-ryoichi.gr.jp/blog/2011/04/150.html

服部議員は衆議院での決議採択に先立つ21日、ドイツ大使館を訪れて大使に面会し、社民党がどのような立場で決議反対という道を選ぶのか説明しました。大使は文面が変えられたことに対して「とても残念なことです」とコメントし、社民党の立場に理解を示した上で「外務省からは決議をするという知らせはあったが、文面についてこのような説明はなかった。わざわざ知らせていただいてありがとうございます」との言葉をいただきました。

この面会に意味はあったと思いたい。


時事通信記事によると、このような決議をシュタンツェル駐日独大使は本会議場の外交官傍聴席で見届けていたわけである。もし私が本会議に参加している議員であったなら、恥ずかしさでいたたまれなくなっただろう。
日独友好決議でうたわれた「両国は戦争への反省に立ち、世界の平和と繁栄のため緊密に協力している」という文言は、生まれる全ての過程において、そして友好相手の眼前でふみにじられたのだ。

*1:首相の地盤をうけついだ政治家である、小渕優子議員や小泉進次郎議員も反対派に加わっていた。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110423-00000099-san-pol

*2:公式サイトのプロフィールページに記載がある。http://www.isshu.net/profile.html