法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

尖閣諸島衝突事件の映像を漏洩した元海上保安官が、「善良な市民」になっていた

問題の元海上保安官は、チャンネル桜社長とともにZAKZAK記事に載っていた。愛国ほど素敵な商売はないらしい。
そうしてチャンネル桜一行として支援に向かった東北被災地で「不気味なアジア人」に遭遇したという。
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20110420/dms1104201550016-n1.htm*1

 東日本大震災の被災地に今月初め、中国漁船衝突事件をめぐる映像流出事件で起訴猶予処分となった一色正春海上保安官が同志とともに緊急物資支援に出かけていたことが分かった。津波がすべてを破壊し尽くした被災地で、支援団一行は、得体の知れないアジア人に遭遇したという。

引用文でもないのに報道記事で「同志」という表現を使われると、何というか困る。

 一色氏は昨年11月、沖縄・尖閣沖での中国漁船衝突事件の真実を国民に知らせるため、衝突映像をインターネットに流出させた人物。

 直後に名乗り出て、国家公務員法守秘義務)の任意聴取を受ける。同年12月に海上保安庁依願退職し、今年1月に起訴猶予処分が決定。2月には告白手記「何かのために」(朝日新聞)を出版し、最近は講演活動も行っている。

YOUTUBEに投稿した4日から上司へ名乗り出た10日まで、時間としてはわずかかもしれないが、当時に騒動や流出者の追及が大きくなってから名乗り出たタイミングを記憶している者からすると、「直後に名乗り出て」とは呼べないと思う。

 物資支援団には、一色氏のほか、元警視庁捜査官でノンフィクション作家の坂東忠信氏や元仙台市長の梅原克彦氏、チャンネル桜の水島聡社長など約10人が参加。避難所に食料品や日用品を届けるため、トラック2台とワゴン車、乗用車の4台に分乗して、4月2日朝に被災地に向かった。

チャンネル桜も今度こそは被災地が支援を求めているか確認したのだろうか。
映像作品としてはOK、主人公の最低ぶりが完璧に表現されているという意味で - 法華狼の日記
坂東氏は「外国人犯罪の増加から分かること」という凄まじいタイトルのブログを公式に運営中の作家。
坂東忠信の日中憂考
梅原元市長は下記ブログによると、『正論』5月号へ寄稿していたらしい。私は目を通していないので論評はさける。
梅原克彦前仙台市長さんのお気持ちはよくわかります ( 地震 ) - まなぶくんのお部屋 - Yahoo!ブログ*2

『正論』5月号では梅原克彦仙台市長さんのコメントが出ていました。

自衛隊暴力装置発言の仙谷由人氏が官房副長官に!?
津波対策のスーパー堤防や防衛予算を仕分け対象にした蓮舫氏を節電啓発担当大臣に!?
阪神淡路大震災の時に、被災地で反戦ビラを配った辻元清美氏を災害ボランティア担当首相補佐官に!?

これらの現実を目の当たりにして絶望的な気分に陥っておられます。

少し調べてみると、中国人による土地買収を脅威と報じる産経記事で談話を寄せていた。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110116/crm11011621440016-n3.htm

 ただ、景観や治安の面から無警戒な進出を危惧する声もある。任期中の平成18年に仙台市内で進んでいた「中華街構想」を撤退させた当時の市長、梅原克彦氏は「地方の首長や議員の問題意識の欠如は深刻な問題だ。市民にとって本当に大切なのは街の安全や景観。目先の利益に目がくらんでいる」と警告する。


さて、上記のように外国人へいいしれぬ恐怖をいだく一行が岩手県に到着した時のこと。

 翌3日午前、津波で壊滅状態となった岩手県陸前高田市に到着。がれきの山の前で車を止めて、外に出たところ、支援団の1人が得体の知れない中年女性に会ったという。坂東氏は語る。

 「メンバーの1人が声をかけると、中年女性はたどたどしい日本語で『ココからココまで、ワタシの家だったのに、みんな壊れたよ!』と訴えたというのです。アジア人なのは間違いない。表情に悲壮感はなく、乗っていた車は多摩ナンバー。みんなで『怪しすぎる』と話しました」

おそらくアジア人であることは間違いないと思う。日本もアジアの一員なのだから。
実際、彼らの視点を通した報告だけ読んでも、日本人がとった行動として特に不思議ではない。女性は悲壮感を押し殺していたから「たどたどしい日本語」と聞こえたのかもしれないし、震災から3週間もすぎれば悲壮感を表出する気力を失っていたのかもしれない。自動車のナンバーが他県であることも何ら不思議ではない。
客観的に見て、怪しさは一行も大差ないだろう。そもそも出会ったのは一人だけで、他の者による「怪しすぎる」という判断は伝聞情報でしかない。

 一行が連想したのは、戦後の混乱期、一部のアジア人が持ち主がよく分からない土地を不法占拠したこと。大惨事の影で、土地収奪などを狙っている者がいるとすれば大問題。陸前高田市の避難所に支援物資を届けた後、この話をボランティアの地元男性にすると、「多摩ナンバーのアジア人などあり得ない」と驚いていた。

私は、関東大震災の後で自警団が、「十五円五十銭」*3と正確に発音できない通行人を朝鮮人と見なして暴行をくわえた歴史を連想した。
http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2003/j06/0306j0917-00001.htm*4

 「十五円五十銭」は全14連200行におよぶ、日本の詩としてはそれほど作品が多くない長詩である。詩の第8連までの前半の110余行は、震災の酸鼻な状況と兵隊、警察、消防団、自警団の殺気立った形相と暴虐をリアルにえぐり出し、後半ではそのリズムの真迫さをもって、つぎのような詩行を展開させている。

 (剣付鉄砲の兵隊が)突然、僕の隣にしゃがんでいる印伴天の男を指して怒鳴った/―十五円五十銭いってみろ!/指されたその男は/兵隊の訊問があまりに突飛なので/その意味がなかなかつかめず/しばらくの間、ぼんやりしていたが/やがて立派な日本語で答えた/―ジュウゴエンゴジッセン/―よし!/剣付鉄砲のたちさった後で/僕は隣りの男の顔を横目で見ながら/―ジュウゴエンゴジッセン/ジュウゴエンゴジッセン/と、何度もこころの中でくりかえしてみた/そしてその訊問の意味がようやくにのみこめた/ああ、若しその印伴天が朝鮮人だったら/そして「ジュウゴエンゴジッセン」を「チュウコエンコチッセン」と発音したならば/彼はその場からすぐ引き立てられていったであろう

 読者はここで、詩の題名の意味を戦慄をもって理解することになるはずである。話はつづけて、最終の第14連をもって、つぎのように結ばれている。

 君たちを殺したのは野次馬だというのか?/野次馬に竹槍を持たせ、鳶口を握らせ、日本刀をふるわせたのは誰であったか?/僕はそれを知っている/「ザブトン」という日本語を「サフトン」としか発言できなかったがために/勅語を詠まされて/それを詠めなかったがために/ただそれだけのために/無惨に殺された朝鮮の仲間たちよ/君たち自身の口で/君たち自身が生身にうけた残虐を語れぬならば/君たちに代って語る者に語らせよう/いまこそ/押しつけられた日本語の代りに/奪いかえした/親譲りの/純粋な朝鮮語

本当は日本人でも発音が少しでも下手に感じられれば、不逞朝鮮人と見なされた。そのため琉球出身者らも暴行され虐殺された。
ZAKZAKチャンネル桜は仮にも報道機関だ。野次馬を煽ってはならない責任がある。


その後も一行は怪しい人物と遭遇したというのだが、ますます思い込みの度合いを増しているようにしか見えない。

 その後、支援団は岩手県大船渡市と石巻市にある避難所を回ったが、途中、銀座を闊歩するような高級な服を着て、被災地にたたずむ老夫婦と会った。メンバーが「どちらからお越しですか?」と声をかけると、無視して立ち去ろうとする。重ねて聞き返すと、「カナガワ!」とだけ答えた。発音は明らかに日本人ではなかったという。

叫んだ一言だけで日本人ではないとわかるのか。たとえば被害にあった親族をいたむために神奈川県から来たとか考えられる。そもそも被災者は日本人だけではないのだから、外国人がいることに何の不思議もない。

 坂東氏は「ともに不自然なのは間違いない。国籍に関係なく、犯罪は許されない。被災者らが自警団が結成しているというが、新たな苦難を背負わせるのは忍びない。政府主導で対応してほしい」と話している。

前者は虚言をろうしていたと仮定しても、家があったと自己申告しているのだから照らし合わせて調査するのは容易だろう。あえて皮肉としていえば、現実に可能性を考慮すべきは外国人より日本人が詐称する場合だろう。
後者にいたっては、その場所にいただけで「犯罪」と呼ぶ思考こそが恐ろしい。もし外国人であったとして、ただたたずんでいた老夫婦に何の罪があるといえるだろうか。


芥川龍之介の文章を思い返して、しみじみ考える。私は「野蛮」でありたい。嘘を「嘘」と叫びたい。
君は「野蛮」か「善良な市民」か - 法華狼の日記
あるいは、名の知れぬ青年のように「この人なら知っています」と叫びたい。
「この人なら知っています。沖縄の人だ」 - fenestrae

*1:以下、特に引用元を示さない引用文はこの記事から引いたもの。

*2:引用時、文字強調を排した。

*3:他に「十三円五十銭」や「ガギグゲゴ」と呼ばせたり、教育勅語を暗誦させた例もあったらしい。

*4:引用内引用に引用枠を足した。