法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

自覚的な反原発教と、無自覚な原発狂信と

twitterで[twitter:@noiehoie]氏が反原発の立場から「闘争」をしかけていた。
反原発という宗教 - Togetter
批判する側がまとめたTogetterを見たが、noiehoie氏の相手は大別して2つの欺瞞をかかえている。そして欺瞞に無自覚なように見受けられる。ちょうど個人的に感じていたことと重なるので、指摘しておこう。



まずnoiehoie氏は「反左翼」「反岸信介体制」のような個人的で政治的な価値観にしたがって反原発の立場にあるかのようにふるまっている。つまり最初から科学的な思考のみで結論づけたわけではないことを明かしている。

最終的に政治的で価値観にしたがって立場を選ぶ態度が、このTogetterにおける「宗教」の意味だとしよう。
それでは、noiehoie氏の相手はどうなのだろうか。科学的な思考のみにしたがって立場を選んでいるといえるだろうか*1。もちろん違う。

[twitter:@tris_co]氏は「蓋然性/可能性問題に100%を期待する質問」ととらえ、[twitter:@obiekt_JP]氏は「答えられないし、答える必要も無いです」「可能性が飛躍的に高くなりました」と答えた。ちなみに両者とも、原発停止後の電力不足で必ず健康被害をおよぼすようなエアコン停止が起こると結論づける資料などは、少なくともTogetter上では示していない。
[twitter:@zakmustang]氏も、あくまで「蓋然性」だと指摘するnoiehoie氏に対して、どちらも「蓋然性」にすぎないことを話の流れで認めた。政策の選択についても「オレは張ります」と賭けであることを明かしている。

ここで、ちょうど私が先日のエントリでとりあげた、総合科学誌『Nature』の福島原発事故Q&Aと争点が重なってくる。回答側の環境学者や論説委員は事故が収束して結果が出てからでないと答えにくいと述べた上、政策は社会が決める問題だと指摘していた。
科学は原発も反原発も選択しない - 法華狼の日記
そう、科学的に合理性だけで考えても、社会政策における絶対的な結論を導くことはできない。不明瞭な領域が多い今後の原子力政策ならばなおさらだ。obiekt_JP氏もzakmustang氏も、最終的には科学以外の価値観も用いて結論を出している。つまり、このTogetterでいう「宗教」であることに変わりはない。
もちろん「宗教」で立場を選ぶこと自体は何ら悪ではない。しかし、自らもまた科学以外の価値観で結論を導いていることに無自覚では、欺瞞と評さざるをえない。科学的な知見で合意や共通理解を見いだせるだけでなく、価値観の争いであることも双方が自覚して、初めて議論が行える。

立場を堅持し続けるnoiehoie氏の意図がわからない人は、仮に「闘争」を「ディベート」とおきかえてほしい。厳密には違うのだが、あえて真意とは別に反原発という立場で論を進めてみていると解釈する。そうすれば少しわかりやすくなると思う。
あえて自らが選んだ立場を引き受け、ゆずらずに論を進め、相手に論破されることを待つ。これはディベートに似ているが、相対する側は本意を問う必要はない。本意であれ演技であれ真摯に立場を引き受けているかのようにふるまっていることは同じなのだから、相対する側も自らが立場を選んでいることに自覚的であれば良い。もちろん相手にしないことも自由だ。
しかしながら、自身もまた政治的であることを無自覚な相手へ明確に指摘せず、言質だけ引き出すようなnoiehoie氏の方法論は、誤っているとはいえないものの好みでもない。読んだ感想をプロレスにたとえてみると、ヒール宣言することで自動的に相手をベビーフェイスにさせ、これはブックだと相手が思い込んでいるところにシュートかけている反原発汚いなさすが反原発汚い。……私はプロレスをたしなまないし、なぜプロレスでたとえようと思ったのか自分でもわからない。ともあれ、noiehoie氏の相手にもねぎらいたい気持ちを少し持った。


さて次に、原発停止から死者が出るまでの過程に、いくつもの飛躍がある欺瞞の問題を話そう。Togetterでは主張が分散するため追いにくいかもしれないが、noiehoie氏のツイートに注目すれば一貫して指摘されていることがわかりやすいはずだ。

古くから「風が吹けば桶屋がもうかる」という言葉で表されるように、個々では高い確率でも次々にかけていけば最終的に低い確率となる。[twitter:@yunishio]氏が下記ツイートで端的に指摘している*2

エアコンが使われなければ熱中症が増えるという主張はnoiehoie氏もyunishio氏も前提と見なしている*3。しかし原発停止が電力不足に繋がるという説は、先に確認したように主張した者さえ「蓋然性」「可能性」と答えるにとどまった。
そして、電力不足がエアコン停止のような弱者切り捨てに繋がる社会自体の問題性は、問われ続けていたのに根本的な反論がなされなかった。

電力が不足しているなら、まずは生死にかかわるような者へ優先的に供給される社会を構築するべきだろう。原発維持主張者には前提のように扱われているが、本来ならば原発問題にからめるまでもなく問題視されるべきだ。
そして、電力の分配は現実にせまった喫緊の問題でもある。チェルノブイリ原発がそうであったように福島原発も危険な放射線を出している状態で再稼動されるかもしれなかったが、結局は東京電力側から廃炉計画が提出された*4計画停電は今後も続けられると予想され、夏までに充分な電力が確保できる保証はない。
それどころか強い余震は何度も続いており、先日には女川原発が一系統の外部電源だけで給電される状態になったりと予断を許さない。もちろん原子力に限らず火力発電所も、東日本大震災津波によって稼動できなくなった例があったし、他の発電機関も使用不能になる可能性はある。現在に予想されている電力すら夏季に確保できない可能性が充分に考えられる。
生命維持を優先した電力の分配を頭から否定することは、すなわち原発を停止するしないにかかわらず、予想されるより電力が不足した未来には切り捨てるという宣言に他ならない。原発問題を争点と考えることは自由だが、主張の前提に大きな社会問題を維持する発想が組み込まれてしまっている。


最大限に好意的に見れば、現在の計画以上に悲観的な可能性を考慮できないだけなのかもしれない。厳しい現実を見ているつもりで、現状が維持される楽観的な未来しか思い浮かばないのかもしれない。この現状が維持されるだろうという楽観視は、ちょうど日本の原子力政策に通じる問題ともいえよう。
だが本当は電力問題に限らず、少なくない経済弱者が社会から切り捨てられてきた現実がある。東日本大震災よりも過去から、ずっと続いている現実がある。
もし、自己の生活維持を他者の生死に優先したい本音があるならば、せめて欺瞞に満ちた態度はとらないでほしい。自己の生活を維持したい欲望の人質として、切り捨てようとした他者を人質として利用するにいたっては、無意識であっても醜悪にすぎる。

*1:なお、積極的な原発推進を自認せずとも、現状維持等でも一つの立場であることにかわりはない。

*2:続きのTogetterにはyunishio氏も入っているのだが、このツイートは載っていないので気づいていない人もいるだろう。http://togetter.com/li/122222

*3:エアコン以外にも生命維持に電力が必要な状況は考えうるので、ここで争うことに意味が薄いと判断しているのかもしれない。

*4:http://www.47news.jp/CN/201104/CN2011040801000383.html