で、残念ながらこの日本ではまだ「同性愛やアブノーマルな性意識は嫌悪していい」みたいな考え方は主流であり、しかもアニメ中でも「気持ち悪い」という言葉をそういう感じで使ってますから、それに引きずられて「あーこの嫌悪感は同性愛とか、アブノーマルな性意識に対するものなんだ」と、自分の感じた嫌悪感を解釈してしまうのではないかと、僕は推測しています。
つまり、もし放浪息子のキャラクターが全員極めてノーマルな異性愛者だったとしても、放浪息子的な描き方をすれば、それはきっと嫌悪感を呼ぶでしょう。
____ / \ / ─ ─\ / (●) (●) \ < ・・・この話題で、個人の性指向を「アブノーマル」と表現して、 | (__人__) | 異性愛(のさらに一部)をカッコでくくらずに「ノーマル」と表現するのはどうなのかお? / ∩ノ ⊃ / ( \ / _ノ | | .\ “ /__| | \ /___ /
amamako氏は一応、「アブノーマル」を嫌悪することへの肯定を批判している。しかし「アブノーマル」と記述した時点で異常という含意を持ってしまうことには注意すべき。たとえばカッコでくくって社会の偏見表現を批判するためあえて引いた、という文章形式にするべきではないか。
下記はてなブックマークや応答エントリ等でも明確な批判が見当たらなかったので、念のため指摘だけしておく。
はてなブックマーク - 『放浪息子』への嫌悪感の正体 - あままこのブログ
男色系男子: 「放浪息子への嫌悪感の正体」に対して
なお『放浪息子』自体については、少なくとも原作マンガにおいては、下記のような出来事への留意は描かれている、と注意しておく。
本当に問題で、今アニメに求められていることは、あそこで誰にもなんにも弄られもせず、そして誰とも友達にも恋人にもならず、独りでただ学校に行き、ぼっちで三年間を過ごすような、そういう奴のコンプレックスを何とかしてやることでしょう。
もっとも、そもそも見たい主題が描かれないことだけでは、制作者への要望はできても、批判の根拠にならないと思うが。