法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

禁断の同性(愛)アニメ

アニメーターによる参加作品解説として、西田亜沙子シムーン』論が興味深い。
アニメーター・西田亜沙子氏が語るシムーン百合論 - Togetter

エス的な関係というのは、未成年の間、社会に出たら卒業してしまうものとして多くは語られます。期限があるもの、いつか失われてしまう美しい時代、子供でいられる時間でのみ有効な感情だとされるわけです。 #simoun
simoun_nishida
2011-01-18 12:09:56

そういったモラトリアムを過ぎても同性同士の愛情をつらぬき、お互いに社会的役割をにないながら生活を始めたとたん、それはレズビアニズムと呼ばれてしまいます。この言葉は、なぜかポルノ的なものをを強く想起させるので、あまりいい言葉ではないと感じるのですが、 #simoun
simoun_nishida
2011-01-18 12:12:21

他の言葉に言い換えると分かりにくくなるので使います。この中には、プラトニックなものも含まれます。異性とのペアと同じだお思います。  #simoun
simoun_nishida
2011-01-18 12:13:54

で、百合、という言葉ですが、あくまでもプラトニックな関係であるところのエスと、確かに恋愛感情ではあるのに社会的存在にまではまだ移行していない関係、この真ん中の関係をいう時にあてがわれる場合がおおいとおもいます。 #simoun
simoun_nishida
2011-01-18 12:14:33

ただ、私が思うのは、百合という言葉は第三者的な視点が強いと思います。カミングアウトする時に、私達レズビアンなの、とかエスなんです、とは言っても私達百合です、とは言わないんじゃないか?という。 #simoun
simoun_nishida
2011-01-18 12:15:37

百合という言葉には、誰の手も届かない美しい水槽の中でついばみ合う綺麗ないきものを眺める、そんなエンターテイメントとしての言葉の色合いが強い。だからエスやレズ的な行為を眺めることのできるコンテンツをひっくるめて百合って言っちゃってる、私はそういう認識です。 #simoun
simoun_nishida
2011-01-18 12:16:05

この後、上記定義による「百合」や「エス」から、『シムーン』がどのように物語を進めていったのかが語られている。


シムーン』は少女同士がキスをかわすことで超常的な戦闘能力を持つファンタジーアニメで、少女同士の恋愛感情は作中で最初から当然視されている。しかし少女は性未分化な存在であり、性を選択させられることで成人する……そういう一見するとビジュアルだけ同性愛趣味を満たす異性愛思想に基づいた作品になりそうなところを、乗り越えていったと西田氏は語っている。
いったんフィクションならではの設定を構築した上で、物語の進展で意外な真相が明らかとなり、設定が生み出した倫理観が自壊していく展開は、『シムーン』の中盤で脚本担当から外れた會川昇*1の得意技でもある。作品の方向性自体の意向は相当に残っていたのかもしれない。


そして一つ気になったのが、『シムーン』では内面化されていないが、他の百合作品では見られる同性愛への禁忌性。

エスも、百合も、恋愛としては未成年の、一過性のものとして描かれます。時が来たら卒業するものであると。だからこそ許されるものであると。シムーンが面白いのはここからです。 #simoun
simoun_nishida
2011-01-19 04:01:11

少し前に『宇宙をかける少女*2を見ていて、主人公に対する「百合」的な告白を指して「禁断」と騒ぐ友人……ただし嫌悪しているというより禁断であるがゆえに喜んでいるかのような描写……があって、気にかかった。
それは世間知らずな主人公2人がディスコミュニケーションの結果、第三者から見て告白に見えただけなので、ことさら同性愛への嫌悪を当然視する描写ではない。しかし作中世界は人工知能で動くロボットが個人のパートナーとして普及しているような遠い未来であり、同性愛が「禁断」のままではSFらしい思考の飛躍といえず、せいぜい現代の装いを変えただけの寓話ではないか、と感じたのも事実だった。そしてその現代は現実に、「百合」を楽しむ者がスパイスとしての「禁断」を喜んでいる……


同性愛を表現すること自体を、「禁忌」もしくは禁忌を自明視した上で破ったことと見なすことの問題は、様々な批判が先行して存在するため*3、今回は多く語るつもりはない*4
しかし、遠い未来ならば、たとえば軍隊では男女の別なく仕切りもない大部屋で同時にシャワーをあびるような、合理化がされている描写があってこそ、表現としての意味があるのではないかと思ったりもする。政治的な正しさに配慮した結果というよりも、思考実験たるSFの要点として。
宇宙をかける少女』でいえば、初回に出てきた見合い写真が男性だけでなく老若男女とりまぜているとか、そういう異なる世界観で生きる人間らしさを見たい、などと思ったのだ。

*1:シムーン原作の一人。小山田風狂子名義。

*2:Mission 03「黄金のソウルシャウツ」が該当回。

*3:http://d.hatena.ne.jp/apesnotmonkeys/20090727/p1

*4:最近も、id:makaronisan氏によるTVアニメ『放浪少年』レビューが気にかかったが。「ブサイク」な異性装者への嫌悪を内面化してまでキャラクターに寄りそうレビューを全否定することは私には難しいが、せめて内面化していることへの自覚的な言及はほしかった。http://www.excite.co.jp/News/reviewmov/20110125/E1295880296276.html