法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『マイケル・コリンズ』

20世紀初頭、アイルランド独立闘争と条約締結後の内戦を駆け抜けたマイケル・コリンズを主人公とした劇映画。監督はニール・ジョーダン*1で1996年に公開され、ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受けた。
史実の複雑な人物関係を整理し、主人公の魅力を描きつつ歴史の葛藤も組み込む。限定的な独立達成を転換点として構図が変わる物語構成も素晴らしい。歴史映画としても戦争映画としても満足できる傑作だった。


序盤は少し入り込みにくい。独立闘争に身を投じた主人公達の背景が描かれないまま、イースター蜂起が敗北で終わる場面から映画が始まる。主人公達が独立闘争を行う心情や背景が描かれないので、アイルランド独立の歴史を多少は知っている者からしても感情移入しにくかった。アイルランド人が英国に抑圧されている描写を序盤でするべきだったのではないか、どうせならコリンズの若い時期から始めればいいのでは、などと見ながら感じていた。
また、中盤でコリンズが積極的に要人暗殺を行っていく場面には、相応の高揚感がありつつも、迷いのないテロリズムに違和感が生じないでもなかった。自動車爆破など、現代のテロ行為を想起させる場面まである*2
しかし、これらの疑問は物語が進むにつれて解消されていった。以下、描写の細部にふれていく。


この映画にはコリンズの対となる人物として、ともに独立闘争で戦いながらもたもとをわかったエイモン・デ・ヴァレラと、コリンズの親友でありキティ・キアナンをめぐる恋敵でもあったハリー・ボランドが選ばれている。2人と関係が変化していく過程や、対立する意見の内容から、コリンズの人物像が浮かび上がっていく。
親友だったボランドと別離していく展開はオーソドックスで、よく練られているが格別に目を引くところはない。やはり歴史映画として面白いのはデ・ヴァレラとの別離だろう。ボランドがコリンズと別れたのも、独立闘争中にデ・ヴァレラの部下として働き、結果としてキアナンと心身の距離が生まれ、内戦時にもデ・ヴァレラ派へついたことが背景にある。
デ・ヴァレラの肖像もコリンズに負けず劣らず興味深い。悩みを持ちつつ魅力的な快男児としてふるまうコリンズに比べて、時流を読む目がなく権力にしがみつくデ・ヴァレラは愚かだ。ゲリラ戦で戦うコリンズの方法論を嫌って米国にたよった外交手段が失敗すると、正規軍として英国軍と正面から戦争し、テロの比ではない被害を双方もたらす。イースター蜂起失敗を教訓として、コリンズは最も殺人の少ない闘争手段としてゲリラ戦術を選んだのだ。
からくもアイルランドが勝利し、英国との条約が結ばれると、その譲歩内容に反発したデ・ヴァレラ派は議会から分裂、激しい内戦を始める。コリンズは最後まで内戦を防ごうと主張したが、失敗に終わる。内戦は独立闘争よりも激しいとさえ感じられるものだった。譲歩を飲める側と飲めない側とで運動が分裂してしまう展開には、普遍的な光景と感じざるをえなかったわけだが、ここでついに武力闘争の急先鋒だったコリンズと、穏健な手段を選んでいたデ・ヴァレラの立場が逆転する。
内戦でも敗北したデ・ヴァレラは追いつめられ、コリンズの故郷近くに潜伏する。ここでコリンズは交渉作戦をかねて帰郷しながら、英国に抑圧された子供時代を少しばかり言及する。全ての戦いを終わらそうと動き始めているコリンズに語らせることで、この描写は抑圧の全てを普遍的に批判する意味を持つ。この批判の射程は、コリンズ自身の武装闘争をもとらえているといっていいかもしれない。もし冒頭で抑圧が語られていれば、コリンズの武装闘争を正当化するだけに終わっただろう。
そして口づてにボランドの死を知らされたデ・ヴァレラは興奮し、涙を流す。悔恨の姿だ。さらにコリンズが暗殺された後に再び映画の構図が反転する。この映画においてデ・ヴァレラは一貫して愚かに描かれた。主人公の対としては矮小すぎると感じるほどに。しかし、コリンズを賞賛しデ・ヴァレラを愚かと評する結びの言葉が、最後にデ・ヴァレラ自身によるものだと判明する。素直に読めば敵も最終的にコリンズをたたえたという結末なのだが、デ・ヴァレラが映画全体の語り部だったと読みたい。つまり映画で強調されたデ・ヴァレラの愚かしさ全体もまた、デ・ヴァレラ自身の悔恨と反省によるものではないだろうか。それは深読みだとしても、少なくとも時を経て一つの反省を述べたことは確かだ。この映画は最後にきて、矮小に転落していった人物にまで奥行きを描き出す。


もちろん劇映画なので誇張や省略も行われているが、基本的に史実を踏まえ、その上で素晴らしい物語として再構成されたと感じた。
映像面でも文句はない。残された写真と見比べても、モデルとなった歴史上人物の雰囲気をよくとらえた俳優が選ばれ、演技ももうしぶんない。20世紀初頭の風景もていねいに再現され*3、特撮でも粗は見えなかった。自転車に乗って暗殺が行われる姿には、滑稽さと背中合わせな詩情が感じられた。
アクション映画や戦争映画としての見所も多い。ゲリラ戦の作戦を練っていく描写は興味深いし、物量戦も短時間ながら描かれる。特に内戦で、ボランドが地下道を追いつめられていく長い閉塞描写や、攻撃している巨大建築物を背後にコリンズが渋い顔をして歩んでいく姿が印象的だった。

*1:幻想ホラー映画『狼の血族』しか見たことがなかったので、歴史映画を手がける印象はなかった。

*2:当時にそのような高性能な爆薬を貧弱な組織が用いることができたか違和感あったが、やはり調べてみると映画でつけくわえられたフィクションらしい。

*3:見慣れない風景なので、現代的な要素が映ってしまっていても気づかないという面もある。この点で外国映画は有利だ。