法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

焼夷弾が空中着火する謎

以前に紹介した片渕須直監督コラムは、次の回もオーラルヒストリーと史実との関連性をとりあげていた。ふたたび興味深い部分を引用させてもらう。
WEBアニメスタイル | β運動の岸辺で[片渕須直]第49回 誰だって、1ヶ所くらいは勝ちたい気持ちあるじゃん

 絵コンテで背景の場所があいまいになっていたところには、思いつく範囲で実在の場所を描きたかった。沼袋から見える中野方向は家がどれくらい焼けてるのだろうか、と戦災図をなめ回したりもした。ついつい、この辺では水が見えるといいだろうなあ、などと不忍の池のほとりだかを描いてしまったのだが、上がってきた背景では、池が土で埋まって稲が植えてあった。小林七郎さんの添え書きがあって、「不忍の池は戦時中は田んぼになっていました」とあった。やはり、当時のことを直接に知る方にはかなわない。

コラムでくわしく説明されているが、小林七郎氏は1932年生まれのベテラン美術監督だ。現在もTVアニメの美術監督として精力的に仕事をしている*1。太平洋戦争末期には10歳を超えており、記憶も信頼がおけるだろう。

 そんなことをやりつつも、根が演出家なもので、「ここ、ちょっとカット足してもいいですか?」「このカットとこのカット、こうつないで1カットにしてしまってもよいですか?」などと、監督の有原さんに意見具申してしまって、しまいには、芝居もコンテもだいぶ自分流にしたところが増えてしまった。戦災で犠牲になってゆく立場の人たちであっても、ただ一方的な犠牲者であるのもどうか、と思ったので、防空演習の場面では遠くの空に陸軍二四四戦隊(調布基地)の三式戦闘機の編隊を飛ばし、登場人物たちに手を振らせたりもしてしまった。三式戦の落下タンクは、ちゃんと黄緑七号色に近い感じに塗ってもらってるはず。

戦災被害者の視点で描かれた映画『うしろの正面だあれ』だからこそ、「愛国」的な描写が葛藤となる。異なる視点をくわえることで、より普遍的な戦争被害を描き出すことになる。それは同時に通りいっぺんな人物描写におちいらせない、物語作家としての誠実さともいえる。


さて、このように戦時中を再現する苦労体験を述べた後、片渕監督は映画『火垂るの墓』の描写へ疑問の目を向ける。

 こういうことをしていると、どうしても『火垂るの墓』の表現を思い浮かべざるを得ない。高畑さんは米軍のM69焼夷筒は空中着火して、ナパームに火がついた状態で降ってくるのだ、自分はその下を逃げたのだ、といっていたのだけど、自衛隊で聞いてきたらそうはならないといってましたと報告してしまった、わが大学の同級生にして『火垂るの墓』演出助手の須藤典彦はだいぶ叱られたみたいだった。だが、自分にも正直、着発信管のはずのM69がなぜ空中着火するのかよくわからず、そこは『うしろの正面』では曖昧にしてしまった。このへんのことは、あれからだいぶ経って、最近になってようやく「こういうことかな?」という感触を掴みつつある。空中着火はあると思う。

空中着火した焼夷弾の下を逃げたと1935年生まれの高畑勲監督が語ったことに対し、着地することで火の手を上げるはずのM69焼夷弾が空中着火することがわからず、自作では曖昧な描写にとどめたという話だ。ただし最近では高畑監督の体験談は正しいという感触をつかみつつあるという。しかし残念ながら、このコラムでは「感触」がいかなる内容か、その答えは現在まで書かれていない。
この疑問を読んで、しばらく私も消化不良に感じていたのだが、以前に私が片渕監督コラムを紹介したエントリのコメント欄で、名無しさん氏とmaru氏から示唆をいただいた。せっかくなので新しいエントリとして紹介させてもらう。
オーラルヒストリーを物語に定着するということ - 法華狼の日記*2

名無しさん 2010/10/14 10:29
焼夷弾が空中で発火し、火の雨となってふりそそいだ」という証言も多いですが、焼夷弾は高空から地面に落下した衝撃で発火する構造になっており、そうでなければ危険で飛行機に搭載できない、ともいいますね。「火垂るの墓」では着地して発火する描写を採用していましたが。

hokke-ookami 2010/10/14 23:16
はい、焼夷弾の描写も史実を考慮しようとすると意見が分かれますよね。
火垂るの墓』は空中で火がついて落下して、地面へ到達して爆発的に火の手を伸ばすという描写でした。これも、焼夷弾本来の原理とは少し異なります。
このことは実は片渕監督コラムの次記事で話題になっていました。

様々な兵器が現実において原理的にありえない挙動をすることがありますから、どのような証言も簡単に否定することは難しいものです。

maru 2010/10/14 23:28
M69の空中発火については、以下のように説明しているサイトがありました。『火垂るの墓』の描写と違和感のない説明に思えますがいかがでしょうか。

http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/syouidann.htm

本来、子爆弾の発火は、家屋や地面に激突した後であるが、米軍が日本の家屋攻撃のために開発したM69油脂焼夷弾(子爆弾)には、目標である木造家屋の瓦屋根等への貫通力を高めるため、姿勢を垂直に保つ目的で細長い布のリボンが取り付けられていた。上空700メーターで親爆弾から子爆弾を分離する際に使用した火薬でリボンが着火したことから、子爆弾は火の帯のようになり一斉に降り注ぐこととなった。
それはあたかも、火の雨が降るような様相を呈していた。

つまり、厳密には高畑監督のいう「ナパームに火がついた状態」でこそなくても、体験者がそう感じるような光景がありえたということになる。空中着火した状態で焼夷弾が落下し、地面に到達することで爆発的に燃焼する『火垂るの墓』は、映像として比較的に正確な体験描写だったわけだ。
コラムの前記事における片渕監督は、不可思議な戦災体験談に対し、「心理的なトリックが産み出したものなのかもしれなくて、いまだによくわからない」「オーラル・ヒストリーというものが陥りやすい罠なのかもしれず」と評しつつ、同時に「文書記録が正確に記録しがたい何かの反映であるのかもしれない」とも指摘した。『火垂るの墓』の焼夷弾描写が示すように、一見して疑わしい証言にも何らかの反映がされている可能性に注意を向ける必要があるということだ。

*1:押井守監督話からの関連で、私も簡単に紹介したことがある。http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20080821/1219362888

*2:引用時、「にに」を「に」へ修正し、引用内引用に引用枠を足した。