法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

オーラルヒストリーを物語に定着するということ

映画『マイマイ新子と千年の魔法』の片渕須直監督が「WEBアニメスタイル」のコラムで、かつて長編戦争アニメ映画『うしろの正面だあれ』*1の制作にたずさわった時の、興味深い葛藤を書いていた。
WEBアニメスタイル | β運動の岸辺で[片渕須直]第48回 見たことのあるあの山影、あのカタチ

 東京を襲うB‐29は富士山あたりを通って東に向かうので、その進路下に当たる沼津市にも当然、空襲警報が出る。香葉子は防空頭巾をかぶって避難のために香貫山へ登り、そこで東京の方向の空が赤く染まるのを見た、ということになっていた。なので、海軍住宅の背後にこじんまりとそびえ立つ香貫山も、このときの見物の対象になっていたのだった。

 実際に香貫山の山頂から東京方面の空が見えるのか、ということでは悩んだ。あいだにまともに箱根の山塊が立ちふさがっているのだから。
 似たような話では、戦争体験のあるベテラン・アニメーターにうかがった話として、「頭上をゆくB‐29に乗っている人が見えた」というものもあった。空襲に来た米軍機に乗っている人がよく見えた、という話は全国の空襲体験談のあちこちで見聞きする。中には、「女の人が操縦しているのが見えた」などというものまである。B‐29だって、最低でも高度数百メートルを飛んでいるはずだし、こういうのは心理的なトリックが産み出したものなのかもしれなくて、いまだによくわからないものがある。
 オーラル・ヒストリーというものが陥りやすい罠なのかもしれず、かといって文書記録が正確に記録しがたい何かの反映であるのかもしれないわけなので。
 結局、香貫山の山頂から見た東京の空は、絵コンテではただ茫洋と画面いっぱいベタに空が描かれていたのだったが、こちらのレイアウト修正で箱根のシルエットを描き足すなどしてしまった。この作品でレイアウトマンとして働く、というのは、こうしたなんだか抽象的でややもすれば絵空事になりかねない部分のあることを嗅ぎとって、最低限、自分がリアリティと思えるものを感じられる位置に導き直すことなのかもしれないと思った。

いかなる視点からの現実味を映像に求めるか、歴史的な実体験を基礎とした作品だけに、より難しい判断が求められたのだろう。
また、ベテラン・アニメーターの体験談には、思い当たるところがある。いや、その証言者が誰かという話ではない。空襲を描いた映像作品において、しばしば爆撃機が低空を飛んでいるかのように描かれている問題だ*2。現実通りの高度で描けば、登場人物の目線からは爆撃機の姿がはっきり見えないという演出上の判断は介在する、とこれまでは考えてきた。しかし、現実を無視したのではなく、体感を忠実に描こうとした可能性も考慮するべきだった。
爆撃機の姿は戦後の様々な情報で記憶が上書きされたと考えることもできる。しかし「女の人が操縦している」という違和感を生じそうな方向へ記憶が変容したのは、上書きだけでは説明がつかない。個人的には、UFO目撃証言の独特なあやふやさと通じるところがあると感じる。


続けて片渕監督は、紀元2600年式典用の仮設建築が現代に生き残っている姿を、アニメ作家ならではの観察力で気づいた逸話も語っている。
全体として、日常の観察と、様々な情報に懐疑の目を向けつつ即断はしない態度の大切さを感じさせるエッセイだった。

*1:海老名香葉子氏の実体験に基づき、太平洋戦争を描いた作品。

*2:同じ海老名香葉子原作の戦争アニメ映画『あした元気にな〜れ!〜半分のさつまいも〜』でも、爆撃機や空中でカバーを外す焼夷弾を3DCGで精密に描きながら、やはり爆撃機の姿が地上からも明確に見ることができた。