法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『ホロコーストを生きのびて〜シンドラーとユダヤ人 真実の物語〜』

このNHKで放映されたドキュメンタリーは、映画『シンドラーのリスト』から再現映像を引きつつも、ユダヤ人を救ったシンドラー個人を単純に賛美することが主題ではない。
ドキュメンタリーが描くのは、ユダヤ人が救われた背景には、ユダヤ人側や収容所側の思惑もあったこと。そして英雄的な行動で救われたはずのシンドラーユダヤ人が、戦後にたどり直面した苦難の道を描くこと。


シンドラーのリスト』でも描かれたプワシュフ収容所アーモン・ゲート所長は、前線に送られたくない意図で収容所を存続させようとし、シンドラーは実業家として工場の維持を目指し、ユダヤ人は生存のため工場で武器を作ることを提案した。
そして終戦により助かったはずのユダヤ人たちがポーランドに帰還した時、かつての住居は奪われていた。ある者は居住者に殺され、ある者は反ユダヤの暴動が起きていると忠告され、世界中から歓迎されると思っていた期待を打ち砕かれた。イスラエル在住のダビット・レイソン氏は現在、自身が戦争を生きのびたことが一体何だったのかわからないという。老いるにつれ痛みが大きくなり、離れない。パンへ執着し他人が床に落としたら拾いたくなるほどに。
ゆえに、安住の地を求めたという形でイスラエルの存在が示される。このドキュメンタリーはイスラエルで社会が再建される喜ばしい姿のみを映す。だが、イスラエル入植で起こされ、現在も起こされ続けているアラブ人への抑圧は厳然として存在する。
抑圧されていたポーランド人がユダヤ人を抑圧し、そのユダヤ人がアラブ人を抑圧し……その構図は皮肉にもシンドラーの工場がナチスドイツの武器を作っていた歴史まで繋がる。そう、加害と被害の関係性を民族や個人に単純化するような欲望は、否定しなければならない。


アーモン・ゲート所長は戦犯裁判で処刑されたが、屋敷でともに暮らしていた愛人ルース・イレーネ・カルダーと、終戦直前に産んだ娘のモニカ氏を残していた。
イレーネは1983年にイギリス・テムステレビのインタビューを受け、アウシュビッツとプワシュフが違うと主張し、アーモンが楽しんで殺したことを否認したが、その翌日に自殺した。歴史作家の保阪正康氏が証言を収拾した時の経験談と、重なる出来事だ。
そして残されたモニカ氏は、父の真実を知るためにユダヤ人ヤン・ロザンスキ氏と会った。ドキュメンタリーにはヤン氏もモニカ氏も登場し、その重みは映像を通してさえ言葉ではいいあらわせないと感じさせる。


また、戦後のシンドラーが失意の日々を送ったことは有名だろう。
公式ページで書かれているように、元ナチス党員であったため銀行の融資を充分に受けられなかったことも理由としてある。
http://www.nhk.or.jp/war-peace/summer/onair03.html

ナチス・ドイツ強制収容所から多数のユダヤ人の命を救ったシンドラーは戦後、アルゼンチンに渡る。その時ほとんど無一文。ユダヤ人を救うため私財を投じた為だった。アルゼンチンで、事業を起こすも失敗。その後、ドイツに帰国するが、「元ナチ党員」のため、銀行の融資も受けられず、事業は失敗した。

しかしドキュメンタリーでは上記のような説明はほとんどなく、主としてナチ派から敵視されていたことが指摘される。その最も衝撃的な逸話として、従業員に「汚いユダヤ野郎、おまえをガス室で殺すのを忘れたようだ」と呼ばれて鉄の棒で殴られ、警察に訴えてもとりあってもらえなかったことが示される。
境界を超えて人を救ったことで、どの立場からも敵視されてしまった戦後。シンドラーイスラエルに呼ばれたり、支援を受けたりするまでには、長い時を必要とした。


しかし、シンドラーに救われたイスラエル在住のメナヘム・ステルン氏は、シンドラーイスラエルに呼ばれた時期、ナチスに協力したユダヤ人に対する「魔女狩り」が始まっていたことを語る。その一例として、一面ではユダヤ人を救ったと呼べるシオニスト指導者ルドルフ・カストナーがナチスから金銭を受け取っていた疑惑をかけられていたことが紹介される。
つまりシンドラーも難しい立場にあったのだ。事実、実業家のシンドラーユダヤ人を助けた発端は金銭目的だったという観点は珍しくない。このドキュメンタリーでも、ユダヤ人側が身を守るためにシンドラーを援助して工場を作らせた経緯が描かれている。
そしてステルン氏は、救われたユダヤ人の過去もふりかえり、「私たちがイスラエルへたどりついた時にこんなことをよく問われた」「なぜ みんなで反乱をおこさなかったんだ?と」「つまり私たちもナチスの協力者だと言われた」と疑惑をかけられたことを証言した。
そう、下記のように加害を否認するため展開された愚劣な論理が、同じ被害者から向けられたのだ。
従軍慰安婦の歴史だけでなく、日本語も勉強するべき歴史修正主義者 - 法華狼の日記

・「強制連行」に対して家族の抵抗が発生しないのはおかしい
独立運動家が「強制連行」を問題にしないのはおかしい
・90年代初頭になるまで、「強制連行」が発覚しないのはおかしい

踏まれた足をどけようとすれば痛めつけられ、足がどけられるまで我慢すると踏んでいたことを否認される。その論理が正しいならば足を踏まれた者はどうすることもできない。
人を救い人が救われる形はそれぞれ異なっていいということは、せめて念頭に置かなければなるまい。


そしてドキュメンタリーの結末で、癌のため入院したダビット氏が、収容所がソ連軍に解放された時のことを語る。
収容所にはナチスに協力的なユダヤ人達がいて、「カポ」と呼ばれていた。その一人はナチスに協力して大勢のユダヤ人を殺していた。ドイツ軍が撤退した時、そのカポは睡眠薬で眠らされ置き去りにされていた。
どうするべきかダビット氏らはソ連兵にたずねた。ソ連兵は「こいつが殺していたように殺してしまえばいい」と答えた。言葉につまり、涙を浮かべながらダビット氏は語った。「そして私たちはそうした」と。「彼を殺したんだ」と。
時がたつにつれ大きくなる痛み。抑圧そのものを注意ぶかく、隠された奥底まで見つめなくてはならないということが、くり返し示される。