湯浅政明監督の映画『MIND GAME』は凄い作品だった。演出が鮮烈、作画は超絶、脚本も娯楽、声優に芸人、あらゆる方面にアピールできるフックを用意しながら、全体の誰得。今になって思うと、山と谷の構成が他の映画と全く異なるだけのことが、普通の娯楽映画と全く違う印象を観客に与えてしまったのかもしれない。
橋本カツヨ信者の憂鬱〜奇跡を信じて、想いは届くと〜 - まっつねのアニメとか作画とか
表現よりも感情
振り切っていくエネルギー
突き破ろうという意思
踏み込んでいく
あくまで『少女革命ウテナ』は各話演出*1。幾原邦彦監督が手綱を握ってくれる安心感があったから、『少女革命ウテナ』では自由に動けたのではないだろうか。
やはり純粋な細田守作品とは、後に監督として手がけた短編映画『劇場版デジモンアドベンチャー』だろう。むろんこちらも終盤に向かうにつれ内面へ踏み込んでいくわけだが、まず客観的な視線で話の山と谷を作りながら徐々に主人公を抑圧していき、終盤で主観にきりかえて*2解放するという、いかにも全体を客観視できる監督の構成だった。
その構成は長編映画『時をかける少女』でも踏襲されている。しかし前後して監督した映画『ONEPIECE オマツリ男爵と秘密の島』は身近な情念をこめたものの、映像にうまく反映されているとは感じられなかった。
最後の橋本カツヨは、出崎統というより山内重保だった - 法華狼の日記
しかし作品から情念を感じたのは、『デジモンハリケーン上陸』だった。『オマツリ男爵と秘密の島』はジブリから解任された実体験がこめられているはずなのだが、正直にいって薄く感じられた。
今になって思うと、反映されていないと感じた理由もわかる。情念をこめても、それだけで作品を満たしては結果として物語は平坦になる。五十嵐卓哉監督作品が、細田演出よりもカメラを寄って物語を映しながら、あまり全体として被写体との距離が変化せず、比較的に冷静な作りと感じさせるように。
映画『サマーウォーズ』も、場面ごとの山と谷は急傾斜でも、同じくらいの高さで延々とくり返されるため、全体を通してみると平坦に感じられる*3。ハッタリのメリハリだけで物語を進めるマンガ『BLEACH』が、いつ読んでも同じことをやっているようにしか感じられないように*4。こういう場面ごとに飽きさせないことを優先した構成は、TVドラマの延長で作られ「劇場版」と銘打たれる映画で珍しくなく、その意味では一般観客層にアピールするだろうか。
逆に、場面ごとの山と谷が異常に平坦*5な映画『河童のクゥと夏休み』は、全体を通して見れば相当な傾斜を描いている。結末の主人公は元通りのように見えるが、河童と出会って得た経験と様々な別れによって、確実に生活環境は変化し、社会を見る眼差しも変わっている。娯楽として興味を引きそうな要素が全くない*6作品だが、極めて映画らしい。
ここで唐突に『世紀末オカルト学院』に期待してエントリを終える。商業的な失敗が許されない立場になった細田監督作品よりも、期待できる何かがある。
高まったテンションをギャグで外す手法は細田監督が得意としたところ。細かい山と谷が連続する構成も、TVシリーズなら視聴者側が切りかえて楽しむことができる。
シリーズ構成の水上清資は高山文彦的な客観視をつきつめる巧さがあるし、『鉄腕バーディーDECODE02』の手腕を見れば冷えた場面を繋げながら奥底に踏み込んでいくこともできるだろう*7。伊藤智彦監督はマッドハウスにおいて細田監督の薫陶を受けた。そしてEDにクレジットされる名前。
*1:個人的には先に見た『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-』での仕事が印象深い。
*2:寄ったカメラで人物をあおるカットは、クライマックス以外にはほとんどない。芝居作画でも、生々しさを出すのは終盤にいたってということが多い。
*3:折り返し地点にあたる大祖母の谷だけ、例外的に少し長い。
*4:この作品ほどまでいけば、一種の美学すら感じさせる。ついでに、アニメでは作画演出の落差や、たびたび入るアニメオリジナル描写のため、結果的にか山と谷のリズムが出来ている。
*5:竜の扱いを予告から予想できた人がいるだろうか。
*6:演出や作画もさりげなさすぎて、わかりやすく目を引く場面は少なく、アニメオタクでも重症な層にしかアピールしないと思う。
*7:評判が良いらしい第6話はまだ見ていない。