法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

手塚治虫のアニメ・ダンピング

手塚治虫が趣味的に制作した短編アニメ『ジャンピング』*1とは関係ない。虫プロを立ち上げてアニメに手塚治虫が参入した時にダンピングを行い、以降の商業アニメが極めて安価な制作費で固定され、アニメーターが劣悪な環境に置かれる道筋を作ったという都市伝説の話だ。
現在では関係者などから否定する指摘が複数あり、手塚治虫個人を批判することに妥当性はないと見て良いようだ。


手塚治虫悪玉論批判は、私も下記エントリで主張したが、確固とした情報源が見つからず弱い主張にとどめた。
虫プロがアニメーターの劣悪環境を決定づけたという嘘 - 法華狼の日記
しかし先日『アニメージュオリジナル Vol.4』*2を読んでいると、虫プロのスタッフだった杉井ギサブロー監督のコラム『アトムが飛んだ日』において関係者の具体的な証言があったので引用する*3

佐倉 どうだったかな、確か日動から来たスタッフは短大扱いになったんです。それが手塚(治虫)先生のところへ来たときは、給料が倍になったから喜んだ(笑)。
杉井 僕も同じなの。初めて虫プロへ行ったとき、手塚先生から最初に「東映動画でいくらもらってましたか」って。あの当時、僕は東映で1万いくらかもらっていて……。
佐倉 1万3千800円じゃない?
杉井 確かそれくらいだった。で、そう答えたら「分かりました、その倍出しましょう」って(笑)。手塚先生は単純に、そのときもらってた倍がスタートなんです(笑)。

日動映画から東映動画をへて、虫プロへ入るまで上がり続けた給料について語っているのだが、かなり具体的な数字が出されている。古い時代の記憶であっても、相応に正確と見ていいだろう。確かに社員の待遇は良かったようだ。
しかしここで注目したいのが給料を上げる基準だ。単純な数字だけを見れば、日動で4500円をもらっていたという杉井監督は、まず東映で1万3800円に上がり、虫プロで2万7600円に上がったことになるだろう。しかし日動の数字は初任給であり、杉井監督自身もさほど感動を語っていないところを見ると、東映に移って突然に2倍以上も給料が上がったとは考えにくい。会社が移るだけで給料が2倍になると手塚治虫が提示したからこそ、強く記憶に残っているのではないだろうか。
こうなると過去に指摘されていた手塚治虫の「ダンピング」が、正反対の方向で再び浮かび上がってくる。手塚治虫が売れっ子漫画家としての資金力を背景に、優秀なアニメスタッフを引き抜いたこと、これもまた一種のダンピングといえるだろう。それも手塚治虫自身がアニメを「愛人」と表現するほど、採算度外視で作品を制作していた節もあるのだから、その強引さは資本主義のそれを超えていた面もあったのではないだろうか。
これでは他のアニメ関係者から反発が起き、虫プロの制作体制が批判されたのも、ある意味では自然だったように思えてくる。マンガの神様が興味本位にアニメの世界を荒らして去っていく幻が見えるようだ。……もちろん、他のアニメ会社が薄給であったことも正しいとはいいがたいし、虫プロが社員の福利厚生に配慮していたことも確かなようではあるのだが。

*1:背景動画を用いた主観映像だけで6分間以上も様々な場面を映していく実験的アニメ。海外をふくむ各種賞を受賞している。しかし個人的な感想としては、手法と寓話の面白味を感じるだけで、アニメ史に特筆できるほど良い作品とは思わない。制作された1984年には映画『風の谷のナウシカ』『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』等も作られていた。作家性の強い作品から演出や作画の技術に特化した作品まで、商業長編作品で同時期に作られたことを鑑みると、歴史的な評価を与えることこそ難しいのではないだろうか。

*2:映画『サマーウォーズ』を特集しているので、8月6日金曜ロードショーでのTV放映に合わせてくわしく紹介したい。

*3:96頁。対談相手は、撮影チーフとトレーサーであった佐倉紀行と佐倉允子の夫妻。日動時代の初任給も5500円と4500円だったと佐倉杉井両氏ともに具体的な数字を出している。