法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『ドラえもん』しずかちゃんとおじいの木

誕生日SPのアニメオリジナルストーリー。鈴木まりあ作画監督だが、総作画監督修正がかなり入っているかもしれない。キャラクター作画がよく整っているところと、作画枚数多めでなめらかな動きをしているところが印象に残った。
映像的には巨木が夜の街を徘徊するビジュアルの奇想ぶりがなかなか面白い。失われそうな生物を子供達が助けようとして移動させている状況もあいまって、『電脳コイル』の「最後の首長竜」を思い出す。
『電脳コイル』第13話 最後の首長竜 - 法華狼の日記

居場所探しなど、短編漫画時の『のび太の恐竜』に対するオマージュも感じる。

当時は『電脳コイル』に『ドラえもん』の影響を見いだしていたのだが、もし一周して返ってきたと妄想すると、なお面白い。


脚本は『地球少女アルジュナ』『どらえもん のび太と緑の巨人伝』の大野木寛が担当。裏山の木が切られるの切らせないのという地球環境がらみの物語を見せる。
古くからの『ドラえもん』好きとしては、「おじいの木」という新設定が、いきなり多くの人間が知って愛している存在として提示されることに違和感がある。もちろん、一話完結性の高い原作も似たような新設定登場は多い。しかし、感情移入できるような逸話を描写しないまま、愛されて当然の木として提示されても、見ている側としては乗りにくい。子供で知っているのはしずかちゃん一人だけという設定でも良かったと思うのだが。あるいは、後半の模型飛行機を返す描写を考慮して、しずか父の子供時代を冒頭で描いて伏線としても良かったと思う。
また、木を切る側の理由が提示されないまま物語が展開する前半に違和感はあったが、こちらはしずかちゃん一人が暴走する描写として回収されるので問題ない。啓発運動で大人達の協力をえるという方法論を提示しつつ、枯れて危険だから木を切るという理由の妥当性で協力が失敗に終わる流れまできちんと描き、子供達だけで解決しなければならないという後半へ繋がる。ここでの、しずかちゃんの木に対する愛着が、実は子供時代に木を傷つけたことが枯れさせる原因になったのかもしれないという罪悪感から出ていた真相開示も良かった。
そして秘密道具で巨木を動かすという奇想に繋がるわけだが、街を動きまわりつつも巨木は安全な場所へ移ることを拒絶する。地球環境への思い入れや、他の生物に対する擬人化の危険性……たとえば一部の捕鯨反対運動などとも繋がる問題を、『ドラえもん』ならではの方法で率直に描いたといえる。文字通り次世代の芽を見せつつ*1、しずかちゃんの「誕生日」と重ねる結末も美しい。

*1:ただし、次世代の芽を息吹かせるため、下に影を作る自分が切られることを受け入れるという、木が主張した論理は人間に当てはめると危険ではあるので、留意する描写もほしかったかな。