法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

「まおゆう」の啓蒙話法は、確かに問題をふくんでいるかもしれない

絶賛評ばかり目にしていたので、冒頭から入り込みにくいという評が複数あることに対しては、ようやく当を得た気持ちがある。
魔王×勇者は第二の「嫌韓流」か - Togetter

このサイト2001年だから嫌韓流どころか小泉訪朝よりも早いんだ。植民地主義肯定と歴史修正と近隣国差別の欲望を「軍服姿の知性」が慰めてくれる最悪なサイトなんだけど、ここが果たした役割大きいと思う→http://maa999999.hp.infoseek.co.jp/
choco_romance
2010-05-17 11:29:42

「まおゆう」と対置する場合における「世界史コンテンツ」の問題は*1、一方のキャラクターが持つ超越性への無自覚さ*2にある。ただし「まおゆう」が「世界史コンテンツ」から影響を受けたというより、やはりインターネットという媒体の特性によって、同じような文体が好まれた結果として似通ったという要素が強いと思う。
そもそもアマチュア小説においても、一対一で会話が進行する形式自体が安易とされている。その会話が一方通行気味であればなおさらだ。しかし、地の文に厚みを持たせた小説を読むには時間がかかり、モニターで読むWEB小説においては忌避されがちでもある。安易とされても読まれやすい文体を選ぶことは、娯楽作品として間違った選択だとは思えない。


さて、「まおゆう」序盤における魔王の超越的なふるまいが、対立を単純化して間口を広げる手法というならば、その時点で問題を見いだすことにも一定の妥当性はあると思う。超越的なふるまいへの問題視があまり意識されていないからこそ、間口を広げることに繋がっているだろうからだ。

この手のサイトについて、内容面でのデタラメを指摘することも重要だろうし、そういう情報も並んでた方がいいとかいう考え方もあるだろうけど、そもそもこの口ぶりに「共感できる自分」を見出したなら、それはもうサイトの記述が「たとえ全て真実だとしても」裁かれなければいけない。
choco_romance
2010-05-17 11:35:52

この「裁かれなければいけない」という主張が作品の全否定と同一でないならば、愛読者こそが耳をかたむけるべき意見ではないだろうか。
ただし上記意見は、前後してid:hokusyu氏も指摘しているが、普遍的な問題でもあるし、「まおゆう」全体を論じられる観点でもない。

もちろん今までのtweetもかなり上から目線で語られているのであって、まおゆうにもにょる人たちはそれを鏡として、たとえば不毛にもまおゆうのクリック統計学的な稚拙さなどに反論していくよりも先に、自分の中のまおゆうをどんどん裁いていかなければいけないのではないか。
hokusyu82
2010-05-17 02:28:13

この超越性への疑義は、自らへも突き刺さんとするがために全力で投げるべきブーメランと呼んでもいい。


また、最初から問題を自覚している表現のみ反芻するだけならば、そもそも表現によって心を動かされることも、別の観点に気づかされることもない。問題視するためにこそ、物事を単純化して超越性を導入する手法を導入に用いるべき、という論理も成り立つ。
せめて序盤に問題視したい描写があっても、少なくとも後の描写で覆されることは想定して読み進めるべきだろう*3
以前にもネットの一部で、『プラネテス』のロックスミスという超越性を持ったキャラクターをめぐる論争があった。それに関して超越性の到達不可能性と、それを自覚しつつ物語に着地させる技法について、簡単に書いたことがある。
『プラネテス』問題〜名探偵ロックスミスは死者を代弁する〜 - 法華狼の日記
本格ミステリも好む私にとって、「まおゆう」で指摘されている問題は、「名探偵」が持たされている超越性をいかにして着地させるかという問題と通じていると感じる。


21世紀になっても、物語は啓蒙主義という便利な道具をなかなか手放せないでいる。
だからこそ物語の流れにおいて、どれだけ作者が啓蒙者の超越性を自覚的に扱おうとしているか、あるいは読者がどれほど超越性を念頭において読み進めることになるか、といったところを私はくみとっていきたい。特に、「まおゆう」は書き進めながら成長していった作品でもあるのだから。

*1:「世界史コンテンツ」単独で評価するなら、「ネタ」を自称しつつも現実の歴史や時事問題を評して個人を攻撃し、しかもその理路が誤っていることが多いことに大きな問題がある。

*2:もちろん、自覚してプロパガンダに用いている者もいるだろう。ここでいう無自覚さとは、作中キャラクターが啓蒙者の超越性を疑わないこと。

*3:念のため、問題視されるべき描写が覆されなければ即座に悪い作品というわけでもないと思う。逆に、後に問題視する描写ということを示す伏線の有無など、序盤の時点で語れる要素もあるだろう。