両親を笑顔で見送り続けた主人公の日々を同ポジションのカットで積み重ねて、ツバメの子育てを見て感情が決壊するまでを、言葉にたよらず描く。
演出は少し前に『ONEPIECE』のシリーズディレクターだった境宗久で、これまでのプリキュアシリーズでは見当たらない構図、カット繋ぎが多い。巨体のデザトリアンが巨大な送電塔によじのぼることで、小さく閉じこもった心情をあらわす。アクションシーンで主人公が決意してそのまま必殺技をはなつのではなく、格闘戦をはさみこんで、逆転するまでの経過を描写するのもひさしぶり。アクション前後の夕焼けを、撮影効果ではなく美術や色指定で表現していることも珍しい。
作画監督も若手に近い小島彰が、第2話に続いて登板。馬越修正が少なくなっているためか肉感や骨格を感じさせないが、下手というわけでもない。目を引いたところとしては、第2話でも印象に残った*1、飛び散る破片を黒いシルエットで処理する作画が見られた。原画の個性かもしれないので、今のところは保留。
今シリーズの基本的な展開は、ゲストキャラクター*2がデザトリアン化することで鬱屈した心情が暴走し*3、その暴走だけをプリキュアが癒して収め、鬱屈は人間同士の力で解決を目指すという流れだ。
成田良美が脚本を担当した今回は、主人公の花咲つぼみと家族、そしてかつて家族に世話をしてもらった後輩の鬱屈がからみあう。花咲家の鬱屈はいったん収まり*4、結果として望みをかなえてもらえなかった後輩がデザトリアン化する。隠していた心情を知ったことで、主人公は過去の自分に重なる孤独を知り、全てが解決したわけではないことに気づく……
デザトリアン化しないままプリキュアとなった主人公を掘り下げるため、立ち位置が重なるゲストキャラクターを通してドラマを描く。単に相似形として扱うだけでなく、主人公の幸福とゲストの幸福が衝突する葛藤を描いた上で、問題を解きほぐしながら現実に着地する脚本構成が素晴らしい。「子供」の考えを眼前で切り捨てながら本人こそが最も「大人」になりたくなかった後輩の痛々しさも、よく出ていた。