法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』第12話 蒼穹ニ響ケ

最終回だけ簡単に感想を書いておく。
アメージンググレースで戦闘停止したことへの批判意見を多く見かけたが、制作側としては一瞬だけ戦闘停止したという描写にしたかったのではないかな、と思った。
つまり……戦闘停止を指示するラッパを無視して戦端を開こうとした時、場違いな音楽が始まって一瞬だけ止まってしまうという虚構ならではの出来事。しかし音楽がやんだ途端、無常にも戦闘行動が再開されようとする。主人公の音楽は全くの無駄だったのか。いや、そうではない、戦闘停止を命じる詔勅が届くまでの一瞬の時を稼いだのだ……と見せたかったのかもしれない。
実際そういう“間”を見せていれば、残酷に現実を見出す視聴者にも受け入れやすかったのではないだろうか。あるいはアメージンググレースが流れて兵隊が手を止めている最中に詔勅が届くという見せ方をすれば良かったのかもしれない。無駄かもしれないという葛藤か、音楽の勢いで物語を進めるか、どっちつかずなのが批判を招いた最も大きな原因だと思う。


あと、戦闘停止を現場の判断でさえぎって、むしろ積極的に戦争を始めようとする高級軍人は、旧日本軍の印象が現代まで生き残っているのだろうな、と思った。
実際、物語中の軍隊が文民統制下にあると明確に示す描写はない。むしろ王や皇帝が実権を握っているような社会制度なのだから、日中戦争の寓話化ととらえれば現実味がありすぎて困るほど。そういえば、シリーズ構成の吉野弘幸は、社会科教師から脚本家になったという経歴の持ち主だ。
少なくとも、作中の軍隊像が必ずしも軍隊の典型とはいえないが、それと同時に、現場の独断は軍隊らしくないと断言するのも歴史を軽視しすぎているのではないかな、と思うよ。物語は社会を反映することがある。田母神閣下のような固有名詞を出すまでもなく、ね。