法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『交響詩篇エウレカセブン : ポケットが虹でいっぱい』

様々な姿をしたイマージュという敵に侵略され、大地を覆われつつある近未来の地球。その片隅で少年と少女が出会い、神話的な存在として世界を救うようせまられる。しかし少年達には、全く別の“夢”があった……


TVアニメ版の映像を利用し、物語も圧縮した映画だが、展開から登場人物の位置づけまで大幅に再構成。TV版に存在した構図や言動が、全く異なった意味を持つ。TV版のキャラクターに思い入れがある人には嫌悪感をおぼえそうな場面も散見されるが*1、TV版では善人や悪人だった人々が異なる環境で違う顔を見せていると受け取れば、逆に興味深く楽しむこともできるだろう。
キャラクター作画は不統一なカットも残っているが、TVアニメ版でも充分に作画が良かったため映像としての破綻はしていない。メカニック作画は新規作画がほとんどで、いかにも吉成鋼らしい生々しいカットから、村木靖がコンテまで手がけたサーカス、異形の敵との格闘戦まであり、存分に楽しめるものだった。


さて物語についてだが、書きたいことは色々あるものの、余裕がないので簡単に。昨年ごろから感想を書こうかと思っていたのだが、比較対象になりそうな別のアニメを見ていないので*2、とりあえずTV版と比較しておく。
まず、TV版たる『交響詩篇エウレカセブン』は散りばめたサブカルチャー要素があまり機能せず、謎が謎として意味をなしていなかった。たとえば、舞台設定が地球かどうか全く話題になっていなかったのに、終盤で新情報を出してもどんでん返しになりはしない。主人公の仲間達も、初登場場面からは想像もつかない逃亡劇と、危機を目前としながらの足踏みを続けるばかり。そういうねじれは制作側の鬱屈を反映したものと理解はするが*3、感覚としては単なるつたなさと映り、一個の物語としての完成度は低かった。各話に目を見張る時はあったが、全体として七転八倒しながら古典的ボーイ・ミーツ・ガールになんとか落とし込んだといったところ。
対して2時間弱に詰め込んだ映画版は、密度の高い物語で、時系列を激しく前後させながら説明不足に陥らず*4、観客に基本を提示した上で応用を見せるという原則に徹している*5。不評だったサブカルチャー要素は後退させ、比較的に好評だったボーイ・ミーツ・ガール要素を前面に出した上で、少年少女へ共感し感情移入することを批判的に描いてみせた。
子供の無垢さを利用する老いた子供達……かつて純粋なボーイ・ミーツ・ガールを目指しながら獲得できなかった鬱屈を吐露しつつ、あくまで作品全体は少年少女のジュブナイルとして楽しめ、そして制作者が反映されたキャラクターにも救いを用意する。娯楽作品と、その娯楽に耽溺することへの批判が両立している。
そして、利用され捨てられた子供達、抑圧された者が他の者を抑圧する構図……各要素はTV版でも存在したが、あまり独自性ある味付けがされず、素材のまま映像化されていた。対して、映画版では様々なSF設定によって明瞭に映像化され、その世界観でこそ伝えることができる物語となっているところもいい。神話のような作中作も存在するものの、基本的にはベタなメタではない。あくまでSF設定のもとで少年少女2組が対立して別々の結末を迎え、自然に主題が伝わるようになっている。


あと、アニメを見ていてサブレギュラーの死に唖然としたのは久しぶりだった。『超時空要塞マクロス』の柿崎*6を思い出させる喜劇的なあっけなさでありつつ、感情移入を拒絶するキャラクター性のため感情の置き所が全くない。消化しようのないものとして死を描いたのは、良し悪しで評価することも難しいくらい衝撃を受けた。


もっとも、首をかしげる場面や、不満点もないではない。
最も気にかかった点として終盤の展開に少しふれるが、子供を産み育てるということを、そこまで単純に肯定していいものかと思った。“気づき”の場面そのものは、登場人物の張り詰めた心情を、よく映像が支えているだけに、かなり惜しい。
子供を産むことについては、TV版では様々な家族の姿を通し、もう少し屈託を描いている。比較すると、劇場版は後退している印象もある。上映時間に余裕がないとか、TV版で描いたことは語りなおさないという想像もできるが、大人が子供に希望を仮託することの危うさを直前まで描いているだけに、もう少していねいな語り方をしてほしかった。

*1:二次創作における、キャラクターの再現を重視するか、原作の設定やストーリーとの統一を重視するかという意見の対立と、どこか重なる。

*2:おそらく映画『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』を包み込む作品になっていると思うのだが……とりあえず京田監督も参加した『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』でリメイクされた物語を超えている、とは思っている。必ずしも作品として超えているというわけではなく、主題に対するメタな観点を作中に取り込んでいる、といった程度の意味。

*3:プロデューサーのインタビューで、アメリカンニューシネマの影響を意識したらしき発言もある。

*4:たとえば、『劇場版CLANNAD』より激しく入り組んで、長い時間を描いている。

*5:守るのが当然の原則かもしれないが、TV版を再構成した映画の多くはあらかじめ情報を持っているファン向けで、重要な説明を省いていることが多い。この映画も、本当に全く予備知識がない観客では、理解が難しいところがあるかもしれない。

*6:サブレギュラーでありながら、TVアニメ版、劇場版ともにあっけなく戦死した。戦争の空虚さを見せるというような描写ではないため、逆に現在にいたるまで印象を残している。