法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

君は何も見ずに鶴を折れるか?

ハイチ大地震に対して、募金するにとどまらず、千羽鶴を贈ろうと提案した人がmixiにコミュニティを立てたが、救援活動の邪魔になるだけの自己満足という批判をあびて閉鎖したという。
たとえ善意に基づくものであれ、提案された活動内容は批判にさらされ、議論の対象となるべきであり、そのことは社会活動を始めようとする者が最初から覚悟し、折り込んでおくべきと思う*1アムネスティ国境なき医師団赤十字、等々の歴史や組織力ある団体でも、多くの疑問や批判が投げかけられているのだ。批判内容には、解決が困難な根本的なものもあれば、理不尽な誹謗中傷もある。素人の思いつきが何の批判にもあわないと予想するべきではない。
しかし数多くの団体が批判されながらも活動を続けているように、批判があることは活動を止めるべき絶対条件でもない。


千羽鶴を迷惑と評する「現地報告」*2に対しては、id:claw氏が荒い口調で疑問をていしていた。私の問題意識とは少し違うが、それゆえに紹介させてもらう。なお、claw氏が疑問をていしているのは、代わりに「千羽鶴の心でハイチに支援を」という提案を行うためであり、その意図は尊重したい。
2010-02-04 - ▼CLick for Anti War 最新メモ

(秒単位で死人が出る中で援助活動やってるのにmixiやる暇はあるんだwwww そのくせハイチに「届いた」という千羽鶴証拠写真は1枚たりともupしないってwwwどんだけwww)

ただし、慈善活動家が、他の方法論を用いる慈善活動を批判する光景は、そう珍しいものではないと思う。「腕時計を奪うために、相手の腕を平気で切断出来る国民性」というコメントも、パターナリズムな発想による慈善活動家という想定が可能だ。
そもそも、mixiにかかりきりになりながら慈善活動をしてもいい。いや、慈善活動に限らず、社会活動を行うハードル自体は下げられるべきだ。
つまり、社会活動はもっと気楽に提案されるべきということが私の一貫した考えだ。だからこそ同様に、募金を行いながら千羽鶴を送るという活動があってもいい。


さて実際の千羽鶴運動だが、少なくとも提案者の意図では「現地報告」と違い、現時点で送ろうという意図はなかったようだ。
http://sankei.jp.msn.com/region/kanto/tokyo/100125/tky1001251835010-n2.htm

集められた鶴は糸でつなげて千羽鶴にし、ハイチの情勢が落ち着いたころに、NGOなどを通じて現地に届けたい意向だ。

批判が激しくなる前の記事であり、後付の主張とは考えにくい。これでは「現地報告」の信頼性に疑問符がつく。たとえ千羽鶴が贈られたとしても、それが問題の活動によるものとは限らないと考えてしかるべきだったろう。
むろん、たとえ提案者の発言が批判を受けて軌道修正したものだとしても、それはそれで何の問題もない。一度の募金や支援が悪いというわけでは当然ないが、千羽鶴はハイチを忘れないよすがとなりうる。ハイチの社会体制にも問題が多々あり、震災の被害を拡大させたということは多くの報道でも指摘されている。これを機会にハイチと文化交流する社会活動が生まれても、何ら問題はないだろう。
また、直接的に現地の支援とならない活動が必ず誤っているというわけでもない。多くの歴史ある募金活動も、一定の比率で組織維持費や広報費に資金が回されるものだ。個々人が黙って募金することは悪ではないが、組織的な支援を行うなら広報や認知活動を視野に入れることは当然の選択だろう。
社会問題を広報し認知させるだけの活動も存在する*3。もしハイチ現地側にとって千羽鶴自体は意味がないのだとしても、千羽鶴の呼びかけでハイチの状況を知ったり、共感することになった日本側では意味を生んだのだ。


また、鳥や鶴が現地の文化では忌避されるという批判も、具体的な根拠が見当たらない様子である。
http://sankei.jp.msn.com/economy/it/100129/its1001291125000-n2.htm*4

支援関係者によると、ハイチ人の大半はカトリックだが、一部ではブードゥー教の慣習から、鳥は縁起が悪いととらえる地域もあるというが、真偽は不明。現地に詳しい識者によると、「ハイチで鶴は縁起が悪いととらえる宗教があるのというのは“偽の情報”の可能性もある」という。

この記事の反論では匿名の「識者」しか登場せず、これはこれで全幅の信頼をおけない。しかし少なくとも折り紙自体は忌避されないだろうと思うし、工夫すれば世界中で普遍的な娯楽として提供されうる、と私は考える。
ここで、加瀬三郎という人がいたことを紹介しよう。世界中を飛び回り、折り紙を伝える活動を行っていた折り紙作家だ。
Laudate | お薦めシネマ

ことの発端は、盲目の折り紙作家・加瀬三郎さんの「折り紙の動物園」にあります。旧ユーゴの内戦のとき、クロアチアのオシエク動物園では、戦乱を避けて、ハンガリーへ動物たちを疎開させました。疎開の様子を取材したフォトジャーナリストの田島栄次さんから、動物のいない動物園の話を聞いた加瀬さんは、オシエク動物園で、折り紙による動物園を開くことにしました。加瀬さんの作った300種類の動物は、多くの子どもたちに喜ばれました。その中でも人気のあったのが、象の折り紙でした。

東京ヘレン・ケラー協会|点字出版所|点字ジャーナル|2008年6月号

  加瀬さんは、困った人がいれば、直ぐにその人の元へ駆けつけ面倒を見る人でした。その優しさは、戦争体験からにじみ出ていたのではないかと思います。なぜならば、彼は一夜にして10万人以上とも言われる犠牲者を出した昭和20年(1945)3月10日の東京大空襲の猛火の中を、奇跡的に生き延びた一人だからです。「周囲を火に囲まれて逃げ場が全くなく、無我夢中で逃げまどっていたところ、たまたま総武線のガード下にスペースがあって、そこへ飛び込むと、風向きが変わったらしく、火がそこで留まったため、命拾いした」と当時の様子を語ってくれました。
  私もそうですが、戦争体験者にとって、その悲惨さは生涯記憶から消えるものではなく、彼の平和への思いは人一倍強いものでした。後年、折り紙作家としてニューヨークの国連本部へも行き、華々しく活躍しますが、むしろ加瀬さんの生き甲斐は、途上国を訪問し、親を失った子供たちや障害児などに折り紙の楽しさを伝えることでした。リュックいっぱいに折り紙を背負って、渡航された国や地域は実に49にものぼります。

調べた限り、中南米キューバやメキシコやブラジルでも活動していたという。ハイチに折り紙が伝えられたかどうかは確認できなかったが、ことさら折り紙を受け入れられない文化が存在するとは考えにくい。
ちなみに加瀬作品だが、たとえば下記で紹介されている「ハローフォックス」などは、簡単でいて意外性もあり、可愛くて楽しめると思う。ずるがしこい動物という印象が狐に対してあっても、この折り紙をことさら忌避する人はいないと思う。
Hello Fox | blog 石の花*5
さらに加瀬作品には「ドラキュラ」という、「鶴」などとは比較にならないほど悪魔的な題材もある。
気ままな折り紙ブログ
加瀬作品ではないが、「悪魔」という折り紙が存在することも、綾辻行人『館』シリーズの読者には知られていることだろう。


私は、折り紙を日本の大切な文化と考える*6。それも普遍的に受け入れられやすい文化と思う。千羽鶴が他国では理解されない文化だという主張は、実態にも反しており、自己愛の裏返った国粋主義と感じられる。
もちろん、ことさら意味づける必要があるわけではない。遠くない未来、ハイチの人々が折り紙の楽しさを知ることができるようになれば、それでいいと思う。気軽にね。

*1:念のため、議論を行えなくするサイバーカスケードを是としているわけではない。

*2:すでに日記は削除されており、現在では転載したWikiも消滅している。http://internet.watch.impress.co.jp/docs/yajiuma/20100127_344949.html

*3:一例としてホワイトバンド運動がある。その運動に対する誤解が招いた騒動は、社会活動の多様性を考える良い機会だったと思うのだが、あまり今回の騒動で参照されていないようだ。

*4:なお、この記事は、自社記事が以前に千羽鶴活動を報じていたことに言及していないという問題もある。

*5:なお、折り紙にも著作権が存在するので、通常は折り図公開に作者の許可が必要なので注意。

*6:念のため、他国にも日本とは違った系統の折り紙が様々存在する。逆にいえば、紙を折って造形するという美術は、普遍的な発想によるものということだ。