法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『なぜ君は絶望と闘えたのか 本村洋の3300日』門田隆将著

新潮社から出版された、光市母子殺害事件をめぐるノンフィクション。タイトルや出版社からわかるように、被害者遺族の心情へよりそった内容となっている。
もちろん、一方へよりそうことは必ずしも悪くない。下手に両論併記するより、明確に立ち位置を宣言する方が、様々な情報を見比べる時に役立ちやすい。たとえばプロローグでは、事件発生年に本村氏と出会った著者の鮮烈な印象が語られており、一つの資料として興味深い。喫茶店での本村氏は、家族へ向けた悔恨と、被告への殺意を叫んだという。


しかしながら、遺族の心情へよりそうあまりに、ノンフィクションの域を超えて実録小説に近づいている感が強い。時として押しつけがましく、時として見てきたような嘘としか思えなかったりする。
たとえば、警察署の取調室で拘束された本村洋氏が、娘の居場所を知りたい心情を独白する場面*1

 これは嘘だ。夢だ。なにかの間違いだ――殺風景な部屋の、堅い椅子に座らされた時、本村は必死でそう叫ぼうとしていた。しかし、その時、変わり果てた弥生の姿が本村の目に浮かんできた。
 夕夏はどうしているんだ。生きているのか。誰か夕夏の居場所を教えてくれ。
 本村の目は、狂気を帯びたような光をたたえていた。

門田氏は取調室で本村氏の様子を観察でもしていたのだろうか。もちろん、そのようなはずはない。本村氏の心情部分は本人に取材することで情報を得られるだろうが、取調室の密室における主観的な印象を堂々と語られては困惑するばかりだ。


また、著者が様々な場面で吐露する国家観も違和感が大きい。
プロローグの結びからして「日本人」という言葉が出てくるのだから*2

 これは、妻と娘を殺された一人の青年の軌跡と、その青年を支え、励まし、最後まで日本人としての毅然たる姿勢を貫かせ、応援しつづけた人たちの物語である。

もちろん、日本の司法制度に対する挑戦という意図はあるだろう。この引用した文章の前に日本の司法制度や世論が言及されており、必ずしも唐突とまではいわない。しかし現行の司法制度が持つ長所短所を論じないまま、漠然とした国家観を自説の論拠として持ち出すだけでは困る。
どうしても嫌悪感を持った表現が、本村氏が日本テレビの番組企画で北米テキサス州ポランスキー刑務所に訪れた場面にある*3

 廊下を歩けば、それぞれの面会の様子が手にとるようにわかる。日本とは格段に違うオープンさである。
 目的のブースに向かう途中、「ヘイ、ジャップ」とか、舌を出してベーをやってくる囚人がいた。さすが犯罪大国の囚人たちである。屈託もないかわりにエチケットも皆無だ。

この「犯罪大国」という言葉を、何ら必要性や根拠を示さず用いられると、あまり発言を信用できなくなる。法律や歴史の違いが明確で、必ずしもネガティブな意味ではない「銃社会*4という表現とは違う。
そして著者はあとがきにおいて、おさだまりの戦後民主主義批判を口にする*5

 犯罪被害に遭ったものが泣き寝入りし、加害者だけが手厚く遇される国など、真の民主主義国家とは言えまい。この青年に課せられたのは、戦後の日本の民主主義が育んできたエセ・ヒューマニズムに対する痛撃だったのではないか、とも思う。

私は逆に、本村氏の間近で9年間も裁判を追ってきながら、この程度の話にしかまとめられないのか、と思った。いや、ありきたりで単純な結論が必ずしも悪いとは思わないが、「エセ・ヒューマニズム」とまで攻撃するなら、もう少し現行の司法制度に対する論証があってもいいのではないか。


ただ一つ、読みながら感じたこともあった。
まず本村氏が『週刊新潮』に寄せた手記で少年の実名を公表したこと*6

しかし、実際にその犯人が目の前に現われたのに、すべてのマスコミが匿名化し、Fを実名報道していなかった。

 しかし、本村はそのマスコミのタブーに挑戦した。

次に、最高裁で弁護人が欠席したこと*7

「準備期間が必要な上、十四日は日弁連で研修用模擬裁判のリハーサルがあり、出廷できない」
 そんな言い訳だった。しかし、翌八日、最高裁は、両弁護人の延期申請を却下。それに対して、弁論前日の三月十三日、安田と足立は、弁論の欠席届を最高裁に提出した。

 司法の最高峰・最高裁判所の法廷に弁護人が欠席して、法廷が開けないというのだ。ここまで最高裁が愚弄された例は、もちろん過去にない。

本村氏によりそった新潮社の書籍では、前者を賞賛して後者を批判するのは自然なことだろう。しかし前例にない行動で現行制度の枠を壊そうとしたことは変わらない*8
本村氏の行動は若さゆえのあやまちという擁護をするなら、それこそ少年法と相似を描く。
おそらく著者が意図していないだろうと思えるだけに、本村氏のありようが感情的に許容される社会が、ふと恐ろしく感じた。

*1:22〜23頁。

*2:10頁。

*3:158頁。

*4:157頁。

*5:251頁。

*6:99頁。

*7:182頁。

*8:そもそも刑事弁護人が期日延期を申請することは珍しくなく、「言い訳」という表現は誤解を招く。むしろ最高裁の態度が異例に近い。