法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

ライオンキング桃源郷

「海外における劇団四季の受け入れられかたは、一種のオリエンタリズムだと思うんだ」
「……また唐突だな」
「ヒット作のライオンキングだって、元々から反文明の要素を持っているものだしね」
「ろくに舞台劇を見ないくせに、よく論じる気になったもんだな」
「こないだ、週刊文春のテレビ時評に劇団四季批判が書いてあってね」
「便乗なんだ?!」
「それはさておき、手塚治虫だって戦後民主主義の体現ではあるけど、戦前戦中の東南アジアに対する楽園願望を反映しているしね」
「どっから手塚の初期作の話題になったんだよ!見当はつくが!」
「ライオンキングの原作が手塚治虫
ジャングル大帝だろ。だいたい人のことはいえんぞ、手塚の初期作には世界一有名なネズミの着ぐるみが出たりと、手塚もパクってるし
「ああ、電撃」
「ピカチューじゃねーよ!」
「パクリというか、神や源流とはされているけど、どちらかというと時代の先端を走り続けた印象が強い人だからね。ポケモンが出たらパクったと思うよ」
「……まあいい。確かに最先端であると同時に、量産することで存在感を示し続けた人ではあるな」
「ミステリでいうと、西村京太郎が初期の質を維持し続けたらという感じ」
「確かに昔の西村は社会派もパロディも本格も歴史もこなし、しかも質が高かったものだ」
「一時期の島田荘司みたいに手を広げてたよね」
「っていうか、手塚と島田が似ているんじゃないか、西村より。一定の質を維持しながら量産していること、古典の再生で新規開拓したこと、若手を育てたこと、一時期に一線を退いてから再起したこと、文化人として発言していること……」
戦後民主主義の担い手として発言しているわりに、けっこう古臭い思想の俗悪さを見せる、とかもね」
「ああ、そうか。『ネジ式ザゼツキー』とか、これも一種のオリエンタリズムへ繋がるわけか……」
「欧米からオリエンタリズムなまなざしを受ける日本人が、他国へ向けるオリエンタリズムなまなざし!」
「そのオリエンタリズムを物語として楽しめる者は、自分が否定したがっている感情を心底にかかえているのかもな」