法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

ゆとり教育を批判するだけでは自説の証明にならないよ

まだ後編は上げられていないが、「階層間の学力格差や機会均等など」が書かれる予定らしいので*1、あまり補足されないだろうと推測して書く。とりあえず現行の「ゆとり教育」が失策であることも前提とする。
教育問題に関して(前編) - 雑記帳

ゆとり教育(のうちの「総合的な学習」)」に関しては、しつこいくらいにそれを行う教員の資質・指導力の改善が指摘され、求められ続けてきましたが、そういった教育政策は失敗に終わっておきながら、教員だけは「10年に1回、30時間程度の研修」も嫌だというのは……という事で、私の日教組への認識は「左翼としての日教組」ではなく、「失敗している教育政策の片棒を担ぎながらも責任をスルーしている集団」です。

何らかの失敗をした者は、意味がない苦労*2を引き受けなければならないという考えは、全く賛同できない。
失業者は趣味を持ってはいけないとか、容疑者の実名を報道しなければならないとか、犯罪者は人権を主張してはならないといった発想と共通する、呪術的な思考だ。

日教組が行うべきは失敗に対応する改善であって、関係ない制度を維持することではないだろう。seijigakuto氏も、「失敗している教育政策の片棒を担ぎながらも責任をスルーしている」ことが問題と思えば、それ自体を批判すればいい。話題から連想しただけの意見ならば、それと明記すべき。無関係な苦労を負わせれば、むしろ失敗を解決へ導く手間や時間を奪うばかりだ。


他にも疑問を感じた部分がある。

左右を問わずに、「意味がない」といっているのは、骨抜きにした現行制度ですが、この制度は運用を変更すれば不適格教員の問題に対処する事も可能です。

教育問題に関して(中編・「ゆとり教育」について) - 雑記帳

日教組に関しては、(1)37年前から「ゆとり教育」を主張して87年の臨教審以来15年の準備期間を与えられていながらいながら教員がそれに対応できていない事 (2)にも関わらずに「ゆとり教育」をまだ推進しようとしている事(3)自分達の身分保障には熱心な割に、「ゆとり教育」を成功させる鍵である教員の資質向上には殆ど関心を示さない事、などの理由でもって批判しています。

運用を変えれば価値が出てくるという理由で制度の廃止を批判しておきながら、現行制度のままでは意味がない制度を推進することも批判している。ここで日教組とseijigakuto氏の態度は相似形を描いている。
「15年の準備期間」という要素がseijigakuto氏の判断基準だろうと推測はできる。しかし、免許更新制度も議論によって「骨抜き」にされて改良の見込みが現状ないことも事実だろう。
撤廃や推進そのものは、それぞれ現行からの改善を視野に入れていて、批判や肯定の絶対理由にはならない。


また、現在の流れでseijigakuto氏が日教組の教育方針を批判している根拠は「ゆとり教育」しかない。それも下記のように日教組は提言こそしたものの、実際の制度には片棒をかついだともいえないような、軽い立場だ。

但し、1995年までは日教組の支持している社会党は政権にはおらず、文部省とも対立していましたので、実際の教育改革に際しては日教組の関与は直接的には無かったと言って良いと思います。

その一方、2002年の「ゆとりカリキュラム」の基礎となった、中教審の2つの答申が出された時期は、支持する社民党が自社さ連立政権で政権に参加していたため、日教組も「政権側」として参加していたと言えます。

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/12/chuuou/toushin/960701.htm

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/12/chuuou/toushin/970606.htm

また、1995年の文部省と日教組の和解の後、中教審日教組の関係者(横山英一氏が2002年まで参加)が委員として入るようになるなど、文部省や自民党に比較すれば少ないとはいえ、教育行政に対して影響力を発揮しました。

一貫して実施してきたのは、他方で教員免許更新制度を作り、今回の衆議院選挙では日教組へのネガティブキャンペーンを行った自民党なのだ*3。近年の自民党政権ゆとり教育の見直しをしてきたことも事実だが、自民党より重い責任を日教組が負っているとは必ずしもいえないだろう。日教組自民党も同程度の責任を負っているのに、それを理由として一方の望みを否定して他方の望みを肯定する論理は奇妙だ。


そもそも日教組の教育方針はゆとり教育だけではないだろう。日教組と異なる立場でゆとり教育にも反対している評論家、森口朗氏が下記のような評価をしている。
http://www.hakubun-zemi.co.jp/Monthly/MonthB1604.htm

たとえば、いわゆる「水道方式」を唱えた遠山啓氏の指導理論について、当初の文部省は、遠山氏が日教組系の学者であったこともあって目の仇にしたが、現行の算数教科書では、遠山氏が提唱したタイル図や計算棒が当然のように登場し、氏が示した「集合数を数の基本と考える」という思想に異を唱える人はもはやいないという状況になっているのである。にもかかわらず、日教組はずるずる後退をつづけてきた。そして、現行の組織率は半数に満たない。それなのに、教育を悪くしたのは日教組であるというデマゴーグはなくなろうとはしない。それがデマゴーグであることは、日教組の組織率が低下したのに教育が悪くなりつづけていることからもあきらかなのである。

そういえば、日教組の組織率が高い地域ほど全国学力テストの順位も高いという相関もある*4。いかんせん因果関係は不明瞭だが*5
もちろん、失策が一つでもあれば批判をすることは当然だ。日教組ほどの大きな公的組織ならばなおさらだろう。しかし、ゆとり教育の推進という木だけでなく、提唱や実施している他の教育方法という森もふくめた論を立てないと、組織防衛*6までを否定するには説得力が足りないと感じる。

*1:http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/seijigakuto/20090916/1253112967

*2:少なくともseijigakuto氏も、現行制度は左右問わずに意味がないと主張していることや、運用を変更しなければ不適格教員の問題に対処できないことは認めている。

*3:細川連立内閣以降、短期間の野党時代を除く。

*4:http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20080930/1222747184

*5:たとえば、たまたま学力が高い学生が集まった地域では教師の負担が少なくなり、余暇で組合運動を続けやすい、といった仮説も簡単に思いつく。

*6:それも労働組合という、構成員の防衛を目的とした、権利として認められている組織の話だ。