法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『綾辻行人と有栖川有栖のミステリ・ジョッキー(1)』

雑誌『メフィスト』で連載している対談企画をまとめたもの。テーマに合わせた短編やショートショートを選び、丸ごと掲載することで堂々と真相に言及しながら、2人の本格推理小説家がラジオのディスク・ジョッキーを真似て語る。
新本格」で華々しくデビューした2人が、本格推理に感じられる魅力の正体を肩肘はらず探っていく。


まずは2人がミステリに魅力を感じた「それぞれの“ふるさと”」として提示した2短編。
コナン・ドイル『技師の親指』は、以前に読んだことがあるものの、記憶に残っていなかった。今回、改めて読んでみると、冒険物語としての魅力や、皮肉なオチの巧みさが印象深い。
ホームズが作中で開陳する推理も、様々な説得力ある仮説が提示された後に、全く異なる正解を論理的に示すというプリミティブな楽しみがある。しかし現在の目で見ると、ありきたりな答えではあるし、事件の解決に寄与しているともいいがたい。あくまで有栖川氏が子供時代に感じた衝撃を追体験する意味しかないかな。
江戸川乱歩『赤い部屋』は、たしか初めて読んだ作品。日常の裏に隠れ、善意を装い、立件しようもない犯罪が無数に語られていく、サイコホラー調の変格推理小説。オチは乱歩が多用しているものだが*1、いったんツイストをかけて、脱力感を耽美さにまで昇華しているので、対談でも指摘しているように許せる。


続いて「早くも番外編」と題して、2人が選者をつとめた講談社ノベルスの復刊企画に合わせ、配本を紹介しながら作者の代表作となるショートショートを選んでいく。
竹本健治『恐怖』は、恐怖を感じられない主人公をめぐるショートショート。以前に読んだことがあるし、藤子・F・不二雄等の恐怖SF短編マンガを読みなれていると予想範囲内でしかない。ただ、対談で指摘された恐怖のありかが、短い枚数で隠しおおせている技巧には感心する。
江坂遊『開いた窓』『踊る細胞』は、ベタなショートショートという感想しか感じられなかった。商業ショートショート作家となると星新一の存在が偉大すぎて、どうしても比較して落ちるように感じられてしまう。現在のインターネットでは無数に無料でショートショートが発表されている以上、ショートショート専門作家ということの魅力も薄い。
井上雅彦『残されていた文字』は、実に見事だ。もちろんオチの先例はいくらでもあるだろうが、調理が巧みで無駄がない。対談で指摘されているように、あまりに短いからこそ気づく余裕がなく騙されてしまう。ベタなオチに向かうかと見せて、風景を反転してしまう衝撃が素晴らしい。


そして「ミステリとマジック」と題し、マジックのトリックが用いられているミステリを紹介することで、重なる部分があるのはもちろん異なる部分があることも示す。
ディクスン・カー『新透明人間』は、びっくりするほど安易にマジックを流用している。読みどころは、そのマジックが用いられた証拠と、安易なマジックが行われた動機を小説に埋めこんだ手腕だろう。事件が発覚した強引な経緯までふくめて、描写に全く無駄がない。
泡坂妻夫『ヨギ ガンジーの予言』は、冒頭でいきなりバカバカしいマジックの種明かしをして、楽しませてくれる。さすが娯楽小説として純粋に楽しい。偽超能力の正体を明かすシリーズなので、事件の真相は即座に見破ることができるが、既存トリックに加えた工夫と、予言をトリックと示す傍証が巧み。。


最後は「ミステリとパズル」。言語化できない領域、「小説」ならではな領域こそに魅力があるのだろうという指摘は納得できる。かつて「人間が書けていない」という批判にさらされた2人が、今だからこそ小説の重要性を主張できるという時代の変化が何より嬉しい。現在は、政治的な主張を行わずとも、本格推理小説の価値はゆらがないのだ。
南條範夫『黒い九月の手』は、当時の有名な事件を題材に、国際テロリストへ刹那的に協力した日本人放浪者の数ヶ月を描く。開放的で陽射しが明るい欧州の背後に、黒く横たわる陰鬱な影……と見せかけて、終盤では論理パズル以外の何ものでもない推理が開陳される。なるほど、これは珍品だ。論理パズルが嫌いではないので推理してみたが、これは論理展開の意外性がなく、ミステリ本来の楽しみとは確かに異なる。
エラリー・クイーン『ガラスの丸天井付き時計の冒険』は、得意のダイイングメッセージもの。ダイイングメッセージが指す犯人像を推理する過程は、対談でも指摘されているように妄想の域を出ないことが多く、正直いって好みではない。しかしこの作品は終盤で異なる角度からダイイングメッセージを検討し、意外性を出すと同時に説得力を上げている。パズルを素のまま提示せず、小説に落としこんでみせた好例だ。

*1:ちなみに、立ち小便を電線に当てて感電死するトリックは、現実には使えないはず。小便は空中で水滴になっているので、電気を伝えない。