法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

周囲に合わせる態度は日本独特の美徳と主張したのは誰だったか

『オタク・イン・USA』*1を読み返していて、オタク的なエピソードとは別に引っかかった記述があった。


著者は「はじめに――僕とオタクと校庭で」という章で、自らの生い立ちを語りながら、米国における人種や社会的な立ち位置で形作られている階級について語っている。なぜ自らがオタク的な存在になったか、なぜ学校という場に耐えられなかったかを説明するため。著者はメキシコ系アメリカ人だった……
そして著者は、教師であった母の行動について一つの逸話を引く*2

 母は何年にもわたって何千人もの生徒たちにスペイン語を教えた……でも、僕には一切教えようとしなかった。その理由を母が話したのは何年も経ってからだ。アメリカに住む以上、英語以外の言葉は必要ないと思ったからだそうだ。両親の世代のメキシコ系アメリカ人たちは、アメリカで成功したければ、母国の文化を捨て、メルティング・ポット(るつぼ)に身を投げてアメリカ人になりきれと教えられていた。

そして著者の両親は英語を学んで大学へ進み、中産階級の立場を得た。しかし著者のような子供は代償として祖先の文化や伝統と切り離され、ディズニーや『スター・ウォーズ』を新たな神話として求めるようになった。もちろん、著者が求めたのは日本の特撮やアニメだった。
TVアニメ『宇宙戦艦ヤマト』が『スター・ブレイザーズ』として放映された時、登場人物名からして民族性を抹消されるような幾多の改変がなされたことに対しても、同じような指摘が著者からなされている*3

 グリフィンたちは単に外国のアニメをアメリカ版にしただけだろうが、彼らは無意識のうちに「アメリカはメルティング・ポット(るつぼ)」なのだという考えを押し付けている。つまりどんな国から来た移民も、もしアメリカに住んで働きたいなら、坩堝の中でドロドロに溶かされて民族文化や伝統を放棄し、「普通のアメリカ人」に同化しなければならないという考えだ。



同調圧力による移民同化は、どこの国でもあるのだろう。もしかしたら、移民国家だからこそ、日本より厳しい場合があるかもしれない。
……だからこそ、民族文化の代わりに若者が取り入れる文化が、「アニメ」「パンク」「コスプレ」「ヘンタイ」*4やおい」といった白人保守層の眉をひそめさせそうな*5趣味であるのが皮肉であり、痛快でもあった。自国の文化でもなく、祖先の文化でもなく、遠い国のオリエンタリズムに満ちた猥雑な文化。なんのことはない、多様な文化を否定したところで、自らが好む文化へ統合されるはずがない……そもそも、多様性の否定は文化の対極に位置する考えだ。
もちろん、それをただ持ち上げることもできない。『オタク・イン・USA』には、ネオナチ趣味の少女が紹介されている*6。「あとがき」でも、アメリカのオタクが殺した少女を食べようとしていた殺人事件が紹介されている。趣味を趣味として楽しみ続けるためにこそ、立ち位置は見失いようにしたいものだ……他人事ではなく。

*1:パトリック・マシアス著、町山智浩訳。北米における日本オタク文化の受容状況を、過去から現在まで様々な出来事や人物を基に語っている好著。北米において日本製作品が改竄されていた例が多数紹介されており、韓国の作品改竄を特異と主張する嫌韓は、単に想像力が無く無知なだけと示す資料としても興味深い。

*2:16頁。

*3:95頁。「坩堝」には「るつぼ」というルビが振られている。

*4:米国において「Hentai」は成年向けアニメの総称であり、日本製サブカルチャー全体の印象とすらなっていた。146頁には[このヘンタイ・ブームは、日本製アニメといえば「ポルノでしょ」とか「触手レイプだろ」という印象をアメリカ人に植え付けてしまった、もしその後、宮崎駿映画作家としての評価とポケモンの大ヒットがなかったら、今も「アニメといえばヘンタイ」のままだったかもしれない。]という記述もある。

*5:事実、テキサス州ダラスで小学校の向かいにあったコミック・ショップが、成人向け棚にマンガの『うろつき童子』『妖獣教室』を置いていたため、囮警官により摘発された。裁判では「マンガはお子様の読み物」という検察と陪審固定観念から有罪になり、最高裁への上告は棄却された。148〜149頁。

*6:252頁。