法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『鉄腕バーディーDECODE:02』第7話 WE WILL MEET AGAIN

つとむとバーディー、ある事件のため一つの身体に同居するはめになった二つの心。その心が攻撃の影響で融合しかかってしまう。片方の心が消えてしまわないよう、バーディーが幼いころの記憶を認識するため、つとむは過去への旅を行う……
作画表現に対する議論が沸騰した今話だが、物語としても実に興味深い作りになっている。
後述するが、描写の大半は事実ではなく、バーディーの主観によって構成された真実だ。だからこそ、異星人の幼子が少女へ精神の回復に合わせて急成長するという、作品の設定から見てありえない姿が、結末で印象的に描かれる。
バーディーを育て守ったヴァイオリンが最期に微笑んだ意味を、観客に問う物語であり、だからこそ多様な映像表現で描かれたのだと受け取ることもできるだろう。


より第7話を楽しむため、いくつかの文脈を提示してみようかと思う。本来ならアニメライターとして収入を得ているid:y_arim氏が書くべきことだろうと思ったりしたが、後述する理由で微力ながら説明しておきたい。
なお、以下に提示するアニメーションパートは直接は引用しないが、レンタルやネット配信で比較的容易に見ることができる作品が主だ。
鉄腕バーディー DECODE:02 第7話の作画への反応まとめ - WebLab.ota
まず、上記まとめでは深く指摘されていない演出から見た文脈について。
赤根和樹監督は、『ノエイン もうひとりの君へ』*1で特異な映像表現を見せていたことは多く言及されているが、特異な作画を扱う演出手法の片鱗は『ヒートガイジェイ*2でも見ることができる。『ヒートガイジェイ』第4話の冒頭、岸田隆弘パートと思われるアバンタイトルを選んでみる。赤を基調とした色彩表現、生々しく描き込まれた表情、引きの構図では細部を省略しつつ動きで身体性を表現。惨殺場面に至っては、人物の激情が乗り移ったかのように荒く象徴的な作画で描かれる。この回の中心人物「ボマ」が、様々なSF設定で「顔」を変身させていることは、後に赤根監督が『鉄腕バーディー』のTVアニメ化を手がけることと不思議な符合を感じさせる。アンドロイドであるジェイも人工皮膚の有無で、手書き作画と3DCGという異なる描画方法を横断する*3。技法を横断してまで描かれる身体の変容は、赤根監督が元々持っている表現指向ではないだろうか。
森田宏幸監督は第7話のコンテを担当したが、かつて監督作品『ぼくらの』*4第7話で動画枚数を抑えた4コマ作画を見せていた*5。ブログで語られていた演出指向からすると、必ずしも森田監督の意図ではないかもしれないが、許容していたことは確かだろう。『鉄腕バーディーDECODE:02』第7話の作画枚数が少ない場面も、表現手法として様々に試されてきた歴史の上にあるわけだ。そして『ぼくらの』第7話は、『NHKにようこそ!*6第19話での川畑えるきんコンテ作画監督があった流れではないだろうか。この回では、服の皺を象徴化し、図形の組み合わせで表現する作画がされていた*7。『鉄腕バーディーDECODE:02』第7話、バーディーが敵多数に対して大立ち回りする場面で、散らばった岩石の奥行きが描かれていない作画の先例といえるだろう。
ちなみに、服の皺で人物の存在感を出す手法は、近年では本田雄の原画で目立つ。映画『イノセンス』で警備員がガイノイド制圧に向かって反撃に合う場面、映画『劇場版NARUTO-ナルト- 大活劇!雪姫忍法帖だってばよ!!』で酒場にて主人公達がやりとりする複雑な芝居、それらの立体感と象徴性が拮抗した作画を踏まえると、どのように皺が図形の組み合わせで表現されていったか、ある程度の理由がわかってくる。


しかし実のところ、個別スタッフ名に大きな意味はない。いずれも『鉄腕バーディーDECODE:02』第7話が突発的な表現ではなく、先行する作品を押さえることで文脈を読みこんでいく、その手がかりとして各作品を紹介させてもらった。
さて、第7話の特別な作画表現が本編でどう扱われているか、実際に見てみる。すでに見た人も、見返してみることを勧めたい。現在、無料動画配信サイト「GYAO」で視聴可能だ。いずれ再放送もあるだろう。
http://www.gyao.jp/anime/
まず先述したように、第6話から第7話冒頭まで主人公の見ていた光景は、バーディーの主観で歪められている記憶であることが序盤で明かされる。これは記憶を覗き込んでいる者達の台詞で明示される*8。この前提条件は、敵の攻撃による変貌した世界と示しつつ、うつのみやさとるデザインで描かれた『創聖のアクエリオン』第19話に近いといってもいいだろう。
事実に近づいた記憶は、しばらく通常の絵柄に近い作画で描かれる。集落を抜ける時の描線が荒い背景動画や、長回しで崖から降りる情報量の多い場面など、制作者が力を込めていることが存分に伝わってくる。状況を説明するだけの作画ではなく、登場人物の心情を情景に乗せた作画が行われるだろうことも予期させる。
後半に入り、ついに話題の特長的な作画が行われるわけだが、それはテロ事件の発生以降で、それもバーディーが孤独に近い状況でさまよい始めてからだ。非常灯が点いていたりして、色指定でも意識的に表現主義的な画面が作られていることも注目したい。しかもバーディーを中心とする主観的な場面において、より特長的な作画がわりふられている。曲がり道を走るスケルツォ教官*9が遠心力に合わせて身体を傾けたり、バーディーの存在しない場面でも巧い作画が楽しめるが、絵柄の個性は抑制されている。
地下における、バーディーの心的外傷を形成した出来事で、最も作画の特色が出ているのは当然といえるだろう。『鉄腕バーディーDECODE:02』ED映像はバーディーの幼いころが描かれているが、その太くにじんだ描線と少ない色味が本編で用いられているのは、ある出来事を現実をバーディーが拒絶し、幼子のままでいようと願うかのように涙をにじませる場面だ……そして、この前後からいやおうなく現実がバーディーの主観を覆していくのだが、だからこそ「微笑」が事実であったのか、その意味は何だったのか、見ている者に問われる。
現実を見つめたバーディーの精神が回復すると、特長的な作画は抑えられるようになる。覚醒した後は成長した姿で客観的に描かれ、自然な光源のもとで廃虚を見つめる二人は、内実をもった存在である。精神のありようによって姿形が変貌されることは、もはやないだろう。


はたして今回の作画は、原作を無視したり、物語を軽視して、末端が暴走しただけなのだろうか。むしろ作画担当者は情景ごとに最善をつくしたのではないだろうか*10。そうして表面を整える以上の価値を作品に持たせたのではないだろうか。物語を反芻しながら、そう思えてならない。
実をいうと、ここしばらく……といっても二ヶ月くらいだが……「アニメ」を楽しいものと思えなくなっていた。
いやもちろん、個別の作品では楽しめるものはあった。最近も『獣の奏者エリン』、『ドラえもん』寺本幸代回*11、『フレッシュプリキュア!』座古明史回*12、等々の感想を楽しく書いた。しかし、どれもスタッフ名から期待した内容を大きく超えるものではなかった。スタッフの特徴を忘れれば意外性を楽しめたかもしれないが、それでは楽しめそうな作品を見逃してしまう可能性も高くなり、痛しかゆしだ。
試しに見た『佐武と市捕物控』第1話*13は期待を大きく超えてくれた。しかし、相当に古いアニメで現在よりよほど実験的な試みをしていることは、むしろアニメという表現ジャンルの現在に失望を感じさせた。同時に連続して見て楽しんだ『あしたのジョー2』や『はじめの一歩』も旧作にすぎない。どちらも敗北者の輝きを物語る回が続いたが、見ていて内面化することができなかった。
流行のアニメも悪いとはいわないが、娯楽のためイベントを連続させる作りには、どこか苦手意識がある。そもそも最大公約数を狙って流行に乗る場合が多く、どこか薄味だ。たいてい充分に楽しめるが、最も楽しめる作品ではない。
しかし今回の『鉄腕バーディーDECODE:02』第7話は、事前情報でふくらみきった期待を、さらに大きく超えてくれた。作画騒動ばかりが前面に出て、物語の核心が露出していなかったおかげがあるかもしれない。展開上で重要な回ということと作画評価を結びつけた意見は見かけたが、個別の物語感想を除いて、内容に深く触れるものは少なかった。作画騒動にしても、アニメーターの若々しい情熱が、議論を引き起こすほど作品に込められていたといえる。そう、新しいものに挑戦する限り、反発する者も生まれるのは当然だ。
だから、ネットで起きた作画崩壊騒動は、先行する様々な技法や議論をていねいに踏まえていたとは言い難いものの、議論が沸騰したこと自体は良かったと思う。同シリーズで先んじて「作画崩壊」との評が散見された『鉄腕バーディーDECODE』第12話を以前に言及したが*14、その話が放映された当時に議論が沸騰するには至らなかった。好意的な評が圧倒したわけではなく、物語自体も最高潮を迎えていたというのに、話題にならなかったのだ。そのころを思い返すと、熱をもった仕事が目に止まる機会を増やせただけ、ずっと良かったと感じるのだ。

*1:サテライト制作のオリジナルTVアニメ。破天荒な作画と繊細な演出で描かれるジュブナイルSF。

*2:同じくサテライトが制作したオリジナルTVアニメ。犯罪のはびこる猥雑な未来都市で、青年「ダイスケ」とアンドロイド「ジェイ」が事件解決にあたるバディ物。許すとは何か、様々な角度から葛藤と強度をもって描いた中盤が印象深い。

*3:OP映像で確認できる。ただし、映像配信サイト「バンダイチャンネル」で第1話無料視聴ができるものの、その回の本編では3DCGで描かれていない。

*4:GONZO制作のTVアニメ。OPが良かった。第19話のコンテ演出原画を担当した川畑えるきんは副監督。作画監督は夏目真吾。

*5:一秒間24コマのフィルムの場合、アニメは基本的に同じ絵を3コマ続けて見せる。滑らかに動くディズニーアニメや『蟲師』は2コマで絵をきりかえる。同じカットの中で異なるコマ数を用いて動きにタメツメをつけることもある。ともかく、4〜5コマも絵を止めると、パタパタとした特異な動きになる。

*6:『ぼくらの』と同じGONZO制作のTVアニメ。様々な傷を抱えて社会になじめない人々を描いた佳作。日常を舞台としているが、オーソドックスなものから実験的なそれまで、様々な良作画も楽しめた。夏目真吾も、第19話に先行する第4話で若さあふれる個性的な作画を見せ、一部で注目をあびた。

*7:当該回のDVDが見られない状態なので、ここは記憶発言。

*8:説明的な台詞だが、異なる知性体が「ヒト」と異質な記憶形態を持っていることを同時に示し、自然なSF描写に収まっている。

*9:声優は若本規夫。今話の制作工程が行き詰まっていた根拠として指摘された、口パクが存在しない場面とは、どうやらスケルツォの描写らしい。しかし人間とは身体の構造が異なる生物が発声する時、口を母音数に合わせて開閉しないのは、ごく自然な演出の範疇ではないだろうか。

*10:今話は作画以外でも、映像に異質な技法が混入しているのだが、いずれ別の機会に別作品で語りたい。

*11:http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20090306/1236613621

*12:http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20090308/1236724538

*13:http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20090305/1236295134

*14:http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20090226/1235749375