法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『機動戦士ガンダム00』セカンドシーズン#17 散りゆく光の中で

軌道エレベーター崩壊の危機を前にして、現場で敵味方を超えた協力が行われる。
ひとときにせよ、人々がわかりあえたかに見えた結末、父と息子のすれ違いが悲劇を生む。


王道で、ありきたりといっていい展開だが、細部の描写に隙が少なく、自然に物語へ入っていけた。
軌道エレベーター全体が倒壊するのではなく、破損が全体へ影響しないようアンカーや外装が自動で切り離され、その外装を迎撃するという展開がまず巧い。倒壊を防ぐ機構があるという当然の設定考証であると同時に、現実味が感じられる範囲で現場の努力が実を結ぶ程度の危機を描く。考証が自己満足に終わらず、きちんと物語に奉仕している。
理想をかかげた軍人によるクーデターが、確固とした未来像も描けないまま、竜頭蛇尾に終わったことも現実味あった。娯楽作品としては微妙な感もあるが、さすがに終盤で登場したキャラクターを物語の中核に置き続けるわけにもいかないだろうし、わりあい自然な退場だったと思う。
復讐心で動く敵を退け、可能な限り敵の攻撃を妨害した刹那。各勢力へ協力を願い出て、かつての知人に期待したスメラギ。守るためという理由を得て再び戦場へ出てきたマリー*1。引きずられるように再び活躍できたアレルヤ……個々の主要キャラクターが、各勢力が協力する構図を崩さない範囲で活躍していたのも良かった。
冒頭と結末、父と息子それぞれの視点で同じ過去を描くという趣向も記憶に残る。次回への引き以上の意味が珍しくCパートにある。感情こそすれ違いつつ、同じ過去、同じ人を見つめていた親子。


コンテ演出は長崎健司アバンタイトルの泥臭い夜間戦闘や、扉の隙間から互いを見る父子関係が面白い。
しかし本編では、多数勢力が入り乱れるためか、見にくい映像となっていた。CGを活用しつつ外装落下範囲の広大さを見せる俯瞰カット。外装の全てを迎撃できず、潰されていく空や地の量産機。様々なアイデアを見せてくれるのだが、詰め込むだけでは視聴者の理解力が必須になる*2
画面分割で操縦席を見せたり、画面構図を優先して慣性を無視した動きをさせたり*3、長崎演出は良くも悪くも『機動戦士ガンダム00』で最も富野演出に近い感がある。

*1:軍艦内の作業を担当したことはあった。

*2:深く読解しようと注視すれば奥深く、漫然と眺めても支障なく理解できることが理想。口でいうのは簡単でも実現しようとすればもちろん難しいのだが。

*3:たとえば、飛行していたモビルスーツが、画面の収まりがいい場所についた途端、ぴたりと静止する。アニメーター出身の演出家であれば、静止するため逆噴射するとか、逆にカメラを動かして構図を固定するとか、同じ演出意図でも自然なアニメートを目指すだろう。