法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『フィラデルフィア』

デンゼル・ワシントンは芸達者〜
1993年の映画。若き日のトム・ハンクス*1が敏腕若手弁護士を演じる。
序盤、トム・ハンクスが入院中のこと。抱えていた裁判用の書類が行方不明になり、期日までには発見されたものの、それを理由に勤めていた法律事務所を解雇される。
トム・ハンクスはゲイのエイズ患者であり、それを背景とした解雇と考えて訴訟を起こそうとするが、多くの弁護士から断られる。デンゼル・ワシントン演じるジョー・ミラー弁護士も、ゲイを嫌悪して断る。
しかし図書館での再会を経て、最終的にジョー・ミラー弁護士が依頼を引き受けてくれることに。ともに法廷の場でかつての仲間と争うことになるのだが……


境界線からはみだした人々を、街の一断片として映し出す作品。
法廷映画のおもむきもあるが、裁判の序盤でデンゼル・ワシントンが語るように、明確などんでん返しや激しい駆け引きはほとんどない。
被告側の激しい主張にさらされ、病気で憔悴しながら法廷に立つトム・ハンクスの姿には、被害回復のため裁判で戦うことはどういうことか、考えさせられる。訴訟大国といわれる米国においても、裁判を起こすことは必ずしも心身の補償になりえないのだろう*2
もちろん、映画では法廷ならではの正義も描かれる。血液感染によってエイズ患者となった女性が証言台に立った時、性交による自己責任の感染とは異なる見解を被告側弁護士から示唆されて同意するかと思えば、同じ病気を持つ患者として主人公と同胞意識を持っていることを堂々述べた場面は感動的だ。
主人公の病状を明らかにする場面で、デンゼル・ワシントン出世作『グローリー』の鞭打ちを思い出させる描写がされていたことも印象深い。


特に印象に残ったのは以下の描写。
図書館で調べ物をしているデンゼル・ワシントンが、並べられた机で資料をめくりながらサンドイッチの類いを口に運んでいる場面がある。テレビで顔を知られている、ややアウトローながら優秀な弁護士という設定だが、周囲から問題視される雰囲気ではなかった。
そしてそのように軽食しながら図書館を利用しているデンゼル・ワシントンの眼前で、個室へ移れば楽ですよと司書がトム・ハンクスへ勧める場面がある*3。あくまで司書は穏健な態度であり、むしろ相手のためを思いやってという風な口ぶりで、求められた資料からトム・ハンクスエイズ患者であると判断しつつ病名を直接口にしたりはしない。
結局、トム・ハンクスは並べられた机の一つに座るが、近くに座っていた利用者は席をたって去っていく……
数ヶ月前に議論となった図書館の利用者選別問題を思い出して、複雑な気分になった。

*1:どれくらい若さを感じるかというと、たまたま見ていた映画好きの知人が「トム・ハンクスに似ている役者だなと思っていたら、本人だった」という意味の感想を口にしたくらい。

*2:少なくとも、そういう感覚を観客も持つことを制作者が期待した描写だと感じた。

*3:黒人利用者の眼前で白人利用者が追い出されようとしている構図であることも興味深い。