法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

厳罰化を要求する人は、口先でしか自分を考慮に入れない

産経新聞記事ということがタイトルからして意外。碓井真史教授というところも少し驚いた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081117-00000559-san-soci

「厳罰化で減るのは『冷静な犯罪』だけ」ひき逃げがなくならない理由 Q&A

11月17日14時48分配信 産経新聞


■「厳罰化で減るのは『冷静な犯罪』だけ」

 被害者を引きずってまで逃走しようとする悪質なひき逃げ事件が後を絶たない。死亡ひき逃げ事件は高い検挙率にもかかわらず、なぜ容疑者は逃げようとするのか。抑止に向けた有効な取り組みはあるのか。犯罪者の心理を研究している新潟青陵大学大学院の碓井真史教授(社会心理学)に聞いた。

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 −−事故を起こした直後、ひき逃げ犯はどのような心理状態に陥るのか

 「大なり小なり心理的にパニック状態になり、まともな行動がとれなくなる。運転席から立てず、ハンドルを握ったままひたすら運転し続けたり、119番をしようと思っても電話のボタンを押すことができないなどのケースもあった」

 −−ひき逃げの検挙率は高いのに、なぜ逃げるのか

 《警察庁によると、死亡ひき逃げ事故は平成19年までの5年間で1239件発生し、1171件を検挙。検挙率は94・5%に上る》

 「検挙率を考えるのは、計画的で冷静な犯罪に限った話。そのような難しいことを考えることができる人はごくわずか」

 −−大阪府富田林市で起きたひき逃げ事件の容疑者は、自宅からわずか20メートルの駐車場に遺体を放置したとみられている

 「冷静な計画からはほど遠い、捕まえてくれといわんばかりの行動だ。怖くなって、とにかくその場から離れたかったのではないか」

 −−今回の容疑者は今年6月にも酒気帯び運転で摘発されている

 「飲酒運転を繰り返す人は、アルコール依存症の場合がある。ごく普通のドライバーであれば少なくともしばらくの間は控えるだろう。また、酔っているときは行動が大胆、大ざっぱになり、普段ではしないような行動に出てしまうことがある」

 −−厳罰化はひき逃げの抑止につながるか

 《14年6月に罰則を強化した改正道交法が施行。ひき逃げは「3年以下の懲役または20万円以下の罰金」から「5年以下の懲役または50万円以下の罰金」とされた》

 「あまり効果はないのではないか。厳罰化によって減るのは『冷静な犯罪』だけだ」

 −−必要な対策は何か

 「気の長い話になるが、子供のころから徹底した交通安全教育をすることしかないだろう。『罰則が重いから』といった考えからではなく、(はねられた人を救護するなどの)行動を自然に行うような教育が必要だ」

計画的で冷静な犯罪……つまり、行うことで利益が得られると思うような犯罪でないと、厳罰化の抑止効果は薄い、という指摘。利益が得られると思うような犯罪とは、たとえば詐欺や窃盗が代表。
考えてみれば当然だろう、ひき逃げという罪は、まず犯したくて犯すものではない。大半は望まぬ事故がきっかけだ。もし、ひき逃げした者が人生をやり直せるなら、当然のように事故を起こさない人生を選ぶはず。ひき逃げは、たとえ罰が軽くても、いや罰が存在しなくても、最初から利益の出ない犯罪なのだ。
殺人や傷害を意図した場合でも同様。そもそも、ひき逃げの困難さ*1、検挙率の高さ*2から考えて、冷静で計算できる犯罪者なら殺人や傷害の手段として用いることはない。そもそも殺人や傷害は感情的な動機が多く、それ自体が衝動的な場合が多い。たとえば記憶に新しい秋葉原殺傷事件も、犯人に逃亡の意図が感じられないどころか、死刑を望んで殺傷したという証言すら出た。ひき逃げを手段とした犯罪でも、まず厳罰化に抑止効果はないのだ。


119番へ電話しようと思った運転手でも、けして冷静なわけではないという冒頭の指摘も重要。
アルコール依存症への言及や*3、末尾の交通教育提言と合わせ、社会全体で取り組まなくてはならないということだ。
個人に全ての責任を背負わせても、社会状況が好転するとは限らない。そして交通事故の被害者が加害者と関係がないとは限らない。親類関係で事故に巻き込む例は少なくないだろう。厳罰化を叫ぶ人は、安全な立場で他人を罰したい欲求を満たしたいだけの人も多いのではないだろうか。

*1:対象が障害物の影に隠れるだけで不可能になる。

*2:重大な人身事故に限るなら、記事よりさらに検挙率が上がるだろう。

*3:アルコール依存症という病気自体も、長らく病気ではなく本人の責任とされ、社会的な救済が必要なことが理解されてこなかった。望まない者へ飲ませようとする社会の同調圧力にも問題があるだろう。厳罰化で周囲から注意喚起を行わせようとしても、アルコール依存症への理解がなければ不首尾に終わるのではないだろうか。