法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

テン・リトル・ホームレス

ハンセン病患者と不潔なホームレスを同一視してはいけない - andalusiaの日記*1

アイレディース宮殿黒川温泉ホテルのハンセン病元患者宿泊拒否事件を思い起こしてください。あの問題が起きたときに、「いや実際ハンセン病の連中は○○だよ」といったような実体験とやらに基づいて、「ハンセン病元患者たちとの共存」という理想を、「理想論だ」と一蹴した人がいたでしょうか?*2

しかしこういう声が聞こえてきます。

ホームレスは病気と違って自己責任だろ? 病人と一緒にするなんておまえ問題発言だぞ?

ここで「うんうんそうだよな」と感じた人はいなかったでしょうか。しかし実はこうした発言にこそ、ホームレスに対する無理解と偏見、差別心が凝縮されているのです。

2008-09-01 - planet カラダン

いやいやいや、ハンセン病元患者と、不潔なホームレスを一緒にするなんて、明らかに問題発言でしょう。だってハンセン病元患者は、不潔でもないし、他の利用者に迷惑でもないんですから*1。無理解と偏見により、今もなお差別があるというのが問題なのです。ですから「実体験」なんてあるわけがないのです。

1:ハンセン病は治る病気で(だから「元患者」なんです)、元患者の外見上の身体の変形は後遺症に過ぎません。元患者から感染する危険はゼロですし、もちろん遺伝もしません。詳しくは厚労省のページ参照。

偏見と無理解があるからこそ、他の利用者に「迷惑」と主張する場合は多い。「臭い」がそうであるように、「迷惑」という概念も漠然としたものだ。
そもそも、アイレディース宮殿黒川温泉ホテルがハンセン病患者を宿泊拒否した理由こそ、「他の客に迷惑がかかる」*2という説明だった。少なくとも現場や経営者の感覚では「迷惑」という説明は充分に妥当性があると考えられていた。
当時、差別ではないといいつつ他の利用者を口実に宿泊拒否を妥当な判断と主張する意見は少なくなかった*3。知らない文脈での抗議活動に対し、市民団体が不当な圧力をかけたと考える人は少なくない。アイヌ民族認知運動の時もそうだった*4

なお、不潔な人に対する宿泊拒否は、多くの都道府県で条例で認められています。↓は北海道のもの。ここまで明文化されていなくても「他の宿泊者に著しく迷惑を及ぼすおそれ」とかの文言はたいていありますね。

反論としては筋違いではないか。
Romance氏は、ホームレスが図書館から排除される不当性を指摘するため、ハンセン病患者が旅館から排除された事件に相似を見出した。この場合は「不潔な人」が「図書館」から排除される法律を引かなければ、依然として相似性は成り立つ*5


ついでに、andalusia氏が批判しているエントリでは、ホームレスの全てが不潔とは限らないことも指摘されている。
2008-09-01 - planet カラダン

ところで、多くの人が、「ホームレス=臭い」と思っているようですね。私が「図書館から排除すべきではない」と主張しただけで、「図書館の機能が失われる」ところまで想像を飛躍させた人たちはみなそうなんでしょう。清潔にしているホームレスも沢山いるんですが、まあそれはいい。

「まあそれはいい」とRomance氏は横に置いているものの、何の注釈もせず「不潔なホームレス」と大前提のように返答することが妥当とは思えない。


ところで、推理小説アガサ・クリスティに、『そして誰もいなくなった』という作品がある。罪人への裁きと称して、童謡の歌詞に合わせた連続殺人が起きる物語だ。
その童謡は「テン・リトル・ニガース」……「十人の小さな黒ん坊」という。現在は、「十人の小さなインディアン」という題名と、それにそった歌詞で知られている。「テン・リトル・インディアンボーイズ」という一節を聞けば思い出す人も多いだろう。
そして誰もいなくなった』が1939年に英国で発表された時の現題名も『テン・リトル・ニガース』だったが、翌年に米国で出版された時は「ニガース」という言葉を避け『十人の小さなインディアン』という題名に変更された*6。『そして誰もいなくなった』という題名になったのは、さらに後のことだ。

インディアンなら差別したことにならない、というところが当時アメリカの社会状況だった。(数が少ないうえに、生活力を奪われており、アイヌ人のような被保護者から脱して市民の地位を得たのは一九二四年)

「ニガース」が「インディアン」であれば差別ではなくなるという考えは大きな誤りだが、かといってアメリカ先住民といいかえるべきという話では全くない。「いやいやいや、元黒人奴隷と、被保護者のインディアンを一緒にするなんて、明らかに問題発言でしょう」などと主張する人間は、現代日本にいないだろうと思いたい。ある属性を持ち出すことが差別だからと別の属性へ変更する思考、それ自体が最も愚かな差別なのだから。
ハンセン病患者の見た目が嫌悪感をもたらすから迷惑、ホームレスの臭いが嫌悪感をもたらすから迷惑……さて、次は子供の声が嫌悪感をもたらすから迷惑、となるだろうか。それともオタクの存在が嫌悪感をもたらすから迷惑、とするだろうか。
そして図書館から誰もいなくなるまで、属性に理由を当てはめていく作業が続けられるのだろうか。

*1:リンクは引用せず。

*2:http://www.nishinippon.co.jp/news/2004/hansen/kiji/kiji48.html

*3:たとえば、成年向けイラストサイトhttp://www.tikuwa.com/index2.html。メニューのTEXTから、事件が起きた時期の過去ログを検索してみてほしい。批判されたり、予約を受けた後の宿泊拒否だったという続報を受けて意見を修正はしているが。

*4:http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20080325/1206485917で言及。

*5:ただ、相似性が成り立つことと、比喩として適切かは別問題。図書館において“他の利用者に「著しく迷惑を及ぼすおそれ」”という文言をかかげることに難しい判断がからむという米国の裁判例もある。

*6:ハヤカワ文庫版『そして誰もいなくなった』の各務三郎氏による解説273頁より。引用時、傍点を太字強調に改めた。