法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『裁判員法廷』芦辺拓著

本書は、二〇〇九年施行の裁判員制度をとりあげた、おそらく本邦初の小説集です。
(あとがきより)

すでに施行の準備が進んでいる裁判員制度を題材とした連作ミステリ。
裁判員法廷二〇〇九』を改題した『審理』の初出は2006年4月号の雑誌、『評議――裁判員法廷二〇〇九』を改題した『評議』の初出は2006年10月および11月号の雑誌。さらに書き下ろしの『自白』までふくめて一冊で評価しても、2008年3月1日が第一刷。日本の裁判員制度を取り入れた初めてのミステリという著者の自負も、あながち誤りではないだろう。
個々の作品も、裁判員制度における諸問題をとりあげており、裁判員として選ばれる過程から、法廷の風景、裁判員が判事とともに評議する様子、判決の後まで、ていねいにわかりやすく小説化されている。それを象徴する趣向として、読者もいずれ裁判員に選ばれる可能性があることを表現するため、裁判員視点の場面では二人称を用いている。
ちなみに、あとがきでは樺島正法弁護士、石松竹雄弁護士への謝意が述べられている。


一つ気になったのが、人権派を標榜する人々への批判が語られていること*1

成人し、少年法の庇護を逃れてからも、状況は大して変わらなかった。俗に言う人権屋どもは、自分たちの失策と無為をごまかすためにか、いっぱしの悪党に育ち、その犯罪的素質を病的に拡大させていった彼のことを陰に陽に守り続けた。

地の文に近い描写で、「人権屋」という表現を用いるのはやめてほしかった。
ついでに、一人の裁判員が弁護士の「引き延ばし工作」を批判する場面も気にかかる*2

「一審判決が出るまでに五年も十年もかかる。それもていねいに証拠調べをするためじゃなく、何か月おきにしか開かれない法廷では、どうでもいいような論点を無限に拾い出して、かえって真相をうやむやにしてしまう。ことに弁護士連中はそれを狙って出廷を拒否したり、不必要な質問を裁判官の制止もかまわずえんえんと続けたり。裁判所が懲戒請求しても弁護士会は無視して何の処分もしないから、しまいには野放し状態になってしまった。市民の司法参加うんぬんとかいうお題目以前に、そういうのがおかしいと思うから裁判員制度が始まって、国民もしぶしぶ協力することにしたんじゃなかったんですかね。少なくともおれなんかはそう解釈してるし、だから仕事を休んでまで国民の義務を果たしに来たわけですよ。それが何ですか、このザマは!」
 何か裁判をめぐる苦い体験でも秘められているのか、一気に不満をぶちまけた。

注意しておくと、この引き延ばし批判は、作中で敵役の立場にあるキャラクターの台詞にすぎない。他の裁判員や判事の視点で「処置に困る」とまで書かれている。しかし、小説の初出が2006年10月ころということから推測すると、光市母子殺害事件の弁護人最高裁欠席を指している可能性は高いだろう。そして台詞の内容については、作中で反論がなされることもなく、肯定も否定もされないままだった。
直後に、裁判を迅速化する制度として集中審理方式に言及され、それが制度としては失敗に終わったと評されていることも皮肉だ*3。なぜなら、当の光市母子殺害事件の差し戻し審こそが、集中審理方式が採用された近年で珍しい裁判だったのだから。もちろん、この小説が書かれた時点では予測もできないことではあったろう。
結局、進行中の裁判を小説において評することは難しいということなのだろう。だから著者も光市母子殺害事件に限らず、作中では基本的に事件や裁判の固有名詞を出していない。
なお、評議から一年半ほどおいて書かれた『自白』は、被疑者が自白しているのに弁護人が無罪を主張する裁判が描かれている。つまり、一見すると必要性がないと感じられる事件でも裁判が必要と指摘する内容で、より深く裁判と弁護の意義をつきつめている。全体的には、けして弁護活動の意義を否定する小説ではないことも注意しておく。


さて、ミステリとして読むと、どれも薄味。
公判前整理手続きが導入されたことを作品に反映し、検察側も弁護側も互いに手の内を相手に一定程度さらけだしていることを前提としているため、法廷の場で争点となるような謎が少ないのだ。
しかも、立件されるほど被疑者が怪しまれる状況に陥っていることが前提なので、被疑者のおかれた状況が酷似してしまい、連続して読むと新鮮味が少ないという問題もある。


以下、ネタバレをふくむ感想。
『審理』の真相はワンアイデアで、いくら被告が怪しいからとはいえ、気づかない検察側が無能。犯行時刻を示す映画の演出が、ちょっと面白かった程度。
『評議』裁判員と職業判事が意見を戦わせて真相にせまっていく描写に、推理物として原初的な楽しみがある。しかし真相は『審理』と似たようなアイデアで、しかも先例がある*4。どちらかといえば、弁護士が手の内をさらせない状況になること、そしてその状況は現実でもありえそうなことが、裁判員制度を用いた今後のミステリに参考とされそうな点が重要か。
『自白』が最もミステリとしてよくできている。古典トリックがこのような形で再生されるとは思わなかったし、トリッキーな構成自体も楽しめた。ただ、何度も使える手ではない。裁判とは別に、自費出版ビジネスと出版業界ゴロを題材にしていることには、少しばかり苦笑い。業界ゴロの嫌らしさがよく書けているからだけではない。『裁判員法廷』は文藝春秋から出版されているのだが、モデルと思われる業界ゴロ作家の推理小説はかつて文藝春秋のミステリランキングで上位につき、批判されたことがあるのだ。

*1:117〜118頁

*2:128頁

*3:128〜129頁

*4:ただ、裁判員制度において圧倒的に不利な被告が一転無罪となるには、これ系統の真相くらいしかなく、しかたない面もあるが。