法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『宇宙砕氷船マスメディア』

厳重注意。
『宇宙砕氷船マスメディア』は、『宇宙戦艦アキバ』と『宇宙空母ニホンバシ』の二次創作であり、多くの設定、名称、展開を依拠している。

http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20080703/1215052052
跳訳・宇宙空母ニホンバシ - 安寿土牢 - ファック文芸部
特に『宇宙空母ニホンバシ』への感想は、『宇宙砕氷船マスメディア』の読後に変わってしまう危険がある。たとえるならば、古典名作推理小説に対するパロディで、別の真犯人がいたという展開をしたような形式になっている。
順序を間違えると楽しめなくなるかもしれないので、少なくとも『宇宙空母ニホンバシ』は先に読んでおくこと。

 
『宇宙砕氷船マスメディア』


 0


 プシュー、と気が抜ける音をたてながら、彗星表層を気化させて宇宙船が潜っていく。
 餌をついばむ鶏に似た姿勢で、着陸脚の爪を彗星表面に食いこませ、通常は攻撃に用いる熱線を氷に当てて溶かす。
 正確にいえば、現実に鳴っている音が聞こえているわけではない。周囲の状況を観測し、機械的に補正した効果音だ。
 地球近傍から敵性人工惑星があると推定される軌道まで、長い楕円をめぐる汚れた氷塊。彗星が生まれたオールト雲までの帰り道。その内部にもぐりこみ、彼方から来た者のもとへと向かう。分厚い氷が私の存在を隠し、目的を果たさせてくれるに違いないと期待する。
 横で眠る少女、アナフィの髪を手櫛で整えてやる。開頭手術から数ヶ月がたち、ようやく肩までの長さに伸びた髪は、重力が働いていれば流れるようななめらかさで、わざわざ整えてやる必要などない。しかし空気が乾燥した無重量の船内では、静電気でからまりあってしまう。整髪剤や髪留めを与えてみたが、アナフィは頭にさわられることを泣いて暴れて嫌がった。ほんの少しの刺激で能力を失ってしまうためだろう。
 アナフィはライザーである。
 能力を失った今も、アナフィは私以外に頭をさわらせない。


 1


 ライザーは人の心を読む。
 どこから来たのか、どこへ行こうとしていたのか、今となっては誰にもわからない。ライザーと人類は太陽系の外で出会い、望まずして戦端が開き、いつ終わるとも知れず互いへの虐殺を続けている。
 人類は各星系に分断され、太陽系ではオールト雲まで戦線が後退した。
「九尾君、これはまるで立体碁だね」
 モニターから次々に消えていく光点をながめながら、銀河教授がつぶやいた。映し出された映像はずっと前に記録されたもので、テレパシーで情報を奪われても今さら危険はない。すでに宇宙軍は新たな陣形を考え、操船技術を進歩させ、より強力な宇宙軍艦を開発している。
「人類が進歩するならば、もちろん彼らも進歩すると考えるのが自然だ。こんな古臭い情報をわたされて、どのような発見を期待しているのだろうかね、軍人さんは」
 たるんだ喉をふるわせて笑う教授に、どう応じればいいかわからなかった。
 立体モニターに投影された光点群は青赤二色で区別され、あたかも軟体生物のようにからみあい、互いに触手をのばして本体を削りあう。赤い光点が触手の先端を切り離した。先端は円錐状の巨大な弾丸となって、青い光点を貫通する。
「自己犠牲は美しいね。罪な美しさだ……どれほど悲劇としてあつかおうと、人間はどこかでそれに酔ってしまう」
 教授は軽口を叩いているが、光が一つ消えるたび確実に一つの命が消えていったことは理解している。だからこそ、軽口を叩いていると考えるべきか。教授は冷たいようにも見えるが、意外と暖かい心も持っている。私に心を読む能力はないが、そう思った。
 やがて青い光点群がはじけたかと思うと、モニター端へ移動し、画面外へと消えた。モニターには赤色の光点のみが残り、とりあえずは人類が勝利したとわかる。
 教授がモニター端近くの、群れからはぐれた赤い光点を指す。すぐ隣に点滅する青い光点。
「これが君達だね」
 教授の問いにうなずく。教授が指さした座標で、私はアナフィと出会った。


 2


 他星系を探索していた人類が出会ったのは、同程度の技術で作られた宇宙船だった。
 噴射炎スペクトルや採集された外殻片を研究して、推進剤から構造物までが、ほぼ同じ物質を同じように処理していると判明した。さらに出入口や手すりと思われる宇宙船外殻の形状から、体格や体型まで人類と似ていることがうかがえた。
 人類は人工的な言語を介して通信を試み、星間物質の希薄な宙域でランデブーする約束をとりかわした。送信されてきた相手自身の姿が、予想以上に人間と酷似していたことも、過剰に信頼してしまった要因だった。
 まず、人類は友好的な態度で会見にのぞんだ。その友好ぶりは、人類の仲間に対するより繊細かつ念入りで、少なくとも相手を傷つけるような仕種は全く見せなかったという。もちろん、相手が攻撃してくれば反撃に転ずる用意はしてあった。
 ゲーム理論でいうところの「囚人のジレンマ問題」だ。まず相手に好意を示し、次からは相手の行動を真似てみせる。互いに相手へ好意を示したなら、好意を真似しあって最善の状態となる。最初に相手が敵意を示したなら、やり返すことで反省をうながし、やはり次善の状態まで持って行く。相手の真似をするという単純な行動原則が、こちらの意図をわかりやすくさせる。相手が人類と似た生命体であれば、互いに利益が出る状態こそ、互いに最も安定した利益がもたらされると考えられた。
 もちろん、こちらが好意のつもりでも、異文明の相手は悪意と受け取る危険はある。しかし人類が相手の行動を真似することで、相手にとっての好意と思える行動を人類が取れるだろうし、相手と真似しあって反応を引き出すことで、徐々に最前の状態に近づいていける。
 そう人類は信じていた。


 3


 華々しい儀式で送り出された大艦隊は、宇宙軍総力をあげた出迎えにより、ただ一隻だけが残った。
 最後の降伏勧告が、あらゆる波長と言語でなされた。感情と理性、信仰と道徳、あらゆる視点と話法をもって説得がなされた。
 それら全てに対する返答は、沈黙だけだった。
 勧告を行った一人が、最後に個人的な問いを発した。
「なぜだブンダー卿、なぜ貴方が人類に反旗をひるがえした」
 ブンダー卿の宇宙戦艦は、やはり沈黙をもって返答とした。
「あれほど人類を愛し、恒星間の有人探索にも自ら志願した貴方が……」
 言葉を乗せた通信波は、絶叫のごとく空間に満ちる攻撃命令にかきけされた。
 全天に満ちていた輝く光の群れが盾から剣へ姿を変え、ただ一艦の、撃沈寸前の宇宙戦艦に突撃する。
 最も強固に守られていた艦橋も打ち砕かれ、真空の宇宙に生身で放り出されながら、ブンダー卿は見た。人類がライザーに虐殺される未来を。そして人類の救世主として自らが指導者になる光景は、ゆるやかに薄れていった。
 口腔から肺までの粘膜が真空にさらされ、傷からあふれた体液が蒸発する。まきちらした血反吐が気化熱で氷と化し、赤黒く毒々しい花が咲く。それも高速で飛びかう破片に吹き飛ばされ、全てが塵に返った。
 ブンダー卿の反乱事件は、それで終わった。


 4


 宇宙服を着た人類の使者がハッチを出て、自らの足で跳躍して相手側に近づいていく。
 相手の宇宙船もハッチらしき物を開き、中から人型をした存在が現れた。内部を防護するように密閉された形状、しかも人型機械と考えるには計器類の配置が非合理的で、宇宙服であることは確実と思われた。
 互いに減速しながら近づいていき、ついには手がふれるかと思った瞬間……相手の宇宙服が爆発した。
 人類の使者は、相手の宇宙服が裂けて一瞬だけ見えた、くったくない笑顔を網膜に焼きつけ、それが最期の記憶となった。
 人類側は大混乱におちいった。事故か自爆か、誰にも判断がつかなかったのだ。囚人のジレンマ理論でいえば、人類側も新たな使者を出して自爆するべきとなるが、まさかそのような行動に出られるわけがない。
 ゲーム理論は意図せざる行動、つまり事故の可能性を排除することで成り立っているといっていい。もちろん、事故が起きる可能性も乗組員達は考慮していた。しかしさすがに相手が突如として爆発するようなことは想定外だった。恒星系の外まで進出した知的生命にとって、宇宙服の技術は相当に枯れたものだろうから、まず滅多に事故など起きるものではない。自爆攻撃と考えても、使者一人を道連れにする程度では割に合わない。
 そうした混乱は命取りになった。宇宙船の操縦系統を、相手の宇宙船が正確に攻撃。人類側の技術が、ほぼ無傷で相手の手に奪われた。
 宇宙船構造や人類側方針を使者に近づくことで読み取り、宇宙船にいるライザーに情報を送ることで正確な攻撃をなしえたのだと推測されたのは、この不幸な出会いから戦争が始まった後のことだ。
 思考をリアライズして把握する能力を持つ敵……ゆえに彼らはリアライザーと名づけられ、ライザーと呼ばれている。


 5


 ここには誰もいない。
 仲間も敵も、誰一人残っていない。
 焼けつくように喉が痛む。空腹と渇きが体の内側から責めさいなんでくる。
 疲労した指の一本一本が重い。操縦桿を握りなおすだけの動きに、中将の長い演説を聞くほどの疲労をおぼえる。
 モニターに映っているのは、視界を上下左右に切り分ける白い十字架。自爆攻撃の直前に勝敗が決し、たまさか生きのびられた者として、責められているような気分だった。自分がライザーでなくて良かった、先に散っていった戦友の怨嗟を聞かなくてすむ。
 永遠の静止かと錯覚するような時間をへて、半壊した戦闘機が視界をおおった。後部の推進機はもちろん姿勢制御装置も大半を失い、十字型の骨格ばかりになっている。戦闘能力がないことはほぼ確実だ。
 着陸脚の一本を腕代わりに伸ばし、ライザー戦闘機の中央部を叩いた。反動で互いに遠ざかろうとするのを、着陸脚の爪を食い込ませて防ぐ。
 割れた外殻から操縦席が露出した。内部に詰まっているのは橙色に光る粘液だ。真空宇宙にさらされ、表面が泡立ったかと思うと、気化熱で凍って白濁する。個体と流体を行き来する粘液は、酸素を多くふくんでいるため肺呼吸を可能とし、戦闘時の衝撃吸収と漂流時の乗員保護をかねる。ライザー戦闘機の標準装備だ。人類の宇宙軍艦でも、隔壁の一部に利用されている。
 粘液の色と形に子供のころ好きだった菓子を思い出し、忘れかけていた飢餓感が呼びさまされる。
 表面が凍った粘液の内部に、人型の影が見える。小さな体躯は子供のようで、しかし白濁した氷にさえぎられ判然としない。意識して呼吸を抑えながら、別の着陸脚を伸ばして粘液に近づかせる。そっと卵の殻を割るように、凍った表面を削るように。
 氷がはがれ、目を閉じたライザーの姿が露出した。宇宙服は着ているが、ヘルメットはかぶっていない。短い頭髪。細い顎。整った鼻筋。閉じた目のまつげが長い。
 ふいにライザーが粘液の底で体をうごめかせ、ゆっくりと目を見開いた。両手を広げ、私をカメラ越しに見上げてくる。まぶたから、細かい気泡が広がる。深く黒い瞳が涙を浮かべているように見える。
 ライザーが魚のように口を開け閉じした。通信が入ったことを示す記号がモニター上部で明滅する。私は震える指で通信装置のスイッチを入れ、息を飲んだ。
 空腹ばかり訴えていた腹が、急に別の痛みをおぼえた。機械が翻訳し、合成音声に変換した機械的な抑揚ではあったが、心を読まれたとしか思えない言葉だった。ライザーの表情も、私の感情を読み取ったからなのだろう。
 わずかな悔しさをおぼえながら、私は一対の着陸脚を操作して、粘液の塊をすくいあげた。
 ライザーは美しい少女だった。宇宙戦闘では、敵の姿と真正面から向き合う機会が少ない。幼いライザーの姿に憎しみは生まれず、哀れみと痛みばかりを感じて、それが悔しかった。
 ライザーは私にいった。
 泣かないで、と。
 自分が生き残ったことを責めないで、と。


 6


「ライザーの能力は、正確にいうとテレパシーではない」
 銀河教授は、これまで人類が拿捕したライザーの、立体透視像をモニターに映した。骨格や筋肉はもちろん、神経系統まで限りなく人間に近い。遺伝子の二重螺旋まで人類と酷似している。理論上は混血児を産むことすら可能だという。
 ただ一つ大きく異なるのは、前頭葉にある親指ほどの小さな空洞だ。
「ある種の生物が寄生していたと考えていい。母の胎内で胎児に寄生しているのか、出産後に寄生しているのかまでは判然としないが。かつて反乱事件を起こしたブンダー卿がライザー能力を得ていたという情報が正しいならば、まず後天的な寄生体であることは間違いないね」
 寄生体は、ほんの少しの刺激で萎縮し、研究のため開頭手術などすれば自ら酵素を出して分解してしまう。ライザー能力を探ることが難しかったのは、前頭葉器官と化した寄生体が脆弱すぎたためだ。
「この前頭葉体がライザー能力をもたらしている。宿主の利益は寄生体の利益だからね。前頭葉体の超光速通信に対する反応から見て、先進波を受信し認識していると推測される」
 先進波というものは、私にはよく理解できない。人類が太陽系外に進出していた時代に、超光速通信から星間移動にまで応用されていたという知識を持っているだけで、原理までは全くわからない。
 教授は続けて「我々の住む世界において先進波は通常の電磁波で打ち消されるが、観測可能な可能性世界がある。前頭葉体は先進波を受信した並行世界の自己といれかわり、未来情報をライザーに渡している」とか、「可能性世界を横断する前頭葉体は、人類の観測で波動収束して自己を維持できなくなる。手術に反応して酵素を出し分解するという把握は、正確には誤りだ。手術して研究しようとすると、自己を維持できないような酵素を生むような存在として、人類に認識されてしまうのだ」とか、とうてい理解できないことを説明した。
 私の表情を見て、教授は余談がすぎたと反省したらしい。
「先進波は、時間を超越する波と考えれば、それでかまわない。ライザーは先進波を受信して未来を見ている。つまりテレパシーは、一種の予知というわけだ。テレパシーが光より速く届く理由も、先進波だからということになる」
「未来が見えるなら、なぜライザーは人類に勝てないのです。嘘の情報を信じている人間に、ライザーが騙される理由がわかりません」
 疑問をぶつけると、教授はたっぷり笑顔で時間をため、口を開いた。
「未来が確定していないからだ」
 私は首をかしげた。
「我々が未来に何をするか、我々自身にもわからない。ライザーが見る未来は、確率の雲がたゆたう混沌とした風景なのだろう」
 私はアナフィを横目で見やった。何を考えているのか、アナフィは髪の毛先を指でもてあそびながら、時おりくすぐったそうに笑っては私を見つめてくる。
「嘘の情報を信じこまされた人間は、ある程度の未来まで誤った行動を取る。その姿が一定の確率として見えるライザーは、騙されたかのような反応をする。我々が使っている作戦も、確率を複雑に変動させるがために効果をあげているわけだ。あらゆる物質を透過し、どこまでも届くテレパシーが、遠距離で実質的に使えなくなるのは、観測域が広くなりすぎて確率処理能力を超えてしまうため、と推測される」
「では、無人兵器が対ライザー戦闘で効果を上げられないのは……」
「思考していない自動操縦がライザーに読まれるのは、確率の幅が手動操縦よりせばまるからだろうな。ちなみに本当は順番が逆で、無人兵器が無効だったから、ライザーが心を読んでいないとわかったんだ。脳の仕組みなんかとは関係ない、とね。ほとんど無駄な行動や失敗をしないからこそ、未来がしぼられる。奴隷階級として作り上げた亜人類を超える人工知能を、人類はまだ生み出せないでいる」
 私は、人類がライザーと最初に接触した時のことを思い出していた。予測しようのない事故だったからこそ、人類はどう対応すればいいかわからなかった。
「我々が雲のようにあやふやな存在に見えているからこそ、感情のようなあやふやなものを読み取っているように、ライザーが行動して見えるのだろう。結局、心というものは物理的な反応として観測するしかないということだね」
 教授は静かに目を閉じた。
「何となく、わかったような気はします。しかしライザー能力がテレパシーではなく予知だったとして、我々と何の関係があるのでしょうか」
「全てだよ」
 教授はモニターに人類とライザーの戦闘記録を映した。
「ライザーが人類と戦う理由、ライザーの社会機構、そして戦争を止められる可能性、全てに関わってくる仮説だ」


 7


 私は足をしっかりと踏みしめ、山田を殴りつけた。脳を沸騰させる怒りが、拳の痛みを感じなくさせた。低重力ではあるが質量は変わらないので、さほど遠くまで山田は飛ばず、それだけが残念だった。
 ライザーの少女は手術着を羽織っただけの姿で寝台に座り、私と同僚のいさかいを無言でながめている。
「俺が何をしていただと。何もしやしないさ、しようとも思わない。おまえと一緒にするな、誰がライザーに……」
 怒りの波が再び寄せてきて、私は拳を振り上げた。しかし、振り下ろしはしなかった。理性が感情を押しとどめ、徐々に冷静さを取り戻していく。興奮は往々にして断続的なものであり、努力すれば自制できなくはない。
「俺は、聞いてみただけさ。おまえが何を望んでいるかをな。答えてくれたよ、おまえは……」
 気づいた時には山田の鼻から血が噴出し、私の拳も歯で切ったためか血が垂れている。しびれるような痛みが拳から伝わってくる。
 それでも痛みを気にせず再び振り上げた拳を、背後からつかむ者がいた。
「やめなさい、君達」
 山田が表情に驚きを浮かべている。私は不自然な姿勢でふりむいた。軍医であると示す白衣の、袖だけが見えた。細い枯れ木のような腕だが、すさまじい力で私を拘束し、山田が距離を取るまでそれは続いた。
 拘束を解かれてすぐふりかえった私も、山田と同じようにあぜんとした。
「そうか思い出した、銀河教授か。あんた、有名人だったな」
 山田は有名人、という部分に皮肉な響きを持たせた。白衣の階級は私達よりずっと上で、一年たつだけでもらえる種類の勲章が少ないところから見て、ごく短期間で出世したことがわかる。
「指揮系統が異なるとはいえ、これでも私は君達より階級が上なのだがね」
 銀河という男は溜め息をついた。
「まあいい、どちらの行為も見なかったことにしよう。ただ、山田君だったか、君はこれからすぐに特別攻撃に入るのだろう。せめて恥じることのない行動を心がけなさい」
 山田は床に血液混じりの唾をはいた。
「あとで医務室に行くように」
 そう教授は山田の背中に声をかけた。それから私に向き直る。
「さて、これからアナフィの手術をするわけだが、君も横で見るかね」
 私の困惑を察してか、アナフィとはライザーの少女につけた名前だと教授は説明した。
「私がつけた名前だよ、可憐だろう。古典から思いついたんだよ。アナフィ自身も気にいっている」
 そういって教授は片目をつぶった。正直いって不気味だった。
「いえ、それよりも手術とは何の話です。ライザーでも捕虜としての権利はいくらか持っているはずですが」
「おやそうか、君は知らなかったか。うん、最近になって決定されたのだが……」
「卑怯者が、偉そうにするなよ」
 背後から聞こえた声にふりむくと、山田は鼻からあふれる血をぬぐいつつも、怒っているわけでも笑っているわけでもなく、まるで私をあわれんでいるような表情をしていた。
 閉じる扉から視線を私に戻し、教授がいった。
「気にすることはない。激しい戦いで生き残った上に、五体満足のライザーを連れて帰っただけで、君の功績は勲章ものだ」
 そして教授は寝台を指し、私に腰かけるようにいう。教授自身も椅子を引いて座ったので、私もしかたなく腰をおろした。
 アナフィがよりかかってきたので横を見ると、全くの無表情をしていて、どうするべきかわからず、なすがままにした。
「さて、手術についてだったね。君も知ってのとおり、ライザーは人の心を読む。正確には違う能力なのだが、ともかく人類が大勢集まる場所にいると脳の処理能力を超えてしまう。しかもここは軍艦で、ライザーを憎悪している者ばかりだ。能力をそのままにしておけば心が狂気にむしばまれてしまう。手術で能力を奪うことはライザー自身のためでもあるのだよ。たしかに最初はライザー能力の秘密を調べるための手術だったらしいが、もう生体解剖は必要ないほどやりつくしているからね」
 怪しげな話をして、教授は笑った。
「そんな目で見ずに、信用してほしいな。おそらく資料自体は君にも渡されているはずだ。まあ君がそうだからアナフィがなついているのだろうね……」
 精一杯の反抗としてにらみつけてやると、教授はまたたきをし、目を細めた。
「うん、君になら任せられるかもしれないな。私の計画を」
 そして教授は扉に鍵をかけ、長い話を始めた。


 8


「ライザーが思考ではなく未来の行動を読んでいるとすると、一つ確実なことがわかる」
 ふしくれだった指を一本、教授が立てた。
「ライザーは、他のライザー個体に対しても能力を使える。心理的障壁で仲間同士は能力を使えないという仮説は、もはや説得力を持たない」
「自己暗示などを使えば、我々人類でもライザーを騙すことはできますが」
「人類がライザーと対峙するのは、ごく限られた状況にすぎないよ。戦場では、わずかな選択の違いで結果が大きく変わる。選択肢を考える時間もきわめて短い。しかし社会生活ではそうはいかない。しかもライザーは単純な思考しか持てない幼少期から、ライザーに囲まれて育つ。我々と全く異なる心理や知性を持っていると考えるのが自然だ」
「あまりに人類と酷似した生命だから、気づかなかったということですか」
「技術の進歩も同程度だったしね。ある意味では不幸というしかない」
 そして教授は指をモニターに向けた。
「この戦闘を見て、何か連想するものはないかな」
 青と赤の光が群れをなし、うごめいている。
「……軟体生物と似ているくらいにしか感じません」
「それで大正解だ」
 私達の会話が理解できているのかどうか、笑顔の教授を見てアナフィが拍手した。
「ライザーは個々が知性を持った生物に見える。しかし人類と違って個々をへだてる心の壁はないんだよ。互いに嘘をつく能力は必要ない。原始には嘘をつく能力を持つ種族もいたかもしれないが、淘汰されていったに違いない。原始時代では、仲間に嘘をつく共同体より、情報を共有しやすい共同体が生き残りやすいはずだからね。かつての人類も嘘は高度で難解な行為だったが、ライザーは嘘がつけないまま進化した」
「しかし、それで知的生命として成り立つのですか」
「考えを変えるんだ。個々で情報を共有する巨大な生命群。そう、つまりライザーは全体で一つの知性体を形成しているわけだ。植物や粘菌のようにね」
 アナフィがうなずく。教授の心を読んで、調子を合わせているだけかもしれないが、私は説得力を感じずにいられなかった。
「最初の遭遇がああいう顛末となった理由も説明できる。ライザーにとって、予定された一人の死など大した損失ではないのさ。細胞の一個が消えたにすぎない。ライザー全体を一人の人間にたとえるなら、別の人間に初めて出会ったから、おっかなびっくりつついてみたって程度だな」
「では、人類の反応はライザーにとって予期しないものだったということですか」
 構成する個体一つを重要視しないライザーにとって、人類が個々の人間を思いやる気持ちが理解できるはずもない。
「さあ、それはどうかな……」
 銀河教授は初めて難しい顔をした。
「知ってのとおり、人類社会はライザーとの総力戦を行うため、軍隊が社会の中心となり、復活した階級制度も強く固定された。階級性の科学的な根拠として、人権のない亜人間も作られた。戦争に必要とされたため科学技術の発展もめざましいものだ。太陽系の外へ進出してしばらく文明が停滞していた人類の歴史から考えると、奇跡といってもいい」
「戦争が文明を進歩させるというわけですか」
「人類同士の戦争で、実際に文明が進歩した例は少ないが、今回は認めざるをえないな。人類は、群体としては確実に進化している。ライザーにとって今の戦いは人類に対する好意に他ならない。兵士個々の死も、ある種の対話みたいなものだ。君には経験がありそうだが、友人と喧嘩した後、一緒に夕陽へ向かって走るようなものだね」
 教授の冗談で笑える気分ではなかった。
「認めたくないだろうが、心を読める存在と争って戦局を停滞させるなど、人類には不可能だ。可能だったとすれば、相手が適度に手を抜いて戦っていたからだよ」
「戦いに必死すぎて、そのことに気づいていないということですか」
 教授はかぶりをふった。
「いや私が気づくことくらい、ずっと前に気づくべき人はいくらでもいる。実際これまで話したことのいくつかは、論文として提出もされていた。だが軍人さんに握りつぶされた。君達はともかく、少なくとも上層部は戦争を続けたがっているようだね」
「……私が知る限り、保身に汲々としているような軍人は上層部にはいません」
 やたら演説が長かった中将の顔を思い出す。良くも悪くも自分が口にしている内容を心底から信じているように見えた。
「ならば動機が保身ではないというだけさ。人類文明を進歩させるための確信犯でもないだろうな。おおかた戦場で散っていく若者の犠牲に酔っているんだろう」
 私には言い返す気力がなかった。中将は兵士の死に涙を流していた。
「戦場で犠牲を強いられる君達が、感情を納得させる理屈を考えるのはしかたがない。欺瞞でしかないとしてもね。しかし戦場から遠く離れて自己犠牲に酔っている人は醜いと思うよ。しょせん私も、安全な立場からの奇麗事をいっているだけだけどね」
 教授は立ち上がり、ついてくるようアナフィにうながした。
「そろそろ時間だからね。話の続きは手術が終わってからにしようか」
 それまで笑顔だったアナフィが、急に首を横にふって私へしがみついてくる。教授は頭をかいた。
「やはり、能力を失うこと自体に本能的な恐怖をおぼえるか。前もって伝えたし、予知もしているはずなんだけどね。たのみがあるんだが九尾君、彼女のためにつきそってくれないかな」
「……いたずらに苦しめるようなことをした場合、現行犯として処罰してよろしければ」
 腰の拳銃に手をやる私に、教授は破顔した。
「ふむ、本当に君なら計画をやりとげてくれるかもしれない」
 そして深々と何度もうなずいた。


 9


 私達は戦闘機が並ぶ戦闘甲板に立った。
 計画は単純なものだ。人類の使者を送り、全てをやりなおす。発進後に近傍を通る彗星内部に隠れ、オールト雲にあるライザーの戦闘惑星へ向かう。もちろん隠れるのはライザーに対してではなく、人類軍に対してだ。
 銀河教授を中心とする一部集団による計画だが、だからこそ成功の芽があると説明された。
「最初の使者の失敗は、人類が協議を重ねて群体として計画を遂行したから、ライザーは相手も群体知性なのだと勘違いしたのだ。この計画は、ありふれた一人の人間である君だからこそ、できる仕事だ。人類社会を構成する個々がかけがえのない存在であるとライザーに示すためには、個性的かつ能力が突出していない人間でなければならない」
 能力が低いと婉曲にいわれて、私は苦笑した。
 ライザーとの対話方法については、アナフィの記憶も助けになった。ライザーは能力こそ前頭葉体を必要としたが、記憶や思考は人間と同じように自身の脳を用いている。
「アナフィは能力を失ったが、ライザーとして受けいれられるはずだよ。これまで能力を失ったライザーが集団から疎外されたり殺されたりした例はない。能力が必要なら寄生をやりなおせばいいし、そもそも生殖には全く支障がない。人類の使者を導き、異なる知性を引き合わすには適任だと思うよ」
 さすがに、どういう顔をすればいいのかわからなかった。
「じゃ、さよならだ。もう二度と会うこともないだろう」
 教授はにこやかに笑って手を伸ばしてきた。その分厚い手のひらを私は握りかえす。亜人間独特の冷たい肌を通して、暖かいものを感じた。
「本来なら、計画を立てた私が使者となるべきだった。学者としての興味はもちろん、こう見えても万が一の危険を他人に負わせたくはないんだよ。しかしさすがに研究目的を離れて宇宙船操縦法を習ったりは許されないし、私の寿命はきわめて短い」
 空を見上げて教授がつぶやく。
「君が人類の使者として平和を獲得すること、何より命を散らさないで帰還することを祈っているよ」
 私は、ふと思いついた言葉を口にした。
「なるほど、私は人類の平和がため必要な犠牲というわけですか」
 先に死んでいった仲間達のために、なけなしの勇気をふりしぼらなければならなかった山田のために、少し反撃しておきたかった。
 たるんだ喉をふるわせ、教授が笑った。
「そうだな、全くそうだ」
 そして頭をふる。
「きたるべき世界、平和な未来をぜひ目撃ほしい。それまで生きていることができない私の代わりに」
 戦闘機に搭乗する前、人類の宇宙服を着て変装しているアナフィが袖口を握ってきた。
「信じているよ」
 アナフィがいった。
「あの人、あなたを信じている」
 そう、一度信じたなら、最後まで信じるべきだったのだ。
 囚人のジレンマが本当に通用しないのか、人類は試すべきだった。
 人類が自爆攻撃を行っているから、ライザーも自爆攻撃をやめないのだろう。もともと異なる文化を持つ相手である可能性は考慮していたはずだ。平和的な交渉を続ける余地はきっと存在した。
「私という個体は、試したんだよ」
 アナフィが続けていった。
「そろそろ破壊されるつもりだったから、罵ったり、笑ったり、泣いたり、閉じこもったり、だけどどんな選択も、私という個体はオールト雲に送り返されるだけだとわかった。目の前にいたあなたという個体は、あらゆる個体の消滅を拒絶していることがわかった。他の人類個体消滅を高い濃度で認識して、判断能力が壊れてしまったんだと思った。それをあなたに伝えて、ようやく私という個体は破壊されないまでも、人類に捕獲される未来にたどりついた。そうしたら、あなたという個体が人類全体と意識を共有できていないということを知った」
 ああ、と私はうなずいた。
「まだ私という個体は理解できていないけれど、あなたが個体の消滅を拒絶するという知識は持てたよ。だから個体の価値はライザーには伝わらないのだけれど、個体に価値があると人類が思考していることも伝わると思う」
 すぐ近くで仲間達の命が消えつつある。私はヘルメットのバイザーを下ろした。
「ああ、きっと伝わるさ」
 理由もわからないまま、私は泣いていた。


 了