法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『NHKスペシャル』言論を支配せよ〜“プーチン帝国”とメディア〜

〜「私はデスクと記者を集めて、こう言いました。ノーバヤ・ガゼータを閉鎖しよう。この新聞で働くことは命を危険にさらすことになる。しかし……誰もこの提案を支持しませんでした」ドミトリー・ムラートフ編集長〜
とりわけ印象に残ったのが中盤。チェチェン戦争の実態を報じてエリツィン政権を終焉させた民間最大TV局NTVが、プーチンによる圧力で変貌し、ついに実質的な政府広報局にまで転落する姿だ。
屈した結果として編集局長にまで抜擢された元女性キャスター、タチアナ・ミトコーワ。報道機関を転々として小さなインターネットTV局でキャスターをつとめる元社長、エブゲーニ・キセリョフ。ジャーナリストを育てようとモスクワ大学で教鞭をとる女性リポーター、エレーナ・マシューク。横領容疑による元オーナーの逮捕、プーチン政権による株取得など、念入りに牙を抜かれた三者三様の姿。
特に、かつてチェチェン戦争を報道し、初期のプーチン介入に抗したタチアナ・ミトコーワが、すっかり政権に身をゆだねてしまった現在の姿は『動物農場』の結末にも似て痛い。日本の市民運動史を思えば、他人事と思えなかった。


ロシアでは「国益」という、あまりな名前の一時間“討論”番組も存在する。登場するのは与党議員や、与党を支持する著名人。観客も与党支持者から集められる。さらにスタジオ片隅で与党最高幹部の補佐官がひかえ、与党を肯定する発言などに拍手し、観客席を同調させる。
国営ロシアテレビのキャスター、ドミトリー・キセリョフが語る。「欧米から見ると奇妙でしょうが、ロシアの国民は事実を並べただけでは、何も判断できない。だから、我々が教えてあげるのです。……与党統一ロシアを信じなさい、とね」


そうして有力なTV局が全て政権の傘下におさまる一方で、プーチン政権に反抗するメディアもある。発行部数50万部のノーバヤ・ガゼータ紙。読者層は都市部の知識層。
所属したアンナ・ポリトコフスカヤ記者が、自宅アパートのエレベーターで射殺された事件は記憶に新しい。会議室には彼女をふくめ、不審死した記者の遺影が片隅にかかっている。
ドミトリー・ムラートフ編集長が心の内をうちあける。「私は今でもこの新聞を閉鎖することを考えています。なぜなら、私達は、報道姿勢を変えること……つまりは身の安全……とひきかえに政府に忠誠を誓うことなど、出来ないからです
番組で注目される調査報道は、与党政治家を恐喝した容疑で逮捕された野党政治家の事件。録音された会話から、罪を告発しようとした野党政治家が与党政治家に脅迫され、政権の意図で逮捕された真相が臭わされる。しかし、政権を直接的に批判する文章は現状では難しいと判断され、記事から削られた。綱渡りのようにしか行えない政権批判。


終盤に、プーチンがTVを通してロシア国民と直接対話する番組が紹介される。直接国民の願いを聞くというパフォーマンスで、地方在住の一般的な人々がプーチンを支持する。
もちろん支持の理由はそれだけではなく、プーチン政権になってから経済が安定しているという背景も言及された。共産主義政治が崩壊し、一定の自由がもたらされた後、むしろ社会保障が不安定になったことで独裁政治が支持される……アドルフ・ヒトラーの台頭を連想することは、あまりにたやすく、逆に拒否感があるくらいだ。
そしてプーチンは形式的に大統領を退きつつも、首相に就任して二頭体制を確立する。様々な野党への妨害活動は不問にされて。


NHKスペシャル」のタイトルがノイズのように消える冒頭から、この『NHKスペシャル』自体がTV番組であることを強く意識させる。そう、NHKにとっても政治の介入は他人事ではない*1。そして、程度の差はあっても、どこの国のどのメディアでも起こりえることだろう。むしろ、広報活動に全く力を使わない政治は、逆に無能ともいえる。
だから、もちろん私達にとっても他人事ではない。

*1:実際、スタッフクレジットを見ると、NHKが主体となって制作した番組のようだった。