法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

光市母子殺害事件の被告へ死刑判決

どのような判決でも検察側弁護側のどちらかが上告すると予想されていたし*1、これが必ずしも終わりだとは思わない。ただし一つの区切りではあるだろう。
死刑判決そのものも、けして意外ではなかった。


一応、判決文を子細に読み解いたわけでもない非専門家として、報道された範囲に対してのみの感想も書いておく。
死刑判決ならば、裁判所は真正面から弁護側主張を叩き潰してほしかった。そう判断できるような報道がほしかった。弁護側がいっていたように、これが実質的な第一審として。以前に、モトケン弁護士*2の方が、公開されていた遺体所見等を基に、弁護側主張へ詳細な批判をしていたことがあった。裁判所も同様に、主張変更は傍において、物証で弁護側主張をしりぞけることを期待していた。死刑判決を出すくらいなのだから、それが不可能だったはずはない。
最高裁の差し戻しによって恭順路線*3で死刑回避ができなくなった以上*4、弁護側の主張変更は必然的な選択だったといっていい*5
実質的に一審の主張を否定した上で、一審と異なる主張をしたことを無反省の理由としたのは、強い違和感があった。この点については、以下のエントリで映画『キャッチ22』を引いて端的に指摘されていた
メンヘルCatch-22――光市母子殺害事件、不当判決についての雑感 - (元)登校拒否系
もちろん、さすがに主張を変えただけが判決理由ではない。新聞紙に載っていた判決要旨によると、法廷という比較的自由な状況で事実関係を認め、6年という長い年月にわたってひるがえさず、初対面の弁護士に対して新証言を行ったといった理由が指摘されていた。また、一審の弁護人との深い信頼関係をうかがわせる指摘も行っていたという。……しかし、過去の冤罪事件を引いて考えると、どうにも説得力がないという感想を持ってしまう。
現在の報道を見る限りは全く情報が足りないし、そもそも報道側が主張変更を重要視する要約をしている可能性もなくはない。いずれ判決全体に対する、専門家からの詳細な評価が行われることを期待したいところ。


あと、どのような刑がくだるかとは全く別に、一つ期待が外れたのは残念だった。
風の精ルーラ氏がすでにエントリで指摘していた話だが*6、傍論で弁護活動の必要性について言及してほしかった。弁護団が自身のためでなく被告人の利益を最優先にしている以上、それで上告しなくなるなどとは考えられないが、司法への信頼を守る一つの方法だったろう。
しかし、一審の被告人主張を全面的に信頼して主張変更を反省の意思無しと判断したのでは、主張変更を被告人が持つ当然の権利という傍論をつけることは困難だったろうな、とは感じる。もともと傍論が異例なものであることも確かだし。

*1:個人的には死刑判決が出つつ、被告人に上告の意思がない場合も考えていたが。ちなみに風の精ルーラ氏によると「おそらく、被告人の意思を確認せずに上告をすることも許されるでしょう。被告人が嫌なら自分で取り下げて、ということです」http://plaza.rakuten.co.jp/igolawfuwari/diary/200804210000/

*2:http://www.yabelab.net/blog/

*3:ただし、一審二審がそうであった、被告人が真実の主張をしていなかったとは、断言できるわけでもない。

*4:情状酌量による減刑は一審二審でつくされた上で、最高裁が差し戻したのだから、安田弁護士による「荒唐無稽」という評は妥当だろう。

*5:ちなみに、被告人が望む通りに弁護士は主張を展開させなければならない。だから、弁護側の主張全体と、弁護士個人の思考は同一とは限らない。念のため。

*6:http://plaza.rakuten.co.jp/igolawfuwari/diary/200804210000/和歌山毒物カレー事件で黙秘権の必要性にふれた例も引いている。