宮沢賢治という、岩手県花巻村出身の作家がいる……などと、あえて紹介する必要はないだろう。それほど著名な作家だ。
一応、教職についたり農業技術の研究を行い*1、『春と修羅』等で知られるような詩を発表。さらに理想境「イーハトーブ」を舞台とする小説群は、現在でも多くの愛読者を獲得している。……という基本情報さえ押さえていれば問題ない。
さて、宮沢賢治の作品に『ツェねずみ』という寓話がある。
宮沢賢治 ツェねずみ
ある古い家の、まっくらな天井裏に、「ツェ」という名まえのねずみがすんでいました。
ある日ツェねずみは、きょろきょろ四方を見まわしながら、床下街道(ゆかしたかいどう)を歩いていますと、向こうからいたちが、何かいいものをたくさんもって、風のように走って参りました。そしてツェねずみを見て、ちょっとたちどまって早口に言いました。
「おい、ツェねずみ。お前んとこの戸棚(とだな)の穴から、金米糖(こんぺいとう)がばらばらこぼれているぜ。早く行ってひろいな。」
動物や道具を擬人化し、ごく普遍的な教訓が物語られている*2。宮沢賢治作品としては、特に引っかかるような作品とは思えない。
ところがこの『ツェねずみ』について、ネットの一部で驚くべき説がとなえられている。
http://ameblo.jp/worldwalker2/entry-10021980989.html
宮沢賢治が朝鮮人を題材にしたと思われる『ツェねずみ』です。
いい人もいると当たり前のことをわざわざ言わなければならないほど悪人が多い。いい人に見える場合も、不良がゴミを拾うと善人に見える程度の話が多い。
とりあえず、作品発表の時代性を全く考慮していないのが奇妙すぎる。宮沢賢治が生きた時代に、朝鮮半島に住んでいた人々が賠償を求めることなど考えられない。何しろ植民地時代の朝鮮半島は、選挙権すら持っていなかった。有形無形の差別が厳然としてあったのだ。
それどころか戦後にしても、北朝鮮は日本と国交を回復しているとはいえず、植民地時代の問題は多くが棚上げされたまま*3。韓国も長く親日軍事独裁政権*4が支配していたため、韓国人が日本に対して補償や謝罪を求められるようになったのは、つい最近だ。
朝鮮人が逆恨みで謝罪と賠償をしつこく求めているなどという考えを持っているなら、それは歴史に対する無知から来る被害妄想といわざるをえない。つまり、「ツェねずみ」のモデルを朝鮮に求めた者は、自分自身こそが「ツェねずみ」であると告白しているに等しいのだ。
実際に朝鮮人が登場する宮沢賢治作品として『いたつきてゆめみなやみし』という詩も存在する*5。
いたつきてゆめみなやみし
(冬なりき) 誰ともしらず、
そのかみの高麗の軍楽、
うち鼓して過ぎれるありき。
その線の工事了りて、
あるものはみちにさらばひ、
あるものは火をはなつてふ、
かくてまた冬はきたりぬ。
時代の制約は感じなくもない。しかし少なくとも、年を越せるかどうかも不安な、苦しい生活を送っていた朝鮮人を嫌悪したり差別したりしているようには読めない。
身体に問題をかかえた「デクノボー」の宮沢賢治は、不安定な立場に追いやられた人々を見下さない*6。弱き者として、さらに弱き者へ共感する目線を持っていた。
ついでに、特殊な人々が存在を否定しようと躍起になっている朝鮮半島の文化も、「そのかみの高麗の軍楽」と折り込まれている。
そもそも宮沢賢治が、他民族を寓話で否定するような視野の狭い作家だったと思う時点で間違いなのだ。たとえば宮沢賢治は世界共通語として提唱されたエスペラント語に興味を持ち、作品にも使用している。エスペラント語は普及しなかったが、その理想を作品に込めた宮沢賢治が何を希求していたか、想像するのは難しくない。
あえて嫌味な表現をするが、この『ツェねずみ』を朝鮮に重ねあわせて嘲笑する行為は、日本が誇るべき作家を愚弄する「反日」的な言動に他ならない。
自身の所属する集団を絶対視して視野をせばめた結果、自身の所属する集団の文化をもおとしめる、皮肉な話だ。
ちなみに宮沢賢治は世界的な視野を求めつつも、国粋的団体「国柱会」に所属していた。世界的視野と愛郷心を両立させることは簡単ではなく、一個人としての宮沢賢治は自身の理想を体現できなかったかもしれない。しかし作家は理想を物語として形にすることができる。宮沢賢治はそうしていた。
だから「岩手」をエスペラント語で発音すると、理想境……「イーハトーブ」となる。
*1:内容が夢想的にすぎて、あまり現実には実を結ばなかったが。
*2:ちなみにツェねずみは『クねずみ』のような別作品でも言及されている。http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/1946_11970.html筋立てが単純で全て予想範囲内におさまる『ツェねずみ』より、物語としては『クねずみ』が好み。
*4:韓国語で「親日」は大日本帝国に対して協力的という意味の言葉であり、それにならった。韓国において「反日」の対義語は「知日」。ちなみに『嫌韓流』作者の山野車輪氏は、反日の対義語を知日と知らず、頓珍漢な批判をしていたことがある。
*5:http://www.konan-wu.ac.jp/~nobutoki/bungoshi1ug00.htmlから引用。細かい解説も参照のこと。
*6:事実、この時の宮沢賢治は病床にあった。裕福な金貸しの家に生まれたものの、健康的な問題で兵役につけなったような宮沢賢治は、時代的に見て相当な鬱屈をかかえていたと思うのだが、これは個人的な想像。