もう何度も取り上げてきた『諸君!』2007年7月号「「従軍慰安婦」置き去りにされた真実」の33頁より、大沼氏の発言。強調引用者。
講和条約締結後も個人の請求権が認められるかという問題は、国際法学者の間でも見解が分かれます。「国家の講和と個人の請求権は別」と強く主張される学者もおり、学問的には議論の余地がある問題です。個人補償を求める運動体や議員は、そのような解釈に依拠して主張を繰り広げています。しかし、反対の学説も強い。特に、判例は圧倒的に反対説が強い。
つまり、学問的には決着していないと大沼氏は考えている。ただ裁判では個人への補償を命じられることはなかった*1というだけの話だ。こと国家の責任が問われる問題で判例がどの程度の信頼性を持てるかというと、私はあまり信用を置けない。
大沼氏も34頁でフランスの自由権規約委員会*2と比較して、日本の裁判所の態度について批判している。
ところが、一番勝てるはずの軍人・軍属の年金問題でさえ裁判で勝てなかった。在日韓国・朝鮮人の軍人・軍属による請求は、最終的にすべて棄却されています。ことほど左様に、日本の裁判所は保守的なんです。
大沼氏が補償ではなく基金の形で慰安婦を救おうとしたのは、あくまで日本政府からの補償が期待できないからだ*3。勝利が期待できない戦いをするより、基金が悪役にされてもいいから*4被害者を救おうとした、それが大沼氏の立場だ。
法の立場、学問の立場で補償の根拠がない……という話ではない。