桶谷顕氏が亡くなったので追悼代わりに軽く見直し、以前に視聴した記憶を交えながら紹介半分に感想。
この作品はもともと神田武幸監督が制作途中で亡くなったため、途中から飯田馬之介監督が引き継ぎ、前半と後半で話の方向性が大きく異なっている。
さらに最終回前後編で桶谷顕氏は脚本原案だけとなり、エピローグ的な作品は監督からして別個のスタッフが立てられていて、あまり脚本家の味が前面に出ているとはいいがたい。
それでも、シリーズ構成をしていただけあって、いくつか桶谷脚本らしさを感じる箇所はある。
まずは5話までの前半。『コンバット』風味のロボットアニメをガンダムで作ってみたという感じで、後半に繋がる伏線はいくつかあるものの、雰囲気はゆるい。主人公シローは若くしてMS*1部隊の小隊長となり戦闘を重ねるが、切迫感はあまりない。戦場という極限状況の中、それなりに折り合いをつけて生きていく愚連隊の物語だ。5話で小隊の一人エドが戦傷で前線を離れるが、後半の描写と比べると相当に軽い描写だ*2。
神田監督の遺作でありつつ、飯田監督がコンテ演出を行った6話。映像に力が入り、砂漠の光量を意識した色設計や、人物とメカを同じ構図に入れることで画面の現実感が増している。メカ描写のディテールも増やし、敵を待ち続ける時間をじっくり描き、登場人物はストレスを溜めていき、構築されつつあった仲間意識も一度崩壊する。年少の兵士ミゲルが敵兵器と対峙する場面を、エドが負傷した戦闘場面と比べると、戦場に対する意識の違いが顕著だ。
そして7話からの後半戦。主人公は毎回のように理想をとなえ、戦争の前に挫折していく。些細な行き違いから戦闘が始まり、軍事法廷で理想論を語った自身を否定するように主人公が敵兵士を殺す8話は、シリーズの白眉だ。病院船をめぐる最終回の展開も、戦争犯罪に興味があると色々感じるところがある。
後半は、飯田監督が全話のコンテ演出を担当。巨大感を強調したMSは威圧感があり、名も無き兵も名のある将も容赦なく戦死し、あるいは謀殺されていく。主人公は仲間のためという動機も嘲笑され、理想とする軍人にもなれず、組織からも切り捨てられながら、戦う動機を探っていく。
つまるところ日本アニメでは珍しくない組織から逃げる物語だが、葛藤を念入りに描き込んでいるため説得力があり、主人公の選択に重みがあるのだ*3。
エピローグとなる『ラスト・リゾート』*4は一般人の服装からしてベトナムを強く意識している。行方不明の人物を奥地に探すプロットは『地獄の黙示録』を思い出させるし、中盤で墓に入れた死者を見つめるカットは明らかに『フルメタルジャケット』の引用だ。
しかし、そこで示されるのは悲劇ではない。戦争の中で打ち捨てられ、個別性を奪われ、見捨てられた人々の、戦後を生き抜いていく姿だ。
脚本家こそ違うが、長い物語の結末に生きることの価値が歌われる内容に、あらためて桶谷顕氏の死を思う。
*1:ガンダムシリーズにおける巨大人型兵器の呼称。モビルスーツ。
*2:あくまで方向性の違いで、けして誤っているというわけではない。特にエドの負傷は、状況の規模に対して雰囲気がゆるい感のあった前半で、最も物語と雰囲気が噛み合っていたと思う。
*3:対比するため、Apeman氏によるOVA版『戦闘妖精雪風』のレビューを張っておく。http://homepage.mac.com/biogon_21/iblog/B1604743443/C1441500288/E1552030313/index.htmlなお、OVAに見られるホモソーシャルな関係は、耽美なキャラデザインもあいまって原作ファンから凄まじい不評をかっていたことを注記しておく。『Zガンダム』における各キャラクターの公私混同もコアなアニメファンからは笑いの種だった。
*4:ちなみに脚本は完全に北嶋博明担当となったが、サブレギュラーの視点で物語が動くため、違和感はほとんどない。長い物語を別視点から見つめ直す、良い意味でオマケ的な作品になっている。