法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『映画秘宝』で町山智浩氏がライターに「嘘松」を発注していたと批判しながら、それは誰かと問われて回答しなかったchronekotei氏

それは『映画秘宝』のことで、特に『底抜け超大作』を「愛が感じられない」仕事として例示している。

底抜け超大作 (映画秘宝コレクション)

底抜け超大作 (映画秘宝コレクション)




しかしchronekotei氏は、私が2017年に観察した時点で、反人道的かつ反学術的な考えをツイートで明らかにしていた。
「モリカケ問題の風評被害」といった主張をすることは、ニセ科学やニセ医療の問題に注意するつもりはないということ - 法華狼の日記
根拠をいっさい示さないchronekotei氏の発言が信頼性できるかというと、それはかなり難しいと思わざるをえない。


そのようなchronekotei氏に対して、その友人とは誰なのか、あるいは記事がどれなのかと、町山氏*1が問いただしている。

その問いに対してchronekotei氏は友人に迷惑がかかるからと拒否して、「誹謗中傷でいい」という立場を表明した。


皮肉のつもりだろうが、「事実関係がどうたら批判されてもアメリカまで旅費使って行ってパイ投げて有耶無耶にするわけにもいかん」*2と、自身が事実関係を有耶無耶にしたい立場とも語っている。


最終的に、謝罪ではなく根拠を求める町山氏が不当であるかのように、chronekotei氏は第三者を巻きこむように主張している。


念のため、匿名の立場として「友人」を出したくないという心情はありうるだろう。しかしそのような匿名の虚実さだかではない発言を「嘘松」と呼ぶのではなかったか*3
私個人の印象をいえば、虚偽を発信させたと他人を批判しながら「オレはオレが言ったことが事実と証明されるかどうかにはまったく興味はない」と語るchronekotei氏にこそ、矛盾を感じる。


しかしツイートの流れを読みつづけて、匿名の立場から友人を守りつつ一定の根拠を出す選択肢はchronekotei氏にあったはずだとも思えた。

そもそもの話、chronekotei氏は特定の記事ではなく、『底抜け超大作』を初めとした『映画秘宝』全体を批判していた。ならば編集方針として「嘘」が求められたという主張は、むしろ特定の記事ひとつを示すだけでは不充分だろう。
つまりchronekotei氏は執筆者が異なる記事を例示して、そこに友人がいるかは言明せず、複数の嘘があることを指摘すれば良かった。ツイートのなかばで、間違いがあったこと自体は町山氏も認めている。

あまりにも嘘が多いことが指摘できれば、その程度によっては意図や指示があったと推測できる根拠になるし、そうでなくても編集方針に問題があったことは示せる。

日本人観光客、中国(大陸)に行かないのにロシアには行くんだ……

観光先として中華人民共和国が忌避されているらしいというid:zaikabou氏のエントリを見ていて、ひとつ思うところがあった。
日本人観光客、中国(大陸)に行かない問題 - 日毎に敵と懶惰に戦う

紹介されているのは以下の通り

-2DAYS ―2日で行く海外―
香港(中国)/マカオ(中国)/台北(台湾)/平渓線(台湾)/ソウル(韓国)/済州島(韓国) など

3DAYS ―3連休で行く海外―
ウラジオストク(ロシア)/バンコク(タイ)/サムイ島(タイ)/ハノイ(ベトナム)/アグラ(インド)/セブ島(フィリピン) など

4DAYS&5DAYS ―有休や長期休暇で行く海外―
イスタンブール(トルコ)/バルセロナ(スペイン)/ウィーン(オーストリア)/
メキシコシティ(メキシコ)/ローテンブルク(ドイツ)/ハバナ(キューバ) など

香港とマカオはあるんだけれど、中国大陸は全くない。

独裁国家でありつつ観光特化したシンガポールや、独裁国家でありつつも比較的に解放的なキューバベトナムあたりがあるのはわかる。


しかし、後日のエントリで要約されているように政治体制が批判されているのが一因だとすると、ロシアが観光先に入っているのが解せない。
日本人観光客、中国(大陸)に行かない問題、いただいたコメントへの見解 - 日毎に敵と懶惰に戦う

自分も中国共産党については好感は持ってないし、様々な人権侵害についてはまったく許容できないけれど、人民や大地が面白い、好き、という話と、政治体制が嫌い、という話は両立できる話と思うので、中共が嫌いだから中国いかない、とかならないです。

民主化をはたしたはずのロシアだが、政治体制や人権状況でいえば、中国と丙丁つけがたい。ウクライナ内戦*1など、とうてい正当性があるとは思えない直接的な軍事介入を現在していることを思えば、劣るとも優らないといって過言ではあるまい。
はてなブックマークを見ると多数のコメントがあるが、ロシアに明示的に言及しているのはid:rider250氏くらい。それも政治体制の問題をすぎさった過去のようにとらえている。
はてなブックマーク - 日本人観光客、中国(大陸)に行かない問題 - 日毎に敵と懶惰に戦う

冷戦期、主に招待旅行でソ連に旅して「治安が良いよ、食い物美味しいよ、国家としてはアレだけどロシア人は個人としては人柄が良いよ、皆とても親切だよ」というエッセイを書いてた作家や文化人たちを思い出した。

文化的な距離によるコミュニケーションの難しさなど、中国よりも観光先としてのハードルが高いところも多い。それなのに、中国ほどには反発されていないらしきことが不可解だ。


ただ少し違う話として、本当に政治体制へ疑問を持っているため観光先に選ばないとならば、それはそれでひとつの見識だとも思える。むしろ積極的にそのような意見を発信すれば、政治体制に問題をかかえた国家への批判として有意義かもしれない、とも考える。
ちなみに、チベットハウス・ジャパンでは、観光が全体として中国政府への牽制となると考えているようで、さまざまな注意をうながしつつ推奨している。
チベット本土へ旅行する方へ | ダライ・ラマ法王日本代表部事務所

私達は、中国政府に対して圧力をかけ続けることが大切だと思います。最も有効な方法は、チベットでの「本当の状況」の目撃報告です。チベットにおける観光事業が、中国政府に利益をもたらしているのは事実です。しかし、もし、その地域に旅行者が居なければ、1998年5月にダプチ刑務所でおきたデモのような事件について、中国側の報告のみが発表され、国際社会が真実を知ることはますます困難になるでしょう。

同時に多くの危険があることも警告されて、物見遊山な観光は避けるべきという印象は受けるが、中国にかぎらず旅行にはこういう側面もあるのだと頭の片隅に置いてもいいかもしれない。

小学校時代の「プール授業中に抜け出して女子のパンツ観察」といった体験談を肯定する漫画家のツイートを、矮小化したり擁護するようなコメントがあったことに驚かされた

小学校への登校を懐疑しようとする男子に対して、性的欲求の充足をもって登校をうながすツイートを漫画家がおこない、追従するツイートがあったという。

発端はセンシティブな題材で創作してきたmentei897氏だが、実体験を反省ではなく推奨する形式でツイートしたことから、当然のように同業者からも批判されるようになった。

さすがにmentei897氏も批判がこたえたのか、フィクションとリアルを混同したツイートの加害性を認めて、現実の被害者や同業者へ謝罪するにいたった。


虚実さだかではない幼少期の体験談ではあり、おそらくその言動そのものが刑法で裁かれることはないだろう。しかし現在の幼い他者へ推奨していいはずもない。


ここで驚かされたのが、mentei897氏を批判するツイートへの、はてなブックマークだ。もちろん同調する批判が多いが、許容したり擁護するようなコメントが複数ある。
はてなブックマーク - 青髭アルター on Twitter: "小学生Youtuberの話題にかこつけて下衆話を語る「立派なロリ漫画描き」さんと、それに追従してキモいエピソード暴露大会に参加するオタクさん達という地獄絵図。これでは「オタクは性犯罪者予備軍」と呼ばれてしまうのも頷けます。他のロリ… https://t.co/VMaP0LaZvH"

id:oOoOD 自分が小学生の時同じ小学生の女の子に興味を持つのはロリコンじゃなく普通なんじゃね?これを見る限りただ昔話をしているだけのように思えるのだが/ 固定されるなら中学高校の時恋人がいる人はロリコンになるの?

たしかに小学校高学年ともなれば第二次性徴によって他者への性的欲求を感じはじめることは珍しくないが、mentei897氏の問題は「ロリコン」なことではない。
成年におきかえて考えても、性的欲求の充足を目的として断りなくトイレに侵入することが肯定できるはずがない*1

id:rag_en 『小学生時代のえっちな思い出』に憤って「性犯罪者(予備軍)」扱いしてくる様な「Social Justice」界隈のイカレっぷりサンプル。

相手を騙すような意識的な行為を「小学生時代のえっちな思い出」と矮小化するのも唖然とするが、憤る人々*2イカレていると位置づけるのも驚かされる。

id:nt46 でも実際の性犯罪者予備軍ってこいつみたいなやつだったじゃん(鼻ホジ。というか、こいつレイパーじゃね?青髭なんて名前だし。その名前でこのツイートなんやで?レイパーでなければ太宰じゃん。

てっきり「こいつ」はmentei897氏のことかと思って読み進めたが、どうやら批判的に紹介しているlaboratoryalter氏を指していることがわかって、首をかしげるしかなかった。ちなみにlaboratoryalter氏が「青髭アルター」を名乗っているのは、laboratorymembe氏*3のアンチ活動をしているためだ。

*1:自宅などでそういうプレイを合意のもとにおこなうのであれば、現実においても自由だと思うが、mentei897氏のツイートからはそのような状況は読みとれない。

*2:先述のように同業者もふくむ。

*3:Fate/Zero』に登場するキャラクターを引いて「青髭」を名乗り、その慇懃な口調の保守的発言によって一部で人気があった。フランス大使館による死刑反対ツイートへ見当違いな反論をぶつけていたことを記憶している。日本の死刑執行へ反対するフランス大使館のツイートに対して、あまりにも見当違いな被害妄想をぶつける人々 - 法華狼の日記 フランス大使館が日本の死刑執行について、制度反対の見解をツイートして反論のリプライを浴びる「中国にも言って」「内政干渉では」 - Togetter

映画『主戦場』を監督したミキ・デザキ氏が中立の立場から双方の意見を聞こうとしたのは、良くも悪くも事実なのだろう

日系米国人で上智大学の大学院生となったミキ・デザキ氏が、従軍慰安婦問題で争う複数の人物に取材。対立した意見を編集したドキュメンタリーを完成させ、話題になっている。
www.youtube.com
残念ながら観賞できる余裕がまだないが、制作中の情報を最初に知った時*1から予告編を見たあたりまでは、大日本帝国を正当化しようとする偽史を広めてしまう問題がないかという懸念をもっていた。


たとえ同時に史実を広めたとしても、それと偽史が同格なように表現してしまっては、ただ偽史に加担することになってしまう。
虚偽と真実の中間に立つことは、誤謬を小さくするための簡易な方法論ではあるが、真実に立つことではありえない。その方法論を使わせることを期待して、虚偽を主張する人々は極論を主張しつづけたりする。
そうした期待があってか、登場人物のひとりケント・ギルバート氏も、予告公開時点では映画を否定せず、素直に紹介するツイートをおこなっていた。

しかし映画が公開されてからしばらくして、ていねいに偽史が排されていく内容だという評価がかたまったためか、出演者は騙されたと主張する人物が増えてきた。

だが、研究論文が一般向けに商業出版されるようなことは珍しくもないし*2、発言が歪曲されたとか私信が公開されたとかいった映画そのものの問題は指摘されていないようだ。


山岡鉄秀氏がインタビュー依頼のメールを公開しているが、この内容が仮に事実だとして*3、その結果として偽史を批判するドキュメンタリーが完成しても何の問題もない。

双方の意見を聞くことを出発点にするという内容には読めるが、双方の意見を映画の結論として同等にあつかうという文章には読めない。
むしろ、偽史側が好意的に取材を受けて予告編も紹介したことがふしぎなくらい、史実側にも軸足を残している文章だと感じられる。
この依頼を読んだ偽史側は、ミキ・デザキ氏を偽史の信奉者へ「調教」*4できると考えたのではないだろうか。


念のため、もちろんミキ・デザキ氏にもさまざまな先入観があったろう。たとえばYOUTUBEで日本の人種差別を指摘して反発された過去の経験などは現在の価値観に反映されているはずだ。
そこで、先述した過去も言及されている『ニューズウィーク日本版』の記事を読んだところ、本当にまっさらな状態で問題に飛びこんでいったのだということがわかった。
言論バトル『主戦場』を生んだミキ・デザキ監督の問題意識 | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

「もともと慰安婦問題の知識があるわけではなかった」というデザキは、例えば否定派が米戦争情報局の「日本人捕虜尋問報告書49号」(慰安婦は売春婦もしくは「プロの従軍者」と記したリポート)を示した際などは、心がざわついたと語った。反論するだけの材料を持っていなかったからだ。「インタビュー後はよく、『自分はどう思っているのだろう』と揺れ動いた」

この発言から判断するかぎり、まず専門家による知見を最低限に参照しておく、といったドキュメンタリー制作で珍しくない準備をしなかったらしいことがわかる。
なぜなら言及されている報告書は、1992年に出版された資料集に収録され、1995年に出版された新書『従軍慰安婦』でも一資料としてあつかわれ、半官半民のアジア女性基金の資料集でも広く公開されている。

従軍慰安婦 (岩波新書)

従軍慰安婦 (岩波新書)

もちろん専門家が原則的には史実側である以上、その知見を参照することも先入観にむすびつく。しかし偽史側の意見を参照しても、問題の報告書に気づくことは難しくない。
報告書の文脈をねじまげてトリミングし、日本軍の責任を否定する資料のように紹介する詐術は、小林よしのり戦争論』を代表として、現在にいたるまでくりかえされているのだから。
「テキサス親父」が存在を確認した尋問調書は、たしかに重要だ……ただしそれは慰安所の非人道性の証拠としてであり、そもそも昔から知られていた資料だが - 法華狼の日記
「慰安婦像設置に抗議する全国地方議員の会」が、2ちゃんねる情報をグレンデール市に反論材料として送っていたことが判明 - 法華狼の日記
産経新聞が「日本政府の調査などでは、「少女」と呼ばれる年代の女性が慰安婦になったことは裏付けられていない」と報じた件について - 法華狼の日記
もしミキ・デザキ氏が最初から史実側に立っていたならば、この報告書を示されたところで反論できないはずはない。そうでなくても多少の下調べをしていたなら存在そのものは知っていておかしくない。


超能力のトリックは、科学者よりも手品師が気づきやすいという。騙すことに特化した詐術を見抜くには、研究の問題点を見つけることとは、また違った困難がある。
ベストセラー作家となったケント・ギルバート氏を代表として、近年に報告書の詐術をおこなったトニー・マラーノ氏や、日本の外務省が推しているというマイケル・ヨン氏など、日本軍の正当化に加担する外国人は少なくない。
ミキ・デザキ氏がそうならなかったのは、もちろん人権を重視する人格や研究者としての誠実さもあるだろうが、偽史側が油断していたおかげではないだろうか。制作背景の情報をいくつか見るかぎり、けっこう危うかったように感じている。

*1:SHUSENJO: A Documentary Film on the Comfort Women Issue by Miki Dezaki — Kickstarter こちらのキックスターターで資金を集めているのを見かけた時は、仲間内からも批判された谷山雄二郎氏の『スコッツボロガールズ』みたいな作品になる可能性すら感じていた。マイケル・ヨン氏が、櫻井よしこ氏と谷山雄二郎氏を批判したり、花田紀凱氏に欠席裁判で批判されたり、アルジャジーラに接触されたり、日本政府に推奨されたらしかったり - 法華狼の日記

*2:後述の依頼メールを見るかぎり、非営利という主張は最初からなかったようだ。

*3:正直にいって、完全な捏造などはされていないとしても、文脈を損なわない抜粋がおこなわれていると信頼することは難しい。

*4:出版業界を席巻するケント・ギルバート現象の謎 | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイトに登場する加瀬英明氏の、「バテレン(筆者注・戦国時代のキリシタン)を改宗させたようなものだ。最初はヘンリー・ストークスを10数年かけて『調教』したのだが、ケントはその次だった。最初はいずれも、慰安婦や南京の問題について、日本が(悪事を)やったと考えていたんだ」という発言より。

『ドラえもん』でも『クレヨンしんちゃん』でも映画版において死は描かれてるのでは

シリーズ映画の根幹設定を変化させない映画が面白くないという匿名記事があった。
アニメの映画が楽しめない

ドラえもん

ジャイアンが死んだりしてくれたら面白いけれど、そういうのは絶対にないので面白くない。

せめてのびたのバイオハザードみたいにママがゾンビになったみたいなのならいいのにな。

  

クレヨンしんちゃん

まさお君が黒幕だったみたいな感じなら面白いけれど、いまだにないので面白くない。

まぁ戦国ではキャラクターが死んだのは良かった。

タイトルは「アニメの映画が楽しめない」だが、例示されているのはファミリー向けアニメの劇場版ばかり。
しかしメインキャラクターを死なせたとして、それだけでは陳腐なサプライズにしかならないだろう。


たとえば、『戦国大合戦』のようなゲストキャラクターの死でいいのなら、同シリーズにおいて『ユメミーワールド』でも陰惨な事故死が間接的に描かれている。その死が発端となったメインストーリーもショッキングなものだった。
『ドラえもん クレヨンしんちゃん 春だ!映画だ!3時間アニメ祭り』ドラドラポンポコ大捜査/動物型にげだし錠/食べて歌ってバイオ花見/「映画クレヨンしんちゃん 爆睡!ユメミーワールド大突撃」 - 法華狼の日記
ドラえもん』でも、4作目の『海底鬼岩城』からしてゲストキャラクターの自己犠牲によって敵に勝利した。9作目の『パラレル西遊記』にいたっては、味方のゲストキャラクターが敵の手先で、ママを初めとして人間すべてが妖怪化して、先述のゲストキャラクターの母が敵として死んだ。13作目の『雲の王国』はドラえもんが自己犠牲によって停止し、復活には超常の力を必要とした。24作目の『ふしぎ風使い』も、ゲストキャラクターの自己犠牲で物語が閉じられた。
むしろキャラクターの自己犠牲は予定調和な物語とすらいえる。そのような自己犠牲への懐疑をもおりこんで、監督が懊悩した果てに娯楽という枠組みを踏みはずしていった作品が観たいなら、28作目の『緑の巨人伝』という怪作がある。
『映画ドラえもん のび太と緑の巨人伝』 - 法華狼の日記
そこで匿名記事を書いた人物は『緑の巨人伝』を見て、予想を外されたことを理由に「面白い」と感じるだろうか? そう感じるのは難しいと思うのだが。