法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『オバケのQ太郎』の「国際オバケ連合」が封印された理由は「黒いオバケが出てる、それだけ」ではない

 まず、『ちびくろサンボ』が一時期に封印された理由は「黒人を黒く描いたこと」ではない、と指摘するツイートがあった。

 復刊を訴える書籍は当時に読んだが、たしかに否定も肯定もさまざまな理由が語られていた。

『ちびくろサンボ』絶版を考える

『ちびくろサンボ』絶版を考える

 黒人のカリカチュアとして主に批判されていたのは、口の大きさや唇の厚さなど。「サンボ」という言葉が、書かれた時点とは異なる文脈をもった問題なども論じられていた。
 それとは別に、『ちびくろサンボ』という作品そのものが著者の表現とは異なるかたちで出版流通し、それが低評価をまねいたという指摘もある。


 対する反論として、「黒人を黒く描いたこと」そのものが抗議されて表現が封印された事例をあげようとするツイートがあった。

 生まれる前のことと書いているので、おそらく伝聞を記憶違いしているだけだろうが、リプライツリーには同意があるだけで反論がない。


 単純な話として、「国際オバケ連合」では多様な人種になぞらえて多数のオバケが登場しており、当時の商品には「黒いオバケ」も複数いる。
「国際オバケ連合」復活! - 藤子不二雄ファンはここにいる

 批判の対象となったのは、左下にいる「ウラネシヤ代表のボンガ」。暑い国から来たボンガは、寒い国から来たエスキモーのオバケのアマンガと対立する。
 そこでアマンガがQ太郎に対して、ボンガは「バケ食いオバケ」であり「人間でいえば人食い人種」だとふきこみ、昔のことだとボンガが反論する。ここまでは劇中人物が誤った偏見を語った描写ではあるが、ボンガが今もオバケを食いかねない描写もギャグとして出てくる。
 この表現が封印されるべきかは別問題として、「黒いオバケが出てる、それだけ」にとどまる描写でないことは明らかだ。


 また、わずか家族3人の団体による抗議は、圧力としては弱い。むしろその抗議もまた表現の自由のひとつと考えていいだろう。
 その抗議に妥当性がないのに作品が封印されたのであれば*1、まず批判されるべきは過剰に委縮した出版社ではないだろうか。


 ちなみに藤子・F・不二雄は作品の封印で委縮するどころか、カニバリズムをモチーフとして選びつつけ、異なるベクトルで傑作の短編2作品を遺している。

藤子・F・不二雄大全集 SF・異色短編 (1)

藤子・F・不二雄大全集 SF・異色短編 (1)

藤子・F・不二雄大全集 SF・異色短編 (4)

藤子・F・不二雄大全集 SF・異色短編 (4)

*1:旧『オバケのQ太郎』の場合は、藤子不二雄がコンビとして実際に共作していただけでなく、トキワ荘の漫画家たちによる事実上の合作であったため、著作権などの混乱が作品全体の封印された理由と考えられている。旧作は「国際オバケ連合」に限らず復刊されなかったが、コンビ解消後の藤子・F・不二雄単独作品は封印はされなかった。

『相棒 Season17』第13話 10億分の1

ビルから転落死した女性が、冠城の名刺を持っていた。何かを悩んでいる女性を直前に見かけて、相談に乗るといってわたしたのだという。
その女性はネットカフェで寝泊まりし、フリマアプリを使ったインターネットごしの転売でしのいでいた。そこにヤクザのかかわりも見えてくる……


いかにも「メルカリ」を思わせる架空アプリ「ウルカエール」を舞台に、現在のフリマアプリ市場の光と闇を描いていく。ひさしぶりにこのドラマらしい、インターネットの多用な側面を描いて美化も悪魔化もしすぎない良さを感じさせた。
さまざまな人物と安易に出会ってしまうことから、ヤクザの受け渡しの行程に利用されもする。一方、フリマをとおした出会いでも大切なコミュニケーションなのだという考えも肯定する。
苦しい人々の現状によりそった名作「ボーダーライン」を思わせる部分も多いが、登場人物がポジティブだったり、転落死の細部を推理していく展開が細かかったりして、印象はけっこう異なる。
女性たちの嫉妬と愛情をめぐる物語として、必ずしも好みな作りではないが、よくできていると感じられた。


ミステリとしては、手がかりを序盤に露骨に見せたことで、真犯人は最初からあからさまだと思ったが、少しずらした真相なのも良かった。
現場にあったと思われる転売物の正体がけっこう意外かつ納得できるもので、それが死の状況にもかかわっている。

はてなダイアリーの下書きが移行できない

はてなダイアリーの下書きの移行を終えていない人はリダイレクト設定するのは待ったほうが良さそうだ。


先日のエントリで書いた方法で、下書き一覧ページまでは確認できるのだが、実際に個別の下書きを見ようとするとはてなブログへリダイレクトされてしまう。
ダイアリーからブログへの移転、一応は完了 - 法華狼の日記

多数の下書きは自動でインポートされないので、手動で移していく予定。はてなダイアリー全体のトップから、ヘッダにある「管理」から「記事」を確認するページへ移動することで、完全閉鎖までは確認できるらしい。


FAQを見て文章を開くことはできると早とちりしていたが、実行できない一部機能に下書きの確認なども入っていると考えるべきなのだろうか。
【よくある質問】はてなダイアリーからはてなブログへの移行について - はてなブログ ヘルプ

リダイレクトを設定した後でも、はてなダイアリーの管理画面にアクセスできます。はてなダイアリーのトップページなどからヘッダの「管理」をクリックするか、次のURLに直接アクセスしてください。

d.hatena.ne.jp/my/admin

リダイレクト設定後のはてなダイアリーでは「はてなブログにリダイレクトしています。」と表示され、「記事を書く」などの一部機能が実行できませんが、データ管理や有料オプションの変更は可能です。

書きあげて後はアップロードするだけのエントリも多かったので、確認できないのなら無念というしかない。

ダイアリーからブログへの移転、一応は完了

1月28日にダイアリーの更新機能が停止される直前のインポートとなった。
一応、ダイアリーからブログへの自由なインポートは2月28日まで可能*1なので、更新頻度が高くなければあわてる必要はなさそうだが。
はてなダイアリーサービス終了の知らせ - 法華狼の日記

たぶん停止直前にも駆けこみで移そうとするユーザーが多いだろうな……私は忘れていそう。

はてな側が駆けこみインポートするユーザーのためにフォローしているのか*2、他で起きていると聞くトラブルも特になく、スムーズに移行を終えられた。


できるかぎりシンプルに、はてなダイアリー時代に近い見た目にしたかったが、ちょうどいいデザインのテーマが見つからなかった。
はてなダイアリーにきわめて近いデザインのテーマ「Hatena2 for はてなブログ」が個人で制作公開されているが、配色をうまく変えられなかったので、違うテーマを選ぶことにした。
Hatena2 for はてなブログ - テーマ ストア
ダイアリーでは強制的に行頭一字下げになっていたのが変わったこと、余白が広くなったことで、文章の読みづらさが増しているので、いずれ改善したい。


他に、ダイアリーではエントリの日付をいじってダイアリーの性格と記事リストをブログトップに置いていたが、プロフィール欄から飛ぶ「このブログについて」へと内容を移した。
GoogleアドセンスについてはURLが変わるのを忘れていたので、あらためて申請しなおした。いつ申請がとおるのかは不明だが、2月1日あたりからはてなブログProに移行して、広告は少なくする予定。
多数の下書きは自動でインポートされないので、手動で移していく予定。はてなダイアリー全体のトップから、ヘッダにある「管理」から「記事」を確認するページへ移動することで、完全閉鎖までは確認できるらしい。


しばらく少しずつ調節していくつもりだが、いまのところ解決策が見つからなくて困っていることが、ひとつだけある。
コメント欄が3コメントまで強制表示されるので、長文コメントが多いブログだとエントリとエントリのあいだが間延びしてしまう。この表示数を選ぶ機能がどこかにあるかと思ってが、いまのところ見当たらない。
はてな側の2016年の説明によると、この3コメントまで強制表示はずっと続いていたようなのだが、サイドバーでエントリごとの最新コメント状況を確認している人間には逆にわずらわしい。
記事ページでもコメントを折りたたんで表示する、などの機能修正を行いました - はてなブログ開発ブログ

記事に複数のコメントが付いているとき、デフォルトで3件までに折りたたんで表示し、それ以降は「もっと読む」をクリックしたときにすべて表示するようにしました。

「相関しているならすべての統計が捏造だ、という極論を述べたブログ」という嘘を書いた山形浩生氏

山形氏が下記のようなエントリを書いていた。
統計の不備と、各種統計の「相関」の話 - 山形浩生の「経済のトリセツ」

統計の信頼性について疑問を呈した柳下毅一郎のツイートを、山形は一蹴した。が、その後勤労統計の集計方法の不備が露見した。ここから、この統計は捏造であり、それが相関しているならすべての統計が捏造だ、という極論を述べたブログが出た。

これは困った代物だとぼくは思う。一かゼロかの非常に極端な見方をしているせいで、非常におかしな極論になってしまっている。それをここで、少し説明しよう。

これが私の書いた下記エントリの要約のつもりらしいということに驚かされる。


私自身で結論部を読み直しても「一かゼロかの非常に極端な見方」のような表現はいっさい使っていない。
山形浩生氏が統計の捏造の困難性だけをもって経済指標の信頼性を絶対視していたことのメモ - 法華狼の日記

捏造が困難であるということは、その捏造は大規模におこなわれ広く責が問われるものだろう。そしてその悪影響の範囲もささいなものではなくなる。

そういう意味では、統計捏造の困難性を主張した山形浩生氏の見解が正しければ正しいほど状況はひどいのだ、と覚悟しておく必要がありそうだ。

どのような「国語力」があれば「すべての統計が捏造だ」という文意が私のエントリから読みとれるのだろうか?


こうして私は面食らっているのだが、一方で山形氏は私のエントリタイトルに面食らったという。

まずこの法華狼のブログ記述で、ぼくが統計を絶対視している、という題名には面食らった。統計が「絶対」というのが、そもそも意味不明だからだ。

山形氏も引用しているように、柳下毅一郎氏の「リフレ派の方々は、なぜ財務省の出す経済指標は捏造されてないと信じられるのだろうか」というツイートに対して、山形氏が反駁するツイートで「夜郎自大な全能感に陥る」と表現した。それほど強い言葉を用いなければ、私も「絶対視」という評価はおこなわかっただろう。
むしろ対象の文章から少なくとも明示的には読みとれない「一かゼロかの非常に極端な見方」を見いだしているのは山形氏だ。そのような反応をするという問題において、山形氏は悪い意味で一貫性がある。


前後するが、不適切な統計に対して私が「捏造」と考えたことについても、山形氏による要約は誤りだ。

柳下毅一郎は、統計を疑問視した。
そして実際に統計集計に不備が見つかったから、統計はまちがった捏造である。
よって柳下が正しかった。

法華狼は、何か統計の集計(そしてその補正)に不備があった、というのを見て、つまりその統計がまったくの捏造だ、という結論にとびついた。

たしかに私はエントリでとりあげた不適切な統計について、捏造によるものと考えたし、結論部でそう表現した。
しかし山形氏は、結論部の直前に別の記事を私が引用したことを無視している。そのため誤った要約になっているといわざるをえない。

このような不適切な処理が組織的におこなわれていたという報道もある。
雇用保険、数十億円超を過少給付 勤労統計問題の影響で - 共同通信 | This Kiji

また厚労省の担当者が2004年に本来とは異なる調査手法に変更した後、担当者間で15年間引き継がれてきた可能性があることも判明した。調査手法を正しく装うため、データ改変ソフトも作成しており、厚労省の組織的な関与の有無も焦点の一つだ。

ちなみに山形氏も「それでも一応は調査は行われ、それに基づいた集計が行われている。まったんくの出鱈目ではない」*1「統計に不備があったのは事実。でも、それがまったくの捏造だったということではない」と結論づけつつ、「標本調査なのをごまかそうとしてそれを三倍したりしてたとかいう話」が出ていることに言及している。
ただの個人の失敗などの意図しない結果として不適切になったのではなく、そこに意図が介在していたのであれば、「捏造」という表現は適切なものだろう。

*1:「まったんく」は原文ママ