法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

くりかえし明記したことをガメ・オベール氏の愛読者に見落とされ、「何か意図的に省略されていることがないか」と疑われている……

疑いをかけているのはid:yamakaw氏で、他の愛読者も私のエントリから情報が欠落しているかのように応じている。

seidenki_mochi氏が紹介しているapricotjaam氏のツイートから、はてなブックマークid:Apeman氏がコメントをしていたと指摘したいことがわかる。


しかし困ったことに私のエントリでも、コメントが拒否される前にApeman氏がはてなブックマークで批判をしていた順序を明記しているのだ……
はてな界隈で人気があったガメ・オベール氏という人物が、何をきっかけに失墜していったかをふりかえる - 法華狼の日記

私が知るかぎりApeman氏が最初にガメ・オベール氏へ批判的なコメントをしたのは、戦犯ゴボウ問題ではなく、靖国問題だった。
2010年の当時に、Apeman氏自身が、論争の発端からガメ・オベール氏の文章を引いて、それぞれの経過をまとめている。
「事実であろうと、なかろうと」PartII - Apeman’s diary

・1月17日、ガメ氏が「ついでに国民のほうは「隣の国がうるせーで、あの死んだにーさんたちが集まってる神社はなかったことにすべ」とゆいだした。」「そーゆーのをゴツゴーシュギというんじゃ、ボケ。」と発言。この「ボケ」はいうまでもなく日本国民の一人たる私にも向けられていることに留意されたい。
・同日、私が「へぇ。それ誰のこと?」とブコメ

次にApeman氏は1月21日、上記とは独立してコメント欄で戦犯ゴボウ問題の根拠について質問しようとしたが、承認されなかったという。

エントリで「発端」という言葉を使ったのはここだけだ。引用のように、Apeman氏自身がエントリにまとめた経緯においても、靖国問題が先にあったことがわかる*1
たとえ「ブコメ」という略語が理解できなかったのだとしても、コメントが承認されなかった以前に衝突があったことは理解できる文章のはずだ。
しかも私は、承認されなかったApeman氏のコメントとガメ・オベール氏の反駁を紹介した後に、靖国問題で衝突していた時系列をあらためて説明している。

ガメ・オベール氏が不特定多数へ「ボケ」と評価し、Apeman氏が「へぇ。それ誰のこと?」と応じた時点で衝突が始まったとはいえるだろう。
しかし、相手の全人格を対象にして批判を始めたのはガメ・オベール氏が先だったし、その表現も罵倒に満ちた攻撃であることも指摘せざるをえない。

最初は「ブコメ」という略語が理解できなかったのだとしても*2、seidenki_mochi氏が説明している。そもそも、seidenki_mochi氏がyamakaw氏の読み落としを指摘しないことが不思議でならない。



ここまではっきり書いていて、コメントが拒否された部分を読めば嫌でも目に入るような位置なのに読み落とされたのだとすると、私にはどうすればいいのかわからない。
yamakaw氏はつづけて私を批判するようなツイートをくりかえして、少なくないリツイートやファボをえているが、読み落としを指摘されている様子がうかがえない。



「見なかったことにする」が良くないことだと考えるのであれば、まず反論の対象をちゃんと見ようとしてほしい……

たしかに私自身の方針としては、相手のアカウントが異なれば別人としてあつかうようにしているし、他での衝突と独立した内容のコメントであれば衝突とは個別に会話することも多い。
しかしガメ・オベール氏の罵倒については、Apeman氏のブコメと比べた上で評価している。むしろ愛読者がガメ・オベール氏の表現を無視しているかのような様子に私は首をかしげている。



この連続ツイートだけは、ある意味で納得感があった。
私としては、緊密な知略や入念な捜査で証拠をつかむ展開こそ光がさして見えるし、不充分な証拠で悪を倒すことを優先する展開は誤認による挫折が待ち受けていないかと恐れてしまう。
『殺人の追憶』 - 法華狼の日記

対してyamakaw氏は、戦犯裁判の根拠が争点になっている話題で、わざわざ「証拠能力の欠ける証拠じゃ俺は有罪じゃないんだぜ」を「いやな感じ」な事例として出した。
あくまで趣味嗜好の話ではあるが、そのように細部の証拠固めを軽視していった延長線上に、先日に批判したような愛読者のふるまいが生まれる危険はないだろうか。
歴史修正主義をApeman氏らが批判した過去を、ガメ・オベール氏の愛読者はApeman氏らの過誤と主張しはじめている…… - 法華狼の日記
見落としは誰にでもあるが、だからといって事実を軽視しない姿勢は忘れないでほしい。

*1:このApeman氏のエントリはapricotjaam氏もつづけて存在を指摘している。jamcat on Twitter: "能川@nogawam = @apesnotmonkeys さん、元記事のガメさんは、過去惨たらしく死んだ日本の若者に対して軽薄な態度を取る現在の日本国民に怒っていると読めるけど、これ、一般的な「日本人はさ~」って話でしょ で、あなたはガメさんに直接個人対個人でクソコメ送ってるわけじゃん… https://t.co/vnIulmqSpl" そこでapricotjaam氏はガメ・オベール氏を擁護するにあたって、「過去惨たらしく死んだ日本の若者に対して軽薄な態度を取る現在の日本国民に怒っている」という解釈で充分だと考えているらしい。しかしApeman氏はその「軽薄な態度」という認識そのものを批判しているので、反論として成立していない。千鳥ヶ淵戦没者墓苑で戦死者を追悼することが軽薄であるといえるだけの理路くらいはapricotjaam氏は示さなければばらない。

*2:yamakaw氏もはてなユーザーなので考えにくいが。

歴史修正主義をApeman氏らが批判した過去を、ガメ・オベール氏の愛読者はApeman氏らの過誤と主張しはじめている……

約十年前、ガメ・オベール氏をApeman氏が批判するようになった発端を、下記エントリでふりかえった。
はてな界隈で人気があったガメ・オベール氏という人物が、何をきっかけに失墜していったかをふりかえる - 法華狼の日記
戦犯ゴボウ問題という日本の問題を矮小化しかねない都市伝説*1を、実際に記録を読んだようにガメ・オベール氏が語った。Apeman氏が根拠となった資料の実在性をたずねたところ、ガメ・オベール氏がはげしく反発したあげく、虚偽を主張したことが明らかにされた。
それから時間がたった現在まで、Apeman氏を初めとしたガメ・オベール氏への批判者に対して、新たなガメ・オベール氏の愛読者たちが反駁を試みつづけている。


しかし愛読者の反駁を見ていると、事実関係を把握しようという意識が、全体として希薄だと思わざるをえない。
ひとつの例として、2015年からApeman氏のツイッターアカウントの凍結を呼びかけていたcienowa_otto氏は、2019年になってようやく発端となる文章を読んだという。

念のため、冒頭のエントリでふりかえったように、発端となる文章だけならばApeman氏らは強く追及はしていなかっただろう。最初は質問しただけだったし、悪意で流布したとは判断していないかった*2
また、Apeman氏が批判ツイートを連投するようになったのは、ガメ・オベール氏や愛読者の側からApeman氏へリプライをくりかえしてからのこと*3。それをApeman氏の一方的な嫌がらせといえるだろうか。
こうした情報を先日に別の愛読者のエントリ*4にコメントしたが、長文だったとはいえ承認されていない。


さらに愛読者の反駁対象はApeman氏から逸脱して、はてしなく筋の悪い根拠を集めるようになった。事実関係の把握より反駁する材料集めを優先した結果だろうか。
特にひどいのがcoasmono_coacoa氏で、「はてなサヨクウォッチスレッド」を紹介したまでは良いとして*5ホロコースト否定論者が複数人から批判された事例を「ガメさんに対しての行為と同じようなふるまい」と位置づけた。

coasmono_coacoa氏という個人の問題にとどまるならまだしも、その情報をvisionarywinter氏などは「収穫」と評価してしまった。

リンクされているブログを確認すると、執筆しているusausaland氏は冒頭から集団ストーカーの被害を訴えている。その繊細な感覚による評価が「嫌がらせ」の根拠として充分だとは私には思われない。
GROUP STALKING - 非情なる集団ストーカー被害からのサバイバル記 - 能川元一氏からの反論(というより誹謗中傷と暴言)

埋め込みツイートに、あっという間に50程のRTがつく時があったのですが、組織的でなければその様な事にはならないと思います。連携が取れすぎている、という印象もありました。

しかもエントリでusausaland氏を実際に批判している人数は十人にも満たない。逆に発端は第三者とのやりとりをusausaland氏がスクリーンショットして自説を主張したことにあり、つまりusausaland氏自身が「横入り」をしている。
また、usausaland氏はナチスドイツのホロコーストに対して、エントリで「私の様に明確に捏造だという立場の人間」と自認しており、それが批判されている。そのような立場で複数人から批判されることを、はたして「嫌がらせ」と呼べるだろうか。
一般的に、戦争犯罪の否認は批判されてしかるべきだろう。それがホロコーストのように有名な話題であれば、注目されて批判をあびることに誰かの陰謀を見いだす必要はない。
さらにusausaland氏は、日中戦争の百人切り競争が冤罪だと主張するyamamoto8hei氏*6に対して、賛意を示してもいる。

上のツイートにリプライしていた山本平八という方の投稿。この方は能川氏に対してアンチの方のようです。思わず「いいね」を付けたくなりました。

この時点でも、問題はホロコースト否定論にとどまらなくなっている。


事実として、apricotjaam氏という愛読者は、南京事件否定論者や従軍慰安婦問題否定論者の主張を引いて、それに対する批判を「どんな手を使ってもかまわない、ということなのだろうか」と紹介した。

ここでapricotjaam氏は「私は右翼でもネトウヨでもありません」と自認しているが、ならばなぜ戦争犯罪の否定論者の文章を信用できるのか。
それにホロコースト否定論と同じく、戦争犯罪の否認は批判されてしかるべきだろう。それが南京事件のように有名な話題であれば、注目されて批判をあびることに誰かの陰謀を見いだす必要はない。
いや、apricotjaam氏が南京大虐殺を否定することは間違っているとは断言せず、「議論するつもりはありません」という立場を表明しながら南京事件否定論者を自説に援用した時点で、意図はどうであれ南京事件否定論に加担してしまっている。


ホロコースト否定論者をもちだしていたcoasmono_coacoa氏も、apricotjaam氏に呼応して、眞鍋かとり氏という南京事件否定論者をもちだし、Apeman氏が「論破」されて評判を落としていたと主張する。

しかし、いったいどこが「論破」され、どこで「評判」が落ちていたというのか、coasmono_coacoa氏の紹介ではまったくわからない。
まず、いきなり「これだけ信頼できる一級資料、一次資料がないんですから」とコメントした眞鍋かとり氏があしらわれたのは当然だ。Apeman氏のエントリ本文では一次資料が示されていたのだから。
マイ定義と無知をもとに「一次資料」の重視を叫ぶ国会議員 - Apeman’s diary

「一次資料」が大切だと言いながら、なぜ戦後の聞き取りを真っ先に挙げるんでしょうか? せめて『南京戦史資料集』くらい挙げられなかったのでしょうか? その他、戸井田議員が無視しているしこれからも無視するかもしれない資料のリストを青狐さんが整理しておられます。

第十軍の法務部が残した陣中日誌、軍法会議日誌を読めば、実際には殺人や強姦をおかした将兵が「おかまいなし」になっている例がいくつも見つかる(ここのコメント欄参照)のですが、一次史料を重視する戸井田議員はご存じなかったのでしょうか?

なぜcoasmono_coacoa氏はApeman氏の元エントリを示さず、コメント欄の一部をきりとった眞鍋かとり氏のエントリを紹介したのだろうか。
やりとりを見ていくと、少なくとも時系列を誤認していることがわかるし、それによりApeman氏の元エントリを確認していないことも推測できる。

なぜならApeman氏が初めて戦犯ゴボウ問題にふれたのは2006年8月のことであり、2007年3月に論破された結果という仮説は絶対になりたたないのだ。
「ごぼうを捕虜に食べさせて有罪になったB級戦犯」は都市伝説? - Apeman’s diary
また、推測するしかない犠牲者数を厳密に問うことは否定論に通じる加害性をもつということは、Apeman氏はたびたびエントリで指摘していた。
14万人と7万人、30万人と… - Apeman’s diary

しばしば「グレーゾーン」として議論の的になる「敗残兵」「便衣兵」の殺害にしても、自分の国が戦場になった側と他国で戦争をした側とではパースペクティヴがまったく異なる、ということを理解しておくべきだ(被爆の後遺症によって数年後に亡くなった人びとも原爆の犠牲者だ、と日本側が考えるのと同じように)。

「論理」で「犠牲者30万人」の「蓋然性」を否定する数学屋さん(追記あり) - Apeman’s diary

「30万人説否定であって虐殺否定ではない」主張を批判するのは、30万人説を批判するそのしかたが否定論のそれと変わらないからである。
何度か述べてきたことだが、「30万人が犠牲になったと考える十分な証拠はない」ことと「30万人説はまちがっている」こととは異なる。

ちなみに後者のエントリは、眞鍋かとり氏がコメントする数日前に上げられている。そこでApeman氏が犠牲者数を答えなかったことをもって「論破」されたと考えたのはどこの誰だろう。


そして他の愛読者は、こうしたツイートを読んでもリツイートやファボするばかりで、いさめている様子はうかがえない。
それどころか、ShoulderbyShiga氏などは情報を「桶狭間足り得るかも」と喜んで、それを実際に相手の過誤として反駁につかいはじめている。

urotaetaro氏のように、「歴史修正主義*7を批判すべきと主張しながら、戦争犯罪の犠牲者数に答えなかったことを「脆弱」と評するような人物もいる。

こうした愛読者のふるまいは、もはやApeman氏とガメ・オベール氏の対立を超えて、はっきり戦争犠牲者への加害であるといわざるをえない。


ほりおこせばApeman氏も個別には過った発言をしているはずだ。その辛辣な言葉づかいそのものを問題視する人もいるだろう。
しかし愛読者はガメ・オベール氏の主張を信じてか、集団での嫌がらせがApeman氏の問題だと考えて、それを探そうとしている。
結果として、Apeman氏を発端として多くの批判が集まる事例が、おおむね批判されて当然の問題だったという印象を受ける結果となった。
誤解を恐れずにいえば、Apeman氏の批判に明らかな妥当性が見えなければ、はてなユーザーは批判に加わろうとはしないのだろう。
一方、ガメ・オベール氏の愛読者にはそのような抑制が見られない。このままでは、さらにひどい展開になりかねないと懸念しているが……

*1:戦犯ゴボウ問題という都市伝説を疑うことは、BC級戦犯裁判は本当に不当だったのかと懐疑する意味がある - 法華狼の日記

*2:2010-01-23 - カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記/はてダ版で「いろいろと尾ひれがついて流布していることは承知していますから、こちらも最初から悪意を疑ったわけじゃありません」とコメントしている。

*3:連投を始める以前の状況を確認するには、たとえばツイッターの検索窓に「@apesnotmonkeys since:2014-09-17 until:2014-09-19」と入力すればいい。何の前触れもなくガメ・オベール氏が被害を訴え、その主張に愛読者が乗ってApeman氏への非難が殺到したことがわかる。同時期にApeman氏がガメ・オベール氏を批判するエントリを上げたのは、あくまでその結果だということも日付から推測できるだろう。3分でわかるガメ・オベールQ&A - Apeman’s diary

*4:ねこびと日記: ゴボウ譚とコミュニケーション能力 (ver1.01)

*5:反駁できそうな情報を集めることを優先すれば読解力を失っていく先行事例として、ガメ・オベール氏の愛読者には良い反面教師になるとは思うが。「はてサ」の「ウォッチ」すらできないウォッチャー - 法華狼の日記

*6:引用分は山本八平を誤記している。

*7:私自身はさまざまな考えにより「偽史」という表現を使うようにしているが、今回は引用の意図もあって、あえてエントリタイトルに用いた。

戦犯ゴボウ問題という都市伝説を疑うことは、BC級戦犯裁判は本当に不当だったのかと懐疑する意味がある

戦犯ゴボウ問題という都市伝説がある。戦後の映画や漫画でくりかえし描かれたそれを、十年以上前からid:Apeman氏が追いかけている。
「ごぼうを捕虜に食べさせて有罪になったB級戦犯」は都市伝説? - Apeman’s diary

ごぼう 戦犯」でググるとたくさん出てくるのが、「連合軍の捕虜にごぼうを食べさせたところ、木の根を食べさせた虐待だとして戦犯として訴追され、有罪になったケースがある」というはなしである。

念のため、少なくない都市伝説がそうであるように、元ネタと思われる事実は存在することがわかっている。

元捕虜たちがごぼうを木の根と誤解し、虐待の一例として訴えたという事実それ自体は確かにあったようである。だが、判決でもそれが虐待として認定されたのかどうかは不明であるし、なによりごぼうの一件は数ある訴因の一つに過ぎない。

ここで問題となるのは、戦犯裁判の不当性を象徴するような逸話なのに、確認できる元ネタにおいては不当性が明確ではないということ。
かんちがいからゴボウ料理を虐待と訴えられるほど捕虜と収容所のコミュニケーションが不足していたと仮定しよう。それではなぜ、その誤解を裁判において解くことはできなかったのだろうか。
連合国は「復讐」というには公正さが求められる裁判という手続きをとり、弁護活動もおこなわせた。さらに判決後に上級機関のチェックがおこなわれ、死刑判決はマッカーサーの承認も必要だった。
戦犯裁判においてさまざまな不備はあったにしても*1、全体として不当だったという被害者意識は正しいのだろうか。


さらにApeman氏は、BC級裁判で二等兵への死刑判決はあっても執行されていないことを根拠に、一般人が理不尽な目にあったという被害意識も過剰ではないか、という指摘をしている。
『私は貝になりたい』を反米プロパガンダのファンタジーと断罪する者だけが『鬼郷』に石を投げよ - Apeman’s diary

実際のBC級戦犯裁判では死刑を執行された二等兵はおらず、一等兵は2人だけ、上等兵および兵長(これらの階級は“ただ招集されただけ”の者としては軍隊の中で“うまくやってきた”ことを意味する)があわせて23人にすぎない。軍隊というのが階級が上がるほど人数の減るピラミッド状の組織であることを考えれば、BC級戦犯裁判で将校でも下士官でもない兵士が死刑になる、というのは非典型的もいいところなケースだということがわかる。

関連して思い出されるのが、近年に報道への名誉棄損裁判がおこなわれた中国での百人切り競争だ。戦後に中華民国軍事法廷で死刑となったふたりは、士官学校を出ていた少尉だった。けして無理に戦場へ送りこまれた一般人ではなく、軍隊において相当の権限と責任があるべき立場だった。
たとえば時代劇において支配階級の武士がしばしば共感の対象として描かれるように、上層階級の物語に一般人が感情移入することは不思議ではない*2。しかし現実においては、その感覚は実態とのずれがあることは注意されてもいい。


それどころか、むしろ戦犯になるほどの罪を犯しながら逃れた者が多いという疑惑を、弁護を担当した日本人が証言しているという*3
『BC級裁判」を読む』その1 - Apeman’s diary

特に戦犯裁判で弁護人を務めた人が戦後の聞き取りで厳しい見方を披露しているケースが少なくないという。

 裁判の弁護を担当した萩原竹治郎弁護人が一九五八年三月二十八日の聞き取り調査で、この事件を含めた日本軍の戦争犯罪について手厳しい意見を述べている。
 オランダ軍によるバタビア裁判全般についての所見として、「起訴状に出ているくらいのことは事実であったと思う」という。
(……)
 荻原の聴取書は「実際にやっているのに無罪になったものもいる。戦犯的事実は起訴された五倍も十倍もあったと思う」と突き放すような言葉で終わっている。

私も先日に見つけた戦犯ゴボウ問題にまつわる手記を読んだところ、不当性をうったえる文章に反して、むしろ裁判の妥当性を印象づけられる結果となった。くわしくは次のエントリで紹介したい。

*1:たとえば後日に紹介するマカッサル戦犯裁判において、裁判長が元抑留者だったという指摘は、聞くべきところはあると思う。

*2:逆に、朝鮮人や台湾人が軍属として捕虜監視員に動員され、いわば汚れ仕事を負わされた結果として戦犯として数十人が死刑になった。ここでは日本という国家が戦犯裁判をとおして加害し、一般人がその歴史を無視してきたともいえるかもしれない。

*3:引用内引用は、保守系作家が討議した『「BC級裁判」を読む』の161~162頁とのこと。

はてな界隈で人気があったガメ・オベール氏という人物が、何をきっかけに失墜していったかをふりかえる

そういえば珍しく巻末に参考文献を載せていない「歴史の本」があって、それでウソがばれた出来事があったね - 法華狼の日記
上記エントリで思い出したガメ・オベール氏が、id:Apeman氏に批判されるようになった経緯を歪曲しているようなので、2010年の当時に私が見ていた順序を紹介しておく。


実はアホらしいので一度もちゃんと見た事がなかったが、能川元一の悪あがきにつられてボーフラみたいに浮き上がってきた厚顔はてな人を見ると、


ゴボウ裁判記録はない→なぜならガメオベールはニセガイジンだから→ニセガイジンである証拠は能川元一が断定していたから、という事かな?


だんだん判ってくると
能川「おれがそう思ったからガメ・オベールはニセガイジン」
はてな一同「ニセガイジンは事実だから国籍を偽るガメ・オベールの言う事は全部ウソ
新しい人「ほんとなんですか?」
はてな全員「きみは若いから知らないだろうけど皆が知ってる事実」


というロジックだったんだね

まず「はてな人」なる集団だが、はてなダイアリーで書いていたこともあってか、当初はガメ・オベール氏の愛読者も多かった。後で紹介する当時のダイアリーを見れば、はてなユーザーが好意的にコメントしていることも確認できるだろう。
失礼を承知で私個人の印象論をいえば、平易な文章で世相を語るガメ・オベール氏には広いファンがいて範とされていたタイプだったが、敏感な話題で峻厳な立場を選んでいたApeman氏は範とされてもファンは少なく反発もされがちなタイプだった。
ゆえに論争の途中までは、Apeman氏とガメ・オベール氏の双方へ敬意を表明するはてなユーザーも多かった。


私が知るかぎりApeman氏が最初にガメ・オベール氏へ批判的なコメントをしたのは、戦犯ゴボウ問題ではなく、靖国問題だった。
2010年の当時に、Apeman氏自身が、論争の発端からガメ・オベール氏の文章を引いて、それぞれの経過をまとめている。
「事実であろうと、なかろうと」PartII - Apeman’s diary

・1月17日、ガメ氏が「ついでに国民のほうは「隣の国がうるせーで、あの死んだにーさんたちが集まってる神社はなかったことにすべ」とゆいだした。」「そーゆーのをゴツゴーシュギというんじゃ、ボケ。」と発言。この「ボケ」はいうまでもなく日本国民の一人たる私にも向けられていることに留意されたい。
・同日、私が「へぇ。それ誰のこと?」とブコメ

次にApeman氏は1月21日、上記とは独立してコメント欄で戦犯ゴボウ問題の根拠について質問しようとしたが、承認されなかったという。
そのコメントは掲載をためらわせそうな長文ではあるが、ていねいな言葉で、批判ではなく質問として書かれていた*1

初めまして。


>前にも記事に書いたが、バターンの死の行進の監視の役割についていて、なけなしのきんぴらごぼうを捕虜に勧めたせいで(捕虜虐待の罪状で)処刑された日本の若い兵隊や


これは
http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/20081018/1224343818
で書かれていた件ですね? 「戦後の日本人BC級戦犯の裁判記録」をお読みになったとのことですが、どの法廷で行われた裁判だったかご記憶でしょうか?
というのも、「ごぼうを食べさせて戦犯に」というエピソードについては以前に少し調べてみたのですが、「ゴボウを分け与えたせいで戦犯として死刑を言い渡された日本兵」という事例は確認できなかったからです。

判決理由のついた裁判記録が存在し、かつその判決理由で「ごぼうを食べさせた」ことのみが有罪の決め手となり、判決が死刑だったとすると、上述したような私の調査には不備があったことになります。というわけで、ご覧になったという「記録」についてご教示いただければ幸いです。

しかしガメ・オベール氏は、「意見が反対だろうがなんだろうが、失礼でないかぎりは載せておる」とコメント欄の方針を説明しつつ、下記のような理由で承認しなかった。
2010-01-21 - ガメ・オベールの日本語練習帳iii-大庭亀夫の生活と意見

載らないひと、っちゅうのは理由はひとつで日本のひとに特異なタイプではないかと思うが、他のところ、たとえばブックマークのコメントとかで思いきり失礼なブタ野郎コメントを書いておったくせに、ヘーキでコメントを書いてくるひとです。

あれ、多分、自分で自分がいかに失礼なクズ野郎か、わからないのだな。

これに該当するひとは、コメント、そもそも読んでねーよ。

まっすぐゴミ箱行きです。

ここ2、3日でいうとkoisuru_otoutoとApemanとかいうひとびとがそれに当たるのい。

わっしは真剣にわからんが、日本人は自分が無礼な口を利いておって、「自分の言うことに答えられないのか」とよく言うが、あれは文化的な習慣なのだろうか。それとも本人が頭が悪いだけかしら。

ともかく。

おめーらみたいな失礼なマヌケが書いたコメントを読むわけねーだろ。くだらねークソ日本語で礼儀のかけらもないよーなクソコメントを書いておいて、いまさらこたえてもらおうとかって、頭がいかれておるであろう。

アホかよ、それともおまえのチンコ頭では、自分だけはなにゆってもいいとおもってんのかボケ、と思料いたしましたので、あしからず。

ガメ・オベール氏が不特定多数へ「ボケ」と評価し、Apeman氏が「へぇ。それ誰のこと?」と応じた時点で衝突が始まったとはいえるだろう。
しかし、相手の全人格を対象にして批判を始めたのはガメ・オベール氏が先だったし、その表現も罵倒に満ちた攻撃であることも指摘せざるをえない。
念のため、批判や反論する時の表現として罵倒を選ぶことそのものは自由ではあり、批判や反論の妥当性と独立している。しかし表現の攻撃性がなくなるわけではない。


また、戦犯ゴボウ問題をガメ・オベール氏がフィクションとして語っているという擁護は、1月23日の時点でも第三者のコメントにおいて確認できた。
しかしその観点をガメ・オベール氏は採用せずに、「研究者」というプロフィールを称して、事実性で争う立場を選んだ。論争が終結したころの2月1日にid:Wallerstein氏がエントリにまとめている。
一連の問題の所在 - 我が九条

ここでPANDORA氏やgouk氏の思い描いていたガメ氏像とは全く異なった動きを始める。要するにガメ氏は自身が実は研究者であり、しかもあくまでも「裁判記録」を読んでいた、ということを主張したのだ。

「裁判記録」を読んでいなかったことを素直に言えばそれでよかったのである。そうすればこんなに大騒ぎになることもなかっただろう。プライベートモードに入ることも、アカウント削除も起こらなかったし、むしろうるさい「はてサ」Apemanに絡まれた気の毒な人、として支持すら集め得たであろう(笑)

しかも研究者と自称するコメントを書きこんだのは、Apeman氏ではなくid:kamayan氏のコメント欄だった。
2010-01-23 - カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記/はてダ版

ブログには書いてないが、わし自身が研究者(もちろん歴史ではないが)なので研究者の手順に従って論争しようというのなら、(kamayanさんの真正研究者保証つきなら)、
メンドクサイが相手にしてやってもよい、と思いました。
ただ、わっしがむかし研究者として在籍したことのある大学の先生(たまたま歴史の先生、セイヨーシだが)の見立てでは「ただのゴロツキ。自分のブログを有名にするために、きみを利用しようとしているだけでしょう」ということだったので、ちょっと、このひとの著作リストを教えて欲しいと思います。

kamayan氏は「ガメさんのブログをもう読むことができないこと、これは悲しいのであります」と表明して、具体的な高評価もするくらいにガメ・オベール氏のファンだった。
そしてガメ・オベール氏は1月24日、自身のダイアリーにおいて根拠となる書籍を提示した。しかしApeman氏へ通知されない形式であり、これを読むと期待できるのはダイアリーの読者だけだった。
【魚拓】ヒラリー・クリントンの奇妙な提案 - ガメ・オベールの日本語練習帳iii-大庭亀夫の生活と意見

ごぼう」なひとびとのほうは、ブログ、読みました。
ドマジメなだけのひとなのかも知れないので、簡単に書いておきます。
プライベートモードのいちばん最後に出ていたメッセージ
岩川隆「神を信ぜず」立風書房(文庫はダメ)「末尾参考図書」に挙がっていると思うよ。
あれは送ってもらえるんです。行かなくてもダイジョブ」
もし自分でとれなければ、わっしはBC級戦犯の資料がおいてあるところへ今年はなかなかいけないが、そこへ行ったら資料を送ってあげられると思う。
英語だが、読めるでしょう?
しかし、わっしはあなたがマジメなひとにしても、あの失礼なコメントはいやだな。
口元が汚い。

もしガメ・オベール氏が偽りの根拠でApeman氏をからかったのならば、Apeman氏が読むと期待できるかたちで書いたことだろう。そうでなくても、いわゆる「ネタにマジレス」されたことへの返答であれば、ネタで返すにしてもマジで返すにしても、もっと違った文章になりそうだ。
しかし現実には読んでのとおり、信用している読者へ偽りの根拠を事実のように提示したかたちとなった。これでは、ガメ・オベール氏が意図したかどうかはさておき、からかわれているのは愛読者だけだ。
ゆえに『神を信ぜず』の巻末に参考文献などないという1月29日のApeman氏の批判によって、擁護したり信用しようとしていた人々が、一気にガメ・オベール氏への批判へかたむく結果となった。
武士の情けで黙ってたんだけど、しかたない(追記あり) - Apeman’s diary
はてなブックマーク - 武士の情けで黙ってたんだけど、しかたない(追記あり) - Apeman’s diary
はてなユーザーのガメ・オベール氏への決定的な評価が、「ニセガイジン」と無関係なことがわかるだろう。
ガメ・オベール氏も失敗したとは思ったのだろう。『神を信ぜず』を提示したエントリを新しいブログに転載しながら、戦犯ゴボウ問題にまつわる記述は削除している。
読み比べてみよう! - Apeman’s diary
こうして当時の争点を隠しながら、ガメ・オベール氏は最初に引用したようなツイートをしているわけである。


なお、ガメ・オベール氏が自称するとおりに「コーカシアン」なのか、英語が「母国語」なのか、私には断言できる能力や材料はない。
その外国人キャラクターを初めとした自称を事実と信じられる要素はないが*2、マイケル・ヨン氏やケント・ギルバート氏のような外国人がいることも事実だ。
しかし、そもそもそこは主要な争点ではなかったのだ。外国人という自称にApeman氏は当初は言及していないどころか、批判はプロフィールへの懐疑ではないことを、1月23日の時点で説明していた*3
2010-01-23 - カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記/はてダ版

自称しているプロフィールを疑っているということではありません。エピソード主義で「日本人」について語るという手法や日本特殊論(「日本語は不完全な言語だ」なんてのもそうです)、それから「キンピラゴボウ」の件についての書き方(情報ソースが怪しげであることを含め)などを指して言っています。

Apeman氏が興味を表明したのは、ガメ・オベール氏自身が論争中に自身の母語をもちだしてからで、これは1月27日のことだ。
ガメさんとApemanさんへ - カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記/はてダ版

ここで私が以前の立場を若干変更したことを表明しておきます。gameover1001の国籍やエスニシティについて私は一切関心がありませんし、いかなる詮索をする気もありません。また、次に述べる一点をのぞいて彼のその他の属性についても関心はありません。

ガメ・オベール氏が自身の英文を「英語が母国語の人間が読めば、どんなバカでも英語を母国語とした人間が書いた、とわかる」と自己評価したことに対して、Apeman氏は「日本語をもとに書かれたとわかる英文」と評価した。

もちろん母語がなにであるか(なにでないか)と国籍ないしエスニシティとは別の問題です。しかし靖国問題BC級戦犯裁判についての上記のような粗雑な発言が、「誰によってなされたのか?」は政治的には無視しがたいことです。今回はこれ以上追求するつもりはありませんが。

そしてガメ・オベール氏が英文についてのみ反駁したコメントに対して、Apeman氏は下記のように返答した。けして英作文能力を低評価してはいないし、話題として重視していないこともわかる。

自分が書くような英語とネイティヴの英語の違いはわかる。あなたの方が英語を書くことに関しては達者であることも、ね(あれをすらすらと書いた、のであれば)。
それよりこちらの具体的な指摘に対して一つでもいいから返答してみたらどうなの?

Apeman氏がプロフィール全体へ疑いを向けたのは、もちろんさらに後日のことだった。そこまでにガメ・オベール氏が研究者を称しつつ、大学の西洋史の先生の言葉を引くかたちでApeman氏を「ゴロツキ」と評価していたのだから、Apeman氏が疑いを表明するのも当然だろう。


最後に、ガメ・オベール氏に特異な文才はあるのだろうとは考える。ブログの文章はくだけながらミスがほとんどなくて読みやすいし、その内容を楽しむ読者も多数いた。
いったん批判を逃れるようにブログを変えながら、批判されたアカウントと連続性をたもったまま新しい愛読者を獲得していることも、なかなか真似できることではない。
もし最初から全てが虚構という立場を選んでいれば、もう少し良いかたちで文才を活用できたかもしれない。攻撃的な小説家が美麗な作品を創造することはよくある。
しかしガメ・オベール氏は虚実さだかではない立場を選んだ。残念なことだ。

*1:引用枠を分割しているように、引用時に中略した。保存しておいたというApeman氏によって、後述のid:kamayan氏のコメント欄で第三者にも提示されている。ガメさんとApemanさんへ - カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記/はてダ版 提示後のコメント欄にガメ・オベール氏も書きこみしながら、その提示が虚偽であるとの主張がされなかったことから、Apeman氏は承認されなかったコメントを改変していないと判断できる。

*2:現実とは異なる「寓話」の登場人物としてふるまっているならば、それは事実ではないということ。

*3:先にApeman氏自身のエントリのコメント欄でも、「もしかすると」「偽ユダヤ人」というid:gerling氏のコメントに対して、プロフィールの懐疑には同調せず「まあ正体なんかはどうでもいいんです」と応じている。これはまたみごとな馬脚ですね(追記あり) - Apeman’s diary

そういえば珍しく巻末に参考文献を載せていない「歴史の本」があって、それでウソがばれた出来事があったね

『日本国紀』に出典が明記されていないという批判に対して、百田尚樹氏が釈明したことが最近あった。
百田尚樹氏はどのような「歴史の本」を読んで『永遠の0』を書いたのだろうか - 法華狼の日記

「参考文献を載せなかったと言われますね。でも日本の歴史の本は山のようにありますが、巻末に参考文献を載せている本はほとんどありません。」

百田氏の処女小説である『永遠の0』は、太平洋戦争をモチーフにしたフィクションとして当然のように巻末に参考文献を列挙していた。

百田尚樹氏は、ネタ元を隠しているという批判をかわすため、誰もがネタ元を隠すのだという釈明をした。
それが姑息すぎて、かつての自著との齟齬を感じさせるものとなった。


上記エントリを書いた時はすっかり忘れていたが、これを逆転したような出来事が約十年前、id:Apeman氏の追求で引き起こされていた。
3分でわかるガメ・オベールQ&A - Apeman’s diary

・ガメ:「バターン死の行進の最中に、米兵にゴボウを食わせて死刑になった日本兵の裁判記録を読んだ」と主張。
・わたし:そんな事例があったとはにわかには信じがたい。どの裁判の記録なのか? と質問。
・ガメ:米軍が行った裁判の記録のはずなのに、なぜか日本人が1970年代に書いた本の「末尾参考図書」にある、と主張。
・結果:当該文献はバターン死の行進に関わる事例などとりあげておらず、さらにはそもそも「末尾参考図書」一覧など付されていない。

ガメ・オベール氏のウソが明らかになった実際の経緯は、下記エントリおよびコメント欄を参照のこと*1
武士の情けで黙ってたんだけど、しかたない(追記あり) - Apeman’s diary

岩川隆「神を信ぜず」立風書房(文庫はダメ)「末尾参考図書」に挙がっていると思うよ。
あれは送ってもらえるんです。行かなくてもダイジョブ」

1976年刊のこの本、私の手元にあるんです。でも、ないんです。なにがって? この本にはそもそも「末尾参考図書」ないしそれに類する文献一覧などないんです。

ガメ・オベール氏は、ネタ元が存在するのかという疑問をかわすため、検証しづらいネタ元を示した。
おそらく巻末に参考文献を載せている歴史の本が多いと考えたために、それを根拠として示したのだろう。多数の参考文献が並んでいれば、その全てにあたって裁判記録が存在しないことを証明することは難しいし、ひょっとしたら偶然にも実際の裁判記録につきあたるかもしれない。
しかし岩川隆氏は珍しくも巻末に参考文献を載せていなかった。関連して、コメント欄においてgansyu氏が別の著書における著者の方針を引いている。

同じ岩川隆氏の『孤島の土となるとも BC級戦犯裁判』にも、参考文献のページはありません。
表3、表4も確認しました(笑)。
文献等の列挙を省略したのは、「挙げればそれだけでゆうに一冊の書となる」からだと、あとがきに書いてあります。

歴史の本には参考文献を載せないという非常識を主張して、過去の見識まで問われた百田尚樹氏。
歴史の本には参考文献を載せるという常識だけで調べずに回答をして、実態との乖離があばかれたガメ・オベール氏。
対照的でありつつも、決定的な反証がつきつけられることを先延ばしにしていく態度はよく似ている。


ちなみにガメ・オベール氏と愛読者が現在Apeman氏に集団で抗議しているらしいのだが*2、私が今回のエントリを書くきっかけは戦犯ゴボウ問題にまつわる手記を見つけたことだった。
あまり歴史的な価値は高くなさそうな個人の手記であり、特に新たな情報もなさそうなのだが、いくつか興味深い記述があるので後日に紹介したい。ついでに書いておくと、この手記も巻末に参考文献がのせられていない。