法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『ザ・マジックアワー』

 無国籍な港町で、ギャング勢力が争っていた。そこでボスの女との不倫をとがめられたクラブ支配人が処刑されそうになり、伝説の殺し屋を紹介すると口走る。
 なんとか命拾いしたクラブ支配人だが、本当は暗殺者について何も知らない。そこで売れない俳優を騙して、映画撮影をしていると思いこませながら殺し屋を演じさせるが。


 三谷幸喜監督脚本による2008年の日本映画。市川崑監督が劇中映画監督としてカメオ出演したり、映画をテーマにした映画作品になっている。

 ボスを演じた西田敏行の追悼もかねて再鑑賞。映画はTVドラマと比べて感心できないことが多い三谷幸喜だが*1、この作品は好印象があったし、見返してみても悪い作品ではないと実感した。


 東宝最大のスタジオ内に作られた超巨大な市街地セットは初見から好印象だが、物語の細部の伏線も細かい。汚れた毛布の切れ端のような笑えて泣けるアイテムが主人公を誘導する小道具にもなる。そして映画という夢にむきあうように、ほとんどすべての登場人物が夢に向かって再起動していく。
 よく考えると町を新たなギャング*2が乗っ取った問題はよく考えると解決していないし、この町は映画のセットのようだといった説明的な台詞が鼻につくところも多いが、サスペンス映画として提示された課題の最低限の解決はしているので許容できる。
 支配人をひたすら助けるホテルマンの男と女も説明不足だが、未公開シーンによると実は父娘で、支配人に命を救われた過去があるという説明描写があった。終盤のシーンでテンポが悪いから削除したそうで、その判断は悪くないと思うが、序盤に説明するシーンを追加すればいいのではと思ったりもしたが、無理に入れる必要はない。


 三谷映画として比較的に良かったのは、おそらく古典的なアクションサスペンス映画を下敷きにして、再演するという枠組みになっているおかげだろう。上演をくりかえす舞台劇や、俳優の演技をフィードバックできるTVドラマと同じように作りこむことができる。
 事実として、俳優が隠していた銃がゴム製で映像的に偽物とわかりやすい描写なのは、ガンエフェクトを担当した会社が殴ったり落としても壊れないためのゴム銃をもちこんでいたことから思いついたという。既存の映画の枠組みをつかっているから、その枠組みを経験してきたスタッフの技術や意見をフィードバックできるわけだ。
 主人公がマフィアのボスと何度も初対面をくりかえすギャグも、ただのメタなすれ違いというだけでなく、演劇の再演的な要素があるかもしれない。だとすれば『七回死んだ男』のようなタイムループSFを三谷幸喜が映画化すると完成度が高くなるかもしれないな、とも思った。

*1:特に『ギャラクシー街道』はひどかった。 『ギャラクシー街道』 - 法華狼の日記

*2:重要そうなキャラクターのわりに本筋にはかかわらないとはいえ、香川照之が演じているのが今となってはきつい。しかし再鑑賞後に感想を書くまでにきつくなったのが三谷だ。松本人志の敗訴的な訴訟取り下げを受けて、被害者への二次加害になりかねない発言をしたと報じられている。 三谷幸喜氏、訴えを取り下げた松本人志の今後を予想「あまり考えたくはないんですけど」と性格を考えた結末も… - スポーツ報知

人工知能学会誌の表紙について、懸念をつたえた情報源を提示したら問題視したことにはならないと主張されたり、質問に答えたら論点をずらされたり……

人工知能学会誌の表紙をめぐる件で、表紙について最初に問題視したのは会員という話について - 法華狼の日記

はてなブックマークで、注目コメントの最上位で下記のような質問があった*1。
[B! 表現の自由] 『人工知能学会』の表紙をめぐる件と、警察が教育コンテンツにVTuberを起用した件が、年月をへて当時の文脈が忘れられているので反論をメモしておく - 法華狼の日記

id:tikuwa_ore 「最初に問題視したのは人工知能学会の会員でフェミニストではない」って、当時も現在もそんな話聞いた事ないので興味津々で読んでみたが、ソースなしの個人ポストが引用されてるだけだった。ソースお待ちしてます。

 温度差はあるが、他にも注目コメントで下記のようなものがあった。

id:fut573 一次資料、二次資料、同時代史料、史料批判あたりの概念をご存知ないわけないのになぜその材料でこれを論じたんだろ

たしかに情報量が多すぎて個別の論点の根拠が見つけづらいとは思うので、下記にリンクしておく。
人工知能学会の表紙について、会員として調べた/考えたこと

 上記エントリに対して、はてなブックマークで下記のような応答がおこなわれた。
[B! 法華狼] 人工知能学会誌の表紙をめぐる件で、表紙について最初に問題視したのは会員という話について - 法華狼の日記

fut573 その記事は既読だけと "私個人としては、差別的と取られる可能性もあるが、手にとってもらう、という意味ではギリギリ問題ないのではないか、と判断しました" と続く文章を疑問視問題視と要約はしがたいと思われる

tikuwa_ore 批判(問題視)した事が問題視されたのではなく、該当表紙に対して謂れのない批判で炎上させた層の言動が問題視されてるんだけど、ここの理解が致命的にズレてるのはマジなのか惚けてるのかどっちなんだろう

 自身の質問への回答を無視して違う話をはじめているtikuwa_ore氏は論外として、fut573氏は多数のはてなスターがついて注目コメントに入って同趣旨のコメントも複数ある。


 すでにコメント欄でも簡単に説明したが、文体を変更したり説明を前後させたりして、あらためて下記で応答しておく。
 まず会員としてエントリを書いた大澤氏は、問題視していたという自認をあらためて表明している。この時点でfut573氏と同調者は解釈の誤りを認めるか、せめて維持のために新たな論理を構築する必要があるだろう。


どうも自分が「当事者」らしいので当事者見解を述べておきますと、始めに外部からの表紙への指摘として気づいたのはスプツニ子!さんではなく新山さんの指摘でしたね。あと、自分としてはエクスキューズがあれば、と言っており、なかったので「問題視」はしてました。でなければイベント出たりしない

 どうやら私とfut573氏それぞれの引用した文章しか読んでいない人もいそうだが、大澤氏はエントリの時点で表紙公開後について下記のように論じていた。問題ないと結論づけたりはしていない。

女性だけでなく男性も含め、少なくない人々が不快に思う可能性を軽視し、看過したことは、若干後悔しています(もちろん実際には、私が見た表紙は最終稿であり、変更はできなかったと思いますが)。また、この表紙を海外に持っていけない、ということに関しても、私は同意します(誤解されやすく、言葉を尽くして説明する必要があります。少なくとも、研究者にとってそれは不必要な労働です)。特に、将来学会に入るだろう外部の方に、本質を誤解される可能性があるという意味で、私はやはり「学会誌の表紙としては」不適切だったかもしれない、と思います。

 つまりfut573氏の解釈を全面的にとりいれても、大澤氏は「問題ではないといったん判断した時期がある」だけだ。「問題視しつづけていた」ならともかく、「問題視した」という説明が間違いになるわけではない。
 何かを問題だと批判した人物が説明に納得して問題視をやめたとしても過去は変わらない。そこで第三者が「問題視しつづけていた」や「問題視している」と要約したのならともかく、「問題視した」と要約しても間違いにはならないだろう。一般的にも、何かを問題視した人物のその後を追った報道で考えを変えたと判明しても、「問題視したわけではなかった」という評価は報道も受け手もくださないはずだ。


 はてなブックマークを見ると、下記のようにコメントもあって、tikuwa_ore氏がはてなスターをつけていた。

id:type-100 みんな法華狼氏の論法に引っかかりすぎだと思うのだが、まあ負けた方が負けたと思うはずがないような戦い方してるのは氏の責任なので

 私自身は特に誰かを引っかけているつもりはなかったのだが*1、旧ツイッターのコメントも読んで困惑した。


法華狼氏の言ってることは大体において間違っていないことが多い。
どんどん細かい方に細かい方に話を進めていく氏の論法に付き合うと不毛だけど。

 懸念をつたえることと問題視することの差異におおきな意味があると私は思わないし、当事者に否定されても「負けたと思うはずがない」ことまで私の責任にされても困る。

*1:出典を確認しないと誤解するようfut573氏が引っかけた可能性は感じている。

『わんだふるぷりきゅあ!』第43話 つむがれる思い

 まゆがユキとおそろいのマフラーを編んで登校してきた。うらやましがるクラスメイトたちに、まゆは編み物を贈るのではなく編み方を教えることにした。
 一方、悟はニコとともに古い日記の解読をつづけていた。そこにはかつてガオウと仲良くなった人間がいたことが書かれていたが……


 千葉美鈴脚本に土田豊演出。作画監督は爲我井克美と沼田広の共同で、原画に板岡錦など。毛糸を編みこむ手元をクローズアップしてていねいにアニメートするカットの多用などは感心した。
 しかし色々な要素を入れこんだエピソードだが、本筋が動くような内容ではなかった。良くも悪くも話の要素が分離している。多人数でわいわい編み物教室をやる楽しさと、敵の背景にせまる謎解きと。そこに敵幹部ザクロとの対話がはさまり、サブタイトルのように群像劇としてつむがれる。
 毛糸の提供元としてニコガーデンが選ばれ、そこで羊のメエメエも印象深く登場し、ザクロもガオウに編み物を贈りたいと考える。ここまで編み物を中心的なモチーフに選んできたのだから、オチにも編み物にまつわる一押しがほしい。いろはが悟のためウサギを編みこんだマフラーをつくりたいと訴え、まゆが歓喜に震えながら肯定したのだから、そのまま放置せず*1にオチで編み物をがんばる姿などで回収すれば全体がまとまったと思うのだが……

*1:次回以降に贈り物として描写される可能性は感じているが

人工知能学会誌の表紙をめぐる件で、表紙について最初に問題視したのは会員という話について

『人工知能学会』の表紙をめぐる件と、警察が教育コンテンツにVTuberを起用した件が、年月をへて当時の文脈が忘れられているので反論をメモしておく - 法華狼の日記

 上記エントリに対するはてなブックマークで、注目コメントの最上位で下記のような質問があった*1
[B! 表現の自由] 『人工知能学会』の表紙をめぐる件と、警察が教育コンテンツにVTuberを起用した件が、年月をへて当時の文脈が忘れられているので反論をメモしておく - 法華狼の日記

id:tikuwa_ore 「最初に問題視したのは人工知能学会の会員でフェミニストではない」って、当時も現在もそんな話聞いた事ないので興味津々で読んでみたが、ソースなしの個人ポストが引用されてるだけだった。ソースお待ちしてます。

 温度差はあるが、他にも注目コメントで下記のようなものがあった。

id:fut573 一次資料、二次資料、同時代史料、史料批判あたりの概念をご存知ないわけないのになぜその材料でこれを論じたんだろ

id:Capricornus この人は昔からこうだぞ。自説ありきで世の有象無象使って自説を固めて行くだけの陰謀論まとめサイトみたいなものだからスルーが適切な対処だと思う。

 また、注目コメント以外にも下記のようなコメントが散見された。エントリタイトルで「メモしておく」と明記しているし、殺到した反論へ応答したことは何度もあるのだが。

id:lastline 法華狼さん、自分の中にある前提を特に説明することなく一般的であるかのようにブログを書くことがある。自分用のメモとして書いてるならわかるのだが、そうでもなさそうだし。

id:colonoe この人ってよくブコメ取り上げて批判してるけど、こんなふうにブコメでの反論が殺到すると何も言わないよね


 一応、引用したrna氏が紹介した学会誌の各記事をていねいに読んでいけば根拠につきあたると思うが*2、たしかに情報量が多すぎて個別の論点の根拠が見つけづらいとは思うので、下記にリンクしておく。
人工知能学会の表紙について、会員として調べた/考えたこと

私はただの一会員で、会誌には関わっていません。人工知能学会が表紙のリニューアルについて動いていることは知っていましたが、実際に確認したのは、表紙が発表される3日前の12月22日です。たまたま研究会のスライドを見て、そこで知りました。

その時点で懸念を感じ、Twitter上で関係者の方にお伝えしました。懸念内容は4点でした。

ジェンダー」:女性である
「作業」:掃除というタスクを課せられている
「有線で繋留されている」:自由が与えられていない
「表情」:明るい表情ではない

そのうえで、無意識的な差別意識を暴き出す、というようなエクスキューズがあれば良い、とお伝えしました(また、学会誌という文脈を除けば、この表紙は好みである、ということは正直に述べました)。

「炎上」後に書かれたブログエントリだが、現在にいたるまで関係者からの異論など出ておらず、上述の学会誌にも否定せず言及されているので、一定の事実と考えて良いだろう。
 一般公開以前に問題視できるのは会員くらいなので、ひとりでも懸念を表明すれば「最初に問題視したのは人工知能学会の会員」という説明は原理的に正しくなるわけだ*3
 しかし書かれた当時はそれなりに注目を集めたが、話題の発端ではないので*4、忘れられているのはしかたないかもしれない。最初に内部からも問題視されたことと、それが「炎上」の発端になることは別の話だが、はっきり説明しなかったことで混同されてしまったのかもしれない。書かれていない文脈を読みとった理由を好意的に考えると、表現の問題としてとらえるか、炎上の連続性としてとらえるか、という思考の枠組みの違いもあるだろうか。

*1:タグで「法華狼 似非フェミ はてなブログ VTuber お気持ち自警団 これはひどい 繊細チンピラ お気持ちヤクザ 党派性 おサヨクさま」と列挙されているので、素朴な質問とは感じがたいが。

*2:はてなブックマークではrna氏がその紹介をふくむ自身の論点整理エントリを提示している。人工知能学会の表紙の件(その2) - rna fragments

*3:当該会員を「フェミニスト」というくくりから除外すべきかは議論がわかれるかもしれないが、とりあえず今回の文脈では「炎上」以前に内部からも批判があったことが指摘として重要だろう。

*4:ツイッターでは最初期に懸念を表明したが、特定する表現をつかっていなかったので、その時点で広くは波及しなかったようだ。

人工知能学会誌の表紙をめぐる件と、警察が教育コンテンツにVTuberを起用した件が、年月をへて当時の文脈が忘れられているので反論をメモしておく

 下記エントリで言及した最近の出来事をきっかけとして、「フェミニスト」と表現にまつわる過去の事例が話題にされているが、さまざまな誤認が見受けられる。
フェミニストに性的嗜好を攻撃されたら攻撃していないフェミニストに「逆襲」するのが「オタク」であるかのように哲学者の東浩紀氏が主張 - 法華狼の日記


 まず学会誌の表紙が批判された経緯について、二重三重に間違っているのが「エキサイ@excite6636」氏の説明だ。


なぜ、この程度での批判でこんなになるかというと、AIの雑誌の表紙の件で、企業が取り下げてしまった事件があったから。最初はこんな程度のもの、だったのに実際に取り下げられたことで一気に危機感上がって、以降は批判しまくるようになってる

 フリーライターの荒井禎雄氏は当時のTogetterを紹介しているが、当事者ではなく周囲の反発する主張をあつめているだけ。


そもそも、フェミ活動家どもによる2次元絵燃やしの元祖って人工知能学会の表紙なんだけど
https://togetter.com/li/1434382

みんなも覚えておいてね、フェミ活動家らが徒党を組んで炎上させ、いまの萌え絵狩りに繋がるムーブメントに発展した元祖の絵は "これ" だからね

 当時のなりゆきは、「ぺんでゅらむ@大阪@pendulumknock」氏の要約と、id:rna氏の補足でだいたいの経緯がわかる。


「最初に問題視したのは人工知能学会の会員でフェミニストではない」「問題にされたのは女性表層と家事の結びつけで性的表現ではない」「一連のシリーズは騒動と同時進行で発表されたので幾らでも後付け可能」「学会誌側は特集を早期に組んでて明らかに騒動を認識している」
雑誌の編集部は大事な表紙を人気投票で選ぶような無責任なことをしてはいけない、というのが一番の教訓だと自分は思ってますね


「後付け可能」ていうか、炎上を受けて反省して後付けしたんですよね。学会誌の編集委員だった坊農真弓さんがシリーズ完結後に同誌に書いていました。
https://jstage.jst.go.jp/article/jjsai/30/1/30_34/_article/-char/ja/
そういえば炎上については『人工知能』2014 年 29 巻 2 号に小特集があったんだ。古い号なので無料で見れます。当時どういう批判があったのかはこれ見たらわかります。
https://www.jstage.jst.go.jp/browse/jjsai/29/2/_contents/-char/ja


 ご当地VTuverが警察に起用された件では、「道切タクサ@eraki_aso」氏の説明が事実誤認の拡散と定着をうかがわせるし、逆説的に当時の批判に一定の説得力をあたえてしまっている。


百歩譲って宇崎ちゃんは癖が強かったにせよ、松戸市ご当地vtuberの戸定梨香については流石に言いがかりじゃ
普段の服装だってヘソだしミニスカ程度でそこまで過激ってわけでも無かろに、問題になったコラボビジュなんか警察官の格好なんじゃ
臍や脇を出したミニスカート姿の少女婦警の服を着て直立して敬礼する少女
しかもこれは市会議員がいち企業に圧かけてそれが通ってしまったというよくない前例を作ってしまったんじゃ
なのにそれには毛の先ほども触れんで絵の方ばっかり叩くのはどうにもつごうがええのうと思ってしまうんじゃ

 当時の報道を確認すれば実際に抗議があったのは普段のデザインであって、抗議の対象も警察行政だったことがわかる。企業への圧力ではないので、企業が同じ映像を再公開した時には抗議はおこなわれなかった。
VTuberの交通安全動画に『女児を性的対象にしている』と抗議、フェミニスト議連が記者会見。波紋広がる【UPDATE】 | ハフポスト アートとカルチャー

再公開された当該啓発映像のキャプチャ画像
議論の対象となっている、交通安全PR動画VTuberプロダクション「VASE」のYouTubeチャンネルより

千葉県警は啓発動画について、小中高生を対象にした安全教育の一環であると説明。コロナ禍で対面教育ができない中で実施したものだとし、「今後の広報活動の参考とさせていただきます」などと回答した。

 一般的に能動的に視聴するVTuberコンテンツと違い、小中高生を対象として強制的に視聴させる教育コンテンツという違いがあった。服飾デザイン等、通常とは表現を変えることが正当性はさておき一般的な状況だった。
 企業は間接的な圧力を受けた立場といえなくもないが、市議が警察に意見をすることもまた民主主義のひとつではあるし*1、ちいさな議連に警察へ圧力をかけるほどの権力は一般的にはない。


 もちろん表現を批判することも、批判によって表現がとりさげられることも、それぞれ一般的には表現の自由の範疇だ。
 たとえば最近でも日本史を題材にしたフィクションのゲームに対して批判が集中しているが、批判自体や署名活動も自由だろう。批判や署名に問題があるのは、根拠の多くが事実誤認にもとづいているためだ。
ゲーム『アサシンクリード シャドウズ』が日本を舞台に外国出身の黒人男性を主人公にした差別性は、漫画『ゴールデンカムイ』が北海道を舞台に和人男性を主人公にしたくらいに差別的な可能性はあるが…… - 法華狼の日記

*1:これは皮肉として書いているが、つたえたい相手にはつたわらないだろうとも思っている。