法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

京都女子大で現代社会学部教授をつとめる江口聡氏の今の考えは、暇な空白氏のしていることは「おそらく一部は曲解」とのこと

江口氏は2022年12月31日の時点では、暇空茜こと暇な空白氏*1を会計として雇うことを提案していた。カッコに入れているので本気ではないだろうが。


なんか、印象としてはああいうふうになってるらしい会計までちゃんとして、最悪の事態まで考慮にいれて利益を最大に守る、みたいな仕事をするなら少なくとも報酬は数千万、みたいな気がする。
(むしろ暇な人に全権委任して数千万で雇ってしまうのがいいのではないか……)

そもそも会計士でもない人物に全権委任させようとするあたり、よく考えていなかったのかもしれない。会計の事実関係についても「印象」でしか把握していないことが前段からうかがえる。


次に、年をまたいだ2023年1月4日になると「私は評価している」「好感がもてる」とツイートしつつ、「ちょっとやりすぎの?」「陰謀論なところ」といった留意もした。


暇な先生のやってることはクリティカルリーディングと(ちょっとやりすぎの?)推理で、私は評価している。
推理はまちがうこともある、というかまちがいっぱなしになるものなので、そこらをどうするか。
そんでもキメるべきところでは文書読みあげてこまかいところつっついていくのとかは好感がもてる。
まあいかにも陰謀論なところはやっぱり推理まちがいというか推理しすぎじゃないかと思う。
予想とちがう結果になったときの修正がむずかしいのだな、みたいなのは感じる。まああやうい感じ。

女性が「出勤」と表現したら風俗嬢だとか*2、証拠を「保存」と表現したら弁護士ではないとか*3、そういう「推理」を留意しつつも評価する学者がいるのだ。
しかし具体性に欠けた「キメるべきところ」「陰謀論なところ」はともかく、追及は主体的な行動と位置づけて評価し、誤謬は責任を弱める表現にしていることが興味深い。いったん「推理まちがい」という表現を選びつつ、すぐに「推理しすぎ」と表現しなおすあたり徹底している。
一般論として、間違いの可能性に留意するなら断定するべきではないし、あるいは推理を公言する前にしっかり根拠をかためるべきだろう。そう考えてもしかたがない真実相当性が認められれば名誉棄損にならないこともある。
そうした慎重な態度をとらないことを批判しないどころか、推理による間違いはなぜか訂正できないかのように考えているあたり、江口氏はどのような研究生活をしているだろうか。


そして1月19日になると江口氏は別アカウントで、個別具体的な判断は放棄しつつ一部の曲解を認めて、「とりあえず距離とってる」と表明した。


暇な先生のやつが曲解なのかどうか私には判断つかないので(おそらく一部は曲解だけど一部はそうではない)、とりあえず距離とってるぐらいです。

知識や思索や想像力や注意力の不足で「誤解」することは誰にでもあるだろう。その誤解はとかれてしかるべきだが、極端に多かったり安易に断定しているわけでなければ、許容されるべきだとも思う。
暇な空白氏の主張すべてを「曲解」と考えている人はなかなかいないだろうし、主張の大半が誤っていると考える人もさまざまな原因がある可能性に留意しているだろう*4
しかし「曲解」はたとえ一部であっても、よほどの文脈でもなければ、他の主張もふくめて応答する意味がうすれると考えざるをえない。正面から反論することが、相手をする価値があるかのように誤認させて問題になることすらある。

「曲解」しているということは、つまり「陰謀論」や「あやうい」にとどまらず、暇な空白氏を不誠実と江口氏は考えるようになったのかもしれない。良し悪しはさておき当初から比べると、暇な空白氏とColaboを中立的に評価しつつあるようには見える。

*1:はてなアカウントはid:kuuhaku2

*2:

*3:

*4:ただし暇な空白氏は、批判を受けて後づけで自己の主張を「疑似餌」と表明したことが知られている。不誠実と思われて信頼を失うより、無知などを原因とする「誤解」をしたと思われることを恐れたのかもしれないが。 hokke-ookami.hatenablog.com

『デリシャスパーティ♡プリキュア』第44話 シェアリンエナジー!ありがとうを重ねて

招き猫の機能で「ほかほかハート」が復活し、合流したキュアプレシャスと仲間たちはおにぎりを食べて回復。フェンネルとの決戦に挑む。フェンネルはゴーダッツとして巨大な怪物となり、スピリットルーたちを世界にはなって力をうばい、ふたたびプリキュアをしりぞけるが、巨大招き猫やセクレトルーやナルシストルーがたちむかう……


平林佐和子シリーズ構成の脚本に、深澤敏則シリーズディレクターの演出*1作画監督も板岡錦と藤原未来夫と油布京子のエース級ローテとキャラクターデザイン、さらに原画に森田岳士や黒柳賢治などが参加した総力戦。
アバンタイトルなどは現代的な作画アニメらしい、フォルム優先で描き込みを少なくしたスタイル。しかしキュアプレシャスを中心としたBパートの決戦は、白いハイライトを散らした光沢感ある珍しいスタイル。シリーズ初代の必殺技などの作画を担当して、近年はサンライズのロボットアニメで活躍している冨田与四一のキャラクター作画を思わせるが、フォロワーの仕事だろうか。
冨田与四一のスタイルはアニメ全体では珍しいが、志田直俊や藤原未来夫など、このシリーズでは不思議と継承されている印象がある。良くも悪くも許される作画の幅が広い東映の長期アニメならではの作画なのかもしれない。


物語については、ここまで空虚なラスボスはひさしぶりな印象がある。前作*2のように空虚さが停滞というテーマとむすびついているわけでもない。料理というメインテーマではなく、そこから派生したシェアや文化の継承というサブテーマには関連しているが、想像したよりもスケールの小さなドラマとして終わろうとしている。
文化の継承というサブテーマの位置づけそのものは悪くない。祖母の言葉の限界にむきあった第39話*3から進んで、キュアプレシャスが自分の言葉を獲得するドラマが描かれ、後継者になるという形式だけを求めていた敵の挫折を必然と示していった。そのクライマックスで、これまでにおわせてきた祖母の死を、遺影をつかって正面から映したことも印象的だった。もちろん死や喪失を描いたエピソードはシリーズに複数の前例があるが、各話の挿話ではなく決戦の瞬間に描写した意味は大きい。思えば祖父母との別離や死もまた新型コロナ禍の現在ならではのテーマといえるだろう。
また、前回にレシピッピを生みだした招き猫がプリキュアの戦いにも参加するところも、師匠や祖母の想いを受けつぐドラマとしての意味はあった。しかしビジュアルとしては、『ドキドキ!プリキュア』第48話*4や『魔法つかいプリキュア!』第49話*5でかわいい妖精の姿のまま巨大化して決戦に参加する前例のインパクトは超えてくれなかった。初めて視聴する子供にはインパクトがあるだろうし、シリーズファンにとっては旧作へのオマージュとして楽しめただろうとは思うが。何より、ジンジャーの意思が巨大招き猫の上に立つ描写そのものはロボットアニメのような良さはあったが、それゆえ大人の男が介在することは少女たちが戦う主体性をうばわないかという疑問もおぼえた。たとえばジンジャーの立体映像が消えた後、プリキュアの誰かか、せめてローズマリーが招き猫の上にあらためて立つような継承を描けば、また印象が変わったと思うのだが……

*1:絵コンテを共同で担当する手塚恵美は演出助手が多く、近年に絵コンテを担当するようになった若手らしい。しかし検索すると、さらに以前は他社で作画監督をつとめているらしい。同姓同名の別人という可能性を感じるが。

*2:hokke-ookami.hatenablog.com

*3:hokke-ookami.hatenablog.com

*4:hokke-ookami.hatenablog.com

*5:hokke-ookami.hatenablog.com

『ドラえもん』ありがたみわかり機/のび泥棒をタイホせよ!

「ありがたみわかり機」は、のび太が食事を残すことに母親が怒る。ドラえもんのび太に食べ物のたいせつさを教えようと、たいせつに思うべきものに近づけなくなる秘密道具を出す……
 2011年に八鍬新之介コンテ演出でアニメ化*1された中期短編を、元制作デスクの小笠原卓也コンテ演出でリメイク。
 原作どおりの野球シーンにしずちゃんがクッキーをさしいれる描写を追加して、試合中に食べたいのに食べられないヤキモキを描いたところが良かった。他のアニメオリジナルの食べられそうで食べられない描写もそこそこ説得力とバラエティがあって、いい感じに原作をふくらませている。


「のび泥棒をタイホせよ!」は2015年の再放送。今回の映画に出木杉の出番があるゆえの選定だろうか。
『ドラえもん』のび泥棒をタイホせよ!/あの子を笑わせろ! - 法華狼の日記

『コープスパーティー Tortured Souls ― 暴虐された魂の呪叫 ― 』

学園祭を直前にした如月学園で、夜まで残っていた学生たち数人が怪談を楽しんでいた。しかし、仲間の結束をたかめるための「幸せのサチコさん」のおまじないをおこなったところ、大地震のような衝撃とともに校舎の風景が一変する。分断された学生たちや巻きこまれた者は脱出をはかるが……


前世紀に人気となった同人ゲームにはじまるホラーゲームシリーズを、全4話で2013年にOVA化。アスリードが制作を担当した。

瞳が大きいわりに頭身の高いキャラクターデザインで、安定してシャープな作画。B級ホラーのように少女の下着がそこかしこで見えるし、内臓をまきちらすスプラッター描写も多いが、アニメらしい質感に抑えていて状況ほど生々しく感じない。
どちらかといえば、誰を信じればいいのかわからないという、ゲームらしい五里霧中な状況こそ最も怖さを感じた。演出としては世界が変わったような時に画面全体がかたむく描写が印象的だが、原作ゲームの演出なのだろうか。


第1話は無料配信がはじまった当時に視聴したが、最も恐怖に直面する少女ふたりを佐藤利奈新井里美が演じて、それぞれ中性的だったり相手にはげしくスキンシップしたり、まるで『とある科学の超電磁砲』の御坂美琴白井黒子を二次創作でホラー化したような楽しさだった。一方の行動がホラーにしても愚かしすぎて物語の都合を感じたが、第2話以降を見つづけていくと理由がわかっていく。

また、このジャンルならば信頼できる位置づけになりそうなキャラクターがそうではなかったりと、犯人をめぐるどんでん返しもそこそこうまくいっている。学園ホラーで徹底的に後味の悪い結末も、それをドライな描写ですませたのも、なかなか挑戦的で良かった。
ただ、終盤になってエピソードごとの視点人物が手記を入手しては真相を知っていく構成は、ゲームらしい都合と単調さを感じた。複数の怨霊へアイテムを与える描写をひとりだけにして残りは省略したように、入手する手記の数やそれを読む描写は少なく整理するべきだろう。

「共産党アレルギー」の由来を質問するツイートに対して、シベリア抑留に対する社会党議員の答弁をリプライする謎


自分と同世代のオタクでも共産党アレルギーって凄いあるなって思うし、でも自分の人生の中で共産党に何かされたっていう覚えが全く無いから、どういうルートでそうなってくんだろうなって。

Lhasa@AtTheBlackLodge」氏の上記ツイートに対して、さまざまな回答がよせられている。


たとえば「つーじ@rei2rei_666」氏は社会党があったころの左翼と比べて、劣化していると回答した。


それは共産党または、左翼が劣化したから。社会党があった頃の左翼はまだ良かったが。今なんて労働者の疎外感も感じれないバカの集まりに過ぎない。

もちろん「Lhasa@AtTheBlackLodge」氏が疑問視するように、その理由ならば自民党などが先に強いアレルギーを生むだろう。


でも自民や維新よりよっぽど非正規や失業者やホームレスへの支援を訴えてません?


それでも「つーじ@rei2rei_666」氏はまだ政党の区別はできている。
かつての社会党左派の一質疑をもちだす「さしみぃ@shinamonpenguin」氏のリプライは、共産党アレルギーの理由としては不合理だ。


シベリア抑留で左翼議員のやったこと

共産党というか、左翼の連中は平気で嘘をつくから大嫌いです


右翼もしょっちゅう嘘ついてますよね。

嘘をつくことが理由なら右翼にもアレルギーが生まれるはずだと「Lhasa@AtTheBlackLodge」氏は返して、社会党共産党の混同にはふれなかった。
しかし、そもそも「さしみぃ@shinamonpenguin」氏のもちだした逸話は、「平気で嘘をつく」という話ではない。


スクリーンショットされているのは、Wikipediaの「シベリア抑留」の下記のくだりだ。
シベリア抑留 - Wikipedia

1955年(昭和30年)に当時ソ連と親しい関係にあった社会党左派の国会議員らによる収容所の視察が行われた。視察は全てソ連側が準備したもので、「ソ連は抑留者を人道的に扱っている」と宣伝するためのものであったが、調理場の鍋にあったカーシャを味見した戸叶里子衆議院議員は思わず「こんな臭い粥を、毎日食べておられるのですか」と漏らしたという。

過酷な状況で強制労働をさせられていた収容者らは決死の覚悟で収容所の現状を伝えたが、その訴えも虚しく視察団は託された手紙を握り潰し、記者会見や国会での報告で「"戦犯"たちの待遇は決して悪くはないという印象を受けた。一日八時間労働で日曜は休日となっている。食料は一日米三百グラムとパンが配給されており、肉、野菜、魚などの副食物も適当に配給されているようで、栄養の点は気が配られているようだった[54]」などと虚偽の説明を行った。

元収容者らが帰国後に新聞へ投書したことから虚偽が発覚し、視察団団長の野溝勝らは海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会で追及を受けている[53][55]。

山本七平賞を受けた稲垣武氏の著作に依拠しているようだが、実際はシベリア抑留の視察は超党派でおこなわれた。
そこでハバロフスクの収容所が、おそらくは旧ソ連側の思惑もふくめて、さまざまな経緯で社会党の一団だけが視察できたかたちとなった。


シベリア抑留者のおかれた厳しい環境と、それを帰国させるための努力は超党派でとりくむべき問題と考えられていた。
たとえば1955年12月、社会党左派の菊川孝夫が、抑留者の早期の帰還をもとめる質疑を当時に首相だった鳩山一郎に対しておこなっている。
国会会議録検索システム

現在の日ソ交渉の進渉状態を眺めまして、私どもの胸に最も迫るものを覚えますのは、何と言っても、すでに十回目の冬をシベリアの酷寒の抑留所で迎えるところの同胞の身の上についてであります。万一平和条約の交渉がこれ以上おくれるような場合には、とりあえず、両国間の暫定協定でも締結しまして、そうして戦争状態の終結を宣言し、即時戦犯及び抑留者の帰国を実現するとともに、これと並行して外交使節の交換を行い、引き続いて平和条約の締結その他の懸案の解決をはかられたらいかがかと考えるのでありまするが、総理のお考えを承わりたいと思います。

1956年3月には、社会党右派の山下義信が日本赤十字をとおした実態調査をおこなうことを質疑で提案している。
国会会議録検索システム

最近ハバロフスクの収容所の状態につきまして、政府はどういうふうな実情調査をなさろうとするお考えでありまするか、あるいはまた政府みずから調査する方法がなけらねば、日赤をして調査団を組織し、これを派遣し等の方法でもおとりになりまして、すみやかに実情を明らかにして、事態を明白にし、国民の不安、あるいはその関心に対して真相を明白にするというお考えがありますかどうか、また関連いたしまして、収容者の慰問等につきまして、政府はいかなる方針をおとりになるお考えでありますか。

Wikipediaに記載されている野溝勝の答弁は、前後した1956年2月におこなわれた。追及したのは自由民主党臼井荘一だが、野溝勝が野菜不足を新聞に語っていたことも言及されている。
国会会議録検索システム

野溝氏談として、「戦犯の生活として、カロリーは科学的に計算されているという事で、皆んな元気そうな顔付であるのにホットした。顔付は、普通人並でラーゲルとしては普通といってよいだろう。」こう言いながら、最後のところで、やはりあなたの印象としても、あるいは聞いたところによっても、御不安があるのでしょう。「ソ連人一般の悩みでもあるが、冬に生野菜が欠乏するのをかこっていた。食堂、調理とも清潔で、ここには罐詰等も配給があり集合所にも使われていた。」こういうふうに矛盾するお話もあるが、大体どこにおいてもそう言われておる。


ソ連人一般の悩みでもある」という説明は、日本が徴用工に対して用いる論理を思わせるが、まったく根拠のない相対化というわけでもない。
2006年に、シベリア抑留者が日本に対して強制労働の対価を要求したことがあり*1rna氏がシベリア抑留者が日本を追求する理由をまとめていた。
シベリア抑留者について(3) : 虐待の記憶 - rna fragments

ソ連将校による配給食料のピンハネもあった。栄養失調による死者が出ているのを知りつつであるから「死んでも構わない」の範疇の悪意と言えるだろう。しかし、これがソ連への一方的な憎しみにはなりにくい事情もあった。

ただでさえ捕虜の状況は困難だったのに、食料が供給不足になる場合や、その質が日本人の伝統的な食事にふさわしくない劣悪なものである場合が増えた。飢餓*1にみまわれていたソヴィエト国家で捕虜によい食事を期待するのは難しかった。しかし、捕虜が受け取った配給量は普通のソヴィエト市民のそれより多かったのである。

rna氏の『スターリンの捕虜たち シベリア抑留』からの引用によれば、ソ連だけでなく日本の将校もピンハネすることで、抑留者の怒りの矛先がソ連に集中しなかったという。
その他の証言をてらしあわせても、たしかに抑留者はひどいあつかいを受けたが、良くも悪くもソ連の兵士と同じくらいで、日本の捕虜収容所と違って意図的な虐待などは少なかったようだ。
さらに日ソ共同宣言で抑留者の請求権が放棄されたことにより、帰国後も抑留者の怒りはソ連一国に集中せず、先述したように日本政府への批判という動きとして返ってきた。
シベリア抑留と帰還事業において、左翼だけを嫌う合理的な理由があるとは思えない。抑留者からして、その全員が左翼だけを嫌っているわけではない。

*1:こちらのコメント欄も参照。 apeman.hatenablog.com