法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

菓子のレシピを信用できずに調理すると、てきめんに失敗する

黒点だらけで商品にならない青梅が手に入り、アルコールは嗜まないし梅干しや砂糖漬けは発酵が怖いし完成まで時間がかかる。
そこで素人でも簡単にできそうで、すぐ試食できそうな甘露煮のレシピをNHKの「きょうの料理」で見つけて試したのだが……
www.kyounoryouri.jp
同じようなレシピが「きょうの料理」に複数あるが、このレシピが最もポイントが具体的で多く、わかりやすいかと思って選んだ。
しかしゆっくり温めながら転がす前半で、手でさわっている梅がいつまでたっても硬いままで、砂糖をくわえて煮ていく合計20分間で柔らかくなりそうな感じがしない。
そこで砂糖をくわえて煮る時間を少しずつ多く、合計30分間くらいかけて煮たところ、最後に煮ている時に一気にグズグズに崩れてしまった……
わりと黒点だらけでも気にならない見た目にはなったし、味自体は悪くなかったので、次の機会があればもう少していねいにやるつもり。

映画監督として協会にいた吉村元希氏を、大島渚と深作欣二が映画監督として当たり前に遇したという逸話

半月ほど前、吉村氏が両監督の記憶を語っていた。アフガニスタンの女性研究などでTVに出ることの多かった清末愛砂氏とタクシー運転手の逸話を受けてのものだ。


昔所属してた映画監督協会で年配男性監督たちから「美人監督美人監督」とはやし立てられて所在なかった。
そんなとき大島渚さんが「君たちそれは女性蔑視だよ」と止めてくださった。
ずっと大島さんを尊敬している。
美人だったり女性だったりする前に、人間であることを認めてくださる方。
深作欣二さんは「あなたは映画監督なんだから、あなたの映画を見たい。それから話をしよう」と言ってくださった。
大島さんも深作さんも、昭和の人たちだけど凄く素敵だった。
ずっと忘れない。

吉村氏は主に東映のアニメ脚本家としての活躍が記憶にあるが、はっきり女性的な名前ではないこともあって性別を意識して視聴したことがなく、今回のツイートで初めて女性ということを認識した。

ベテランのアニメ監督として生活の苦境を語っていた渡部高志氏の、二年前の思い出ツイート

しかし今回のツイートは転職を考えていたという過去より、つづくツイートで社会全体の貧しさや余裕のなさを示唆しているところが印象深い。


2年ほど前、もうアニメなんかやめようと思い立ち
本気で転職を考え、人材登録サイト経由で応募したが
ことごとくだめで、シルバー人材センターに行けと言われ、求人が軽作業、夜勤の守衛、ぐらいしかなく
手取り12万程度。63歳での転職は絶望と悟った。
厳しい世の中だ。
結局転職できぬまま今に至る。
卑下するわけではないが、自分からアニメを消したら
ほぼ無価値の人間だ。
だがいつまでもこの仕事は続けられない。
やがて大きくステージが変わるだろう。
その時どうすればいいのかまだ見えていない。
高校時代の同級生はみんな定年退職して
悠々自適・・・なのか?
俺にはそうも見えんのだが。
しかし60歳定年は早すぎるな。
俺はまだかろうじて現役だ。

多くが原作付きとはいえ何度も監督としてTVアニメをヒットさせて近年まで精力的に仕事をつづけているなら、そろそろ転職するまでもなく貯蓄や版権収入で安定した生活ができるべきだということは感じられる。そういう契約になっていないのだろうが、それはそれで業界の貧しさをあらわしていることに違いない。
しかし社会に余裕があれば、さまざまな事情で仕事をやめたいフリーランス全般が、技術がなくても充分にできる新たな仕事があるはずだ。いやそもそも仕事をしなくても健康で文化的な最低限度の生活は保障されなければならない。

クソアニメ、クソ映画、ポリバケツ

全ての母音をひとつずつふくむ言葉を集める上記ツイートが話題になっていた。ポリバケツ語という呼びかたがあるらしい。
b.hatena.ne.jp
リプライはすべて見ることができていないが、とりあえずはてなブックマークのコメントで出ていないものとして「クソアニメ」「クソ映画」を思いついた。
簡単な思いつきかたとして、まず三文字から四文字くらいの母音をひとつずつふくむ言葉を考えて、その頭や尻に残りの母音でできる言葉をくっつけていく。
この方法なら「アニメ」と「映画」で同じ「AIE」が母音となり、残りの「UO」を付属させればいいだけ。基準となるのが近いジャンルの言葉なので、だいたい同時にふたつできる。
もちろん単純すぎる思いつきかたなので、あまり意外性のある言葉にはならないという難点もあるのだが。

「つまんない映画を観たくない」という気持ちは強くないが、「つまんなくない映画を観るには準備がいる」という気持ちはよくわかる

1984』のコミカライズなどをしている漫画家の森泉岳土氏が、つまらない作品に手を出すことへの恐れが、ここ数年に強迫的になっているとツイートしていた。
togetter.com
その本題については、サブスクリプションなどで選択できる作品数が増えただけ、視聴の優先順位を決めること自体の優先順位が高まっているのではないだろうか、といった可能性を考えた。
作品を視聴すること自体に意味を見いだす、押さえておくべき作品があるという発想は、ある意味では先日に話題になった藤津亮太氏のリストに近いかもしれない。
20歳が観るべきアニメ残り12タイトルを選んでみた - 法華狼の日記


しかし本題とは別個に、はてなブックマークid:goldhead氏によるコメントが印象深く、深く共感もした。
[B! 趣味] 「つまらない作品を享受したくない」という感覚はあるのだが、最近は特にそれが強迫的に作用している気がする

アニメについて、「これは歯ごたえがあって面白そうだからしっかり見なくては」と思う作品がどんどん溜まっていって、「これは適当にながら見でいいや」という作品を毎週しっかり追いかけてしまう逆転現象がある。

少しでも良い状態で鑑賞するための準備も必要だし、期待したほどには良くなかった時の心の準備も必要だ。そう考えて、映像ソフトを購入したまま視聴できていない作品がいくつもある。
たとえば川尻善昭監督の代表作『獣兵衛忍風帖』もそうだ。『妖獣都市』は娯楽としてすごく良かったが、それゆえ異形の傑作とまでは感じなかったし、同じように期待しすぎてはいけないと抑制的に考えてしまっている。

ソ連の防衛戦争映画『炎628』も概要だけは知っているが、重い作品と聞いて視聴しないまま。さらにロシアのウクライナ侵攻を受けて視聴したい気分と遠ざけたい気分が拮抗している。

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涼宮ハルヒの消失』のように、単純に尺が長くて視聴を邪魔されない状況を用意するのが難しそうに思える作品も後回しにしてしまっている。

そういう意味で、毒にも薬にもならない娯楽作品の良さも、逆説的に理解できるようになった。実際、昔は遠ざけていたような大味な大作や、軽くしあげた小品を先に消化するように視聴している。