法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『トロピカル~ジュ!プリキュア』第29話 甦る伝説! プリキュアおめかしアップ!

海の中で伝説のプリキュアをかいま見る。ある夜の夏海はそんな夢を見た。一方、敵幹部バトラーが初出撃し、あおぞら市に流れる水そのものを怪物化する。
分断されて各個に変身しながら戦うプリキュアたち。しかし夏海が変身したキュアサマーは学校にあらわれた敵に敗北し、変身が解けて捕らわれてしまう……


横谷昌宏シリーズ構成の脚本に、今作初参加の田中裕太演出。さらに東映出身で注目の若手アニメーター、森佳祐が初めて作画監督をつとめる。
w.atwiki.jp
東映のTVアニメでは作画枚数がきびしく制限されていた時代が信じられないほど動きまわる。リピート作画による枚数節約などもほとんどなく、広々とした空間でカメラワークをつけてプリキュアが飛びまわる。
部室内などで近年では珍しい手描きの背景動画でダイナミックな動きをしていると思ったら、やはり志田直俊がひさしぶりにTV本編の原画にいた。屋外では一転して現代の作画アニメらしいフォルム優先のラフな背景動画。
温泉中也が原画にいたり*1、いかにもペンネームなひらがな名のアニメーターがならんだり、他社の作画アニメ回のようでもある。


実は物語は大きく動いていない。後回しの魔女関係でいろいろにおわせたり、いつも元気いっぱいの夏海が敵にとらわれて変身が解けたり、伝説のプリキュアが幻のようにあらわれたり、新アイテム登場*2イベント回らしい思わせぶりな場面は多いが、それぞれどのように関連しているのか今回だけでは判然としない。
とはいえ物語として楽しめないわけでもない。自室の夏海とローラが無意味*3でいて大切な時間を共有したり。バラバラに戦っていたプリキュアが合流して障害をのりこえ学校へ集合していくアクションがそのままドラマとなっていたり。キュアパパイアが必殺技を誤射するというプリキュアでは珍しいシーンや、復活したキュアサマーがウルトラマンのようなポーズで出てくるカットなど、戦いのなかの笑いも忘れない。
プリキュアとしての華やかなアクションとカタルシスあふれる新技発動に徹して、ノイズになる疑問点をていねいに削ぎおとしたエピソード。これはこれで娯楽として正しく貴重だ。

*1:現在の東映アニメーションが業界平均以上の対価をアニメーターに提示できている証明かもしれない。現在のアニメ業界でクオリティに見あう対価について危機感をもって発言と行動をしているひとりであり、『アズールレーン』での発言が炎上した背景にもそれがあった。 hokke-ookami.hatenablog.com

*2:正確には前回で主人公たちのつくったドレッサーが、何らかの力でプリキュアアイテム化した。

*3:もちろん「鏡」というアイテムをめぐる前振りであり、伝説的な説明であるが。

『ドラえもん』月の光と虫の声/ツモリガン

「月の光と虫の声」は、スネ夫が買ってきた虫の声をみんなに聞かせるが、以降は有料だといいはじめる。のび太は反発して虫がたくさん鳴いていた過去から持ってこようとするが……
2011年に八鍬新之介コンテ演出で映像化*1された原作をリメイク。今回は山岡実コンテ、篠塚滉平作画監督
過去にもどった時、家こそ建て替え前の古さだが、道端に古いデザインの自動販売機があったり、現代から約三十年という時代の微妙な新しさが感じられた。
そして2011年版と同じく、アニメオリジナル展開で少年時代の父親と邂逅する。今回は柿泥棒と疑われて追い出されたり、虫捕りに来ていたと知って助けてくれたり。十五夜の月見のためススキを採っている描写もあわせて、物語の季節感を強調しつつ、身近な自然の大切さを実感させ、のび太の選択の説得力を増す。それに虫を捕まえるため苦労した描写があるからこそ、逃がして自然のままにさせる決断が原作以上に印象深い。
タイムマシンの出入り口が縁の下にできる描写も、時間を超えた場所が足元にできるセンスオブワンダーがあって、父親がのぞきこんだ目前で消えていく描写ともども、今回の情感をよく支えていた。別れぎわに父からもらった柿を現代でしずちゃんジャイアンと食べることで、現代なりの月見の楽しさも描かれた。
もちろんそうした情感はスネ夫が虫を盗んで失敗するオチの助走でもあるが、金にあかせて籠の虫を自慢することへの批判に自然保護のメッセージを重ねあわせやすくなってもいる。もともと虫の音を楽しむ情感も重視した物語だし、それを強調する良いアレンジだった。


「ツモリガン」は、撃つと望んだとおりの体験をしたつもりになる秘密道具が登場。それでジャイアンを追いはらうことができたが、どら焼きの夢を見ていたドラえもんは納得しない……
氏家友和コンテ、小西富洋作画監督で、作画が良好。柔らかい輪郭のキャラクターが弾力的に動いてまわる。どら焼きフルコースも絵としてこっていて、再現してもおもしろそう。
原作での虚実が反転する切れ味するどいオチは改変され、ドラえもんが同じ秘密道具をもっていることを視聴者に開示した上で、たがいに相手に幻を見せようと戦う。前回放映エピソードに登場した押し売りがアニメオリジナルで再登場し、押し売りが成功して喜ぶ夢を見たり。
しかし拳銃の撃ちあいなら西部開拓時代で集団相手に勝利できるのび太が、ドラえもんと正面から戦って早撃ちで負けたことの違和感は大きい。原作では不意打ちだから成功したという解釈も可能だし、今回は母親からの宿題の命令をさえぎるほどドラえもんのどら焼き愛好が勝利にむすびついたとも考えられるが*2、たがいに狙いを外して無駄弾を撃ちまくった果ての決着というのは納得しづらい。せっかくアニメオリジナル展開にするなら、原作に説得力を足す方向へ工夫してほしかった。

日本共産党が武力革命を放棄した後、クーデターを起こさないよう公安調査庁に監視されている組織の話

日本共産党が綱領で武力革命を放棄していないというデマを、弁護士の八代英輝氏がワイドショーで主張して、謝罪に追いこまれた。
八代氏のデマ発言/TBSは謝罪

八代氏は「私の認識は閣議決定された政府見解に基づいたもの」などと正当化。「一方、日本共産党はそれをたびたび否定していることも併せて申し上げるべきでした。申し訳ありませんでした」とのべ、日本共産党綱領に書いていないことを発言した誤りには触れずに「今後はより正確に、バランスに配慮し、言葉に責任を持っていきたい」などと、“バランス”の問題に矮小(わいしょう)化しました。

それでも武装を放棄していない根拠としてつかわれている「敵の出方」論については、共産党職員の紙屋高雪氏が解説していた。
「暴力革命」宣伝のスジの悪さ - 紙屋研究所

 共産党は「あくまで平和的移行を貫きます」とするのだが、「でも軍隊がクーデターを起こすかもしれない危険性は見過ごすわけ?」としつこく言ってくる人がいたのである。

 そこで初めて共産党としては、「いや、そこまでいうなら確かに絶対にないわけじゃない。それは反乱を起こそうとする相手側の次第ではそうなることもあるよ」と認めるわけだ。これが「革命が平和的か暴力的かは敵の出方による。現在の国家権力がたやすく権力を人民に譲渡するとは考えられない」とか「革命への移行が最後的には敵の出方にかかる」とかの表現となる。

そうして武装闘争を放棄*1した1961年の新綱領でも、そのような表現がつかわれたのだという。組織内で見聞している証言もふくめて興味深い説明だ。
現在から考えれば、軍隊がクーデターを起こす可能性よりも、官僚がサボタージュする可能性を考慮すべきだったろう。紙屋氏も指摘しているように。

今や「軍隊がクーデターを起こすかもしれない危険性は見過ごすわけ?」「ミャンマーみたいなことが日本でも起きると思うよ!?」と詰問してくるような左翼は(そして右翼も)いなくなった。

しかし自衛隊が民主的な統治をはなれてクーデターのようなふるまいをする危険性が完全になかったかというと、それもまた違うように思える。


たとえば新綱領と同じ1961年の三無事件は、共産党へ対抗する政府をつくるための元日本軍士官によるクーデター計画だ。自衛隊幹部も勧誘されかけたという*2
kotobank.jp
自衛隊が実際に戒厳令などを視野にいれた三矢研究は1963年、つまり共産党新綱領の直後だ。それを考慮すべき時代だったといえるだろう。
kotobank.jp
1971年には、自衛隊幹部学校のグループ「兵学研究会」が左翼政権が誕生した場合のクーデターを考慮していたという。未確認だが、雑誌『正論』に心情を理解する論評が掲載されたらしい。

2018年、国会近くにいた野党議員の小西洋之氏に対して自衛隊幹部が罵倒して、防衛大臣が謝罪するにいたったことも記憶に新しい。
www.kinyobi.co.jp
今年に入っても、カルト的な思想をもった元自衛官のもとで、私的な戦闘訓練を現職自衛官がおこなっていた問題が明らかになった。
hokke-ookami.hatenablog.com
ひとつひとつの事件は早い段階で発覚して火消しされており、すぐにクーデターに発展するとは思いにくいし思いたくもない。


しかし日本共産党が武力革命を起こす危険性を考えるならば、それ以上に自衛隊がクーデターを起こす危険性があると考えるべきだろう。
単に自衛隊がその実力をもっているというだけではない。
冒頭の閣議決定で言及されたように、公安調査庁の監視対象になっていることが、共産党を危険視すべき根拠のように一部で語られている。
しかし公安調査庁の監視対象は幅広く、右翼的な自衛官もふくまれている。保守派の雑誌『SAPIO』に、公安と自衛隊の心情をそれぞれ理解しようとする記事があった。
警察 「前科」がある自衛隊部隊のクーデターを現在も警戒中|NEWSポストセブン

 警察が自衛隊内部の「右翼的な思想を持つ隊員」をマークするのは、自衛隊に対する根強い不信感があるからだという。

「戦前に発生したクーデター『五・一五事件』では警視庁が襲撃され、『二・二六事件』では警察官5名の殉職者を出しています。警察は現在でも『自衛隊部隊によるクーデター』を警戒している。馬鹿げた話かもしれませんが、“前科”がある以上、可能性はゼロではないと考えているのです」(警視庁関係者)

公安の判断を基準とするならば、共産党と同じように自衛隊も危険視するべきだろう。
もちろん、調査によって危険視すべき情報が見つかったならともかく、調査されていること自体が危険視すべき根拠になるわけがない。
市民ひとりひとりが社会の主体である以上、こうした判断基準を体制にゆだねるべきではない。

*1:その時期については異論があるかもしれないが。

*2:ここでは自衛隊はクーデターに巻きこまれかけた被害者といえるかもしれないし、自衛隊と旧日本軍の連続と断絶はまた議論の余地があるが、共産党が綱領での考慮を求められた「軍隊」という大きなくくりには入るだろう。

統一協会の関連媒体へ記事を掲載させている政治家や研究者は反省してほしい

いまだ与党の重鎮議員として影響力をもっている安倍晋三氏がイベントで演説をおこなったりと、ここ最近に統一協会*1の話題を見かけるようになった。
dailycult.blogspot.com

9月12日、韓国の教団施設から全世界に配信された統一教会(天の父母様聖会世界・世界平和統一家庭連合)フロント組織『天宙平和連合(UPF)』の大規模集会に安倍晋三内閣総理大臣がリモート登壇し、教団最高権力者・韓鶴子に阿る基調演説を行った。


よく表現関係で話題になる与党議員の山田太郎氏も、知ってか知らずか統一教会フロント団体のイベントに参加していたことが話題になっていた。


セミナーの案内を見たら、日本側登壇者として、音喜多駿氏のみならず山田太郎氏の名前もありますね。
https://washingtontimes.jp/wp-content/uploads/2019/11/JUIS2019_1108.pdf

引用されている画像を見ると、消滅したみんなの党*2で代表をつとめていた渡辺喜美氏らもイベントに登壇している。
当時の山田氏はみんなの党から維新の会をへて、イベントの半年ほど前に自民党に入ったばかり。以前からのつきあいで行ったのかもしれない。
ただ弁護士の山口貴士氏による釈明は、過去のツイートと比べて奇妙に思える。一般市民*3が記事を紹介しただけでも責任はあるが、政治家がイベントに登壇した責任はいっそう重い。


ワシントンタイムズと統一協会の関係について専門家として御助言したところ、山田太郎議員からは「統一協会と関係あると知っていれば、参加しませんでした。その後、この団体とは付き合いはありませんし、今後も付き合うつもりはありません。」というお返事を頂いております。


ん?渡辺真由子先生が統一協会系メディアの世界日報の記事を紹介している。
エロマンガ憎しのあまり、統一協会勝共連合)とフェミニズムの野合がみられるのかな?


こうして再注目されている統一協会だが、朝鮮半島地域研究者の木村幹氏によると、韓国内での影響力は落ちているという。


統一教会に拘る人、結構いるけど、韓国内では昔のような大きな影響力はなくなってるよね。ビジネスも成功しているようには見えないし。
こういうのも、日本の韓国に対する見方が90年代くらいで止まっているのを示す例かも。

少し気になるのが「韓国内では」と限定していること。文章を素直に読めば、反共保守の宗教団体として日本国内で影響力を残していることは否定していない。
くわえて気になる指摘として、統一協会関連団体「世界平和アカデミー」の季刊誌である世界平和研究に木村氏の記事が掲載されているという。


ところでカンキムラ先生といえば「世界平和研究」224号に論文を掲載していることが注目されますよね 日本学術会議より世界平和教授アカデミーな「研究者」 http://pwpa-j.net/journal/back_n

バックナンバーを見ると、「地域研究」テーマのひとりとして記事がのっている。
世界平和研究バックナンバー

日韓関係をどうみるか
 ─社会構造の変化と新たな関係再構築に向けて─

一般社団法人「平和政策研究所」のサイトに転載された文章と同一だとすると、「(2019年9月30日に開催された「新時代の日本を考える兵庫フォーラム」IPP共催の研究会における発題内容を、その後の状況の変化を一部入れて再整理して掲載)」とのこと*4
ippjapan.org
しかも掲載は一度きりではない。227号でも「韓国とどう向き合うか」テーマで名前がある。
世界平和研究バックナンバー

変容する韓国社会と日韓関係
 ─「ウェット」な関係から「ドライ」な関係へ─

やはり「平和政策研究所」のサイトに転載された文章と同一だとすると、こちらはインタビュー記事だったようだ。
ippjapan.org
ちなみに2021年5月にも「平和政策研究所」のサイトに「(2021年3月20日に開催されたILC研究会における発題内容を整理して掲載)」*5として記事が掲載されている。
ippjapan.org
念のため、「平和政策研究所」の代表理事*6である林正寿氏は早稲田大学名誉教授の経済学者だが、統一協会のイベントで歓迎のあいさつを担当するくらいの立場だ。
unificationnews.jp

大塚克己先生の開会の辞、リトルエンジェルスの平壌公演の映像上映に続き、林正寿・早稲田大学名誉教授が歓迎の挨拶を行いました。

他に理事の梶栗正義氏はUPF-Japan会長で、つまり安倍氏が講演したフロント団体の日本支部長だ。
元駐オーストラリア大使の上田秀明氏も理事だ。日本の自白偏重を国連で批判されて「シャラップ!」と反駁したことで悪名高い*7


「世界平和研究」に記事が掲載されている研究者は木村氏ばかりではなく、篠田英朗氏や熊谷奈緒子氏*8などの名前もある。
背後関係を知っていても知らなくても、記事が掲載されただけでも研究者としては問題だろう*9。記事そのものは妥当な内容でも、それはそれで背後組織の宣伝になりかねない。
政治家も研究者も、脇が甘いならば反省すべきだろうし、理解して協力しているならば悪質だ。反省してほしい。

*1:現在は 世界平和統一家庭連合に改名。統一教会という表記は批判的な意図でさけている。

*2:現在の渡辺氏は立花孝志氏と共同で同名の政治団体を立ちあげている。

*3:ただし批判的に言及されている渡辺真由子氏は研究者である。また、ここで批判されている以前に論文での剽窃が明らかとなり、博士号が剥奪されている。 mayumedia.blogspot.com

*4:「IPP」は「平和政策研究所」の略称。はてなブックマークを23users集めながら、統一協会との関係を指摘するコメントがないところが悩ましい。 b.hatena.ne.jp

*5:この「ILC」は、おそらく統一協会主催の国際会議「国際指導者会議」のこと。

*6:ippjapan.org

*7:www.huffingtonpost.jp

*8:こちらの読書会で批判されていた印象が強いが。 readingcw.blogspot.com

*9:記事内で発表媒体を批判するなどすれば、許容されうることもあると思うし、まったく関係ない場所で発表した文章が利用されたなら話は違ってくるが、木村氏の記事はそうではなさそうだ。

ソン・ガンホで見る韓国史

togetter.com
『弁護人』 - 法華狼の日記

こうなるとソンガンホひとりで韓国近現代の激動を描けそうな気がしてきた。

やってみた。

1905年  ソン・ガンホ、植民地朝鮮で支配者と野球対決*1
1923年  ソン・ガンホ、日本統治下の警官として独立運動に潜入*2


1950年  ソン・ガンホ、米軍による市民虐殺にたちあう*3


1968年  ソン・ガンホ工作員潜入と独裁政権の反動に巻きこまれる*4


1970年  ソン・ガンホ、麻薬密売で財をなす*5


1980年  ソン・ガンホ、市民弾圧を取材するドイツ人記者の足となる*6
1981年  ソン・ガンホ、弾圧された若者たちの弁護人になる*7
1986年  ソン・ガンホ、連続殺人事件を乱暴に捜査して失敗*8


1999年  ソン・ガンホ朝鮮人民軍として、38度線で韓国側警備兵と対峙*9


2000年  ソン・ガンホと家族、米軍が廃棄したホルムアルデヒドで被害を受ける*10


2018年  ソン・ガンホと家族、1968年の工作員潜入から生まれた半地下で貧困生活*11

時代劇的な主演作品を除外したこともあるが、印象よりも作品数が少なかった。
すでに風格ある名優とはいえキャリアが西田敏行などと比べて短いのと、韓国映画は長期間かけて1作を完成させていくためだろうか。


ただ、こうしてリスト化してみると小さな発見があった。
ソン・ガンホは近現代を舞台とした多くの作品で印象的に活躍しているが、どれも歴史の中心的な著名人ではなく、その補佐や観察をする立場が多い*12。事件に巻きこまれた庶民であったり、公権力でも無名な末端にすぎなかったり。
庶民でも事件の犯人ならば歴史の中心に立てるが、そのような状況を主体的に動かした存在も滅多に演じていない。後の大統領を演じた時も、わざわざ弁護士時代の裁判で負けたところまでしか描かれない。
こうした視点の選択のおかげで、近現代の細部をモチーフにしながら外国の観客でも理解しやすい。社会派メッセージを力強く出しながら生活感を失わず、安易に英雄をもちあげて過去の出来事として終わらせたりしない。
この傾向はソン・ガンホ出演作に限らず、韓国映画の長所のひとつかもしれない。