法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

東京五輪の選手村で韓国選手団が国旗や横断幕をかかげること自体に、問題があるといえるはずがない

数世紀前に防衛戦争で活躍した英雄の名言をもじったことが、批判されるべき「反日」とは思えないことは先日に書いた。
hokke-ookami.hatenablog.com
上記エントリで紹介したように、東京五輪聖火リレーなどで日本側も同じような歴史的事象の引用はしてきたのだ。
さらに南京事件や日本軍慰安所制度など日本の戦争犯罪を擁護する作曲家を開会式につかった*1ことで、あらゆる批判がもはやむなしい。
すぎやまこういち

南京大虐殺」の証拠とされている写真の全ては改ざん、捏造されたものであるという東中野修道先生の研究成果や、世界に「南京大虐殺報道」をしたティンパーリが中国の中央宣伝部国際宣伝処の顧問であったこと、また、「南京大虐殺」が起こったとされる一九三七年当時、南京の人口は虐殺されたとされる三十万よりも少ない、二十万人だったことなどを知らせたかった。

 三つ目は、インドネシアのサマラン島の事件です。オランダ人女性を慰安婦として働かせており、これは確かに本人の意思に反するものだったとして、慰安所は閉鎖されています。

ちなみに東中野氏は南京事件の証言者から名誉棄損で訴えられ、上記の文章と同年に地裁から「学問研究の成果というに値しないと言って過言ではない」と断じられている*2
また、日本軍が直接的に女性を集めたスマランは、島の名前ではなく、ジャワ島の港湾都市の名前である。そしてオランダ側に抗議されて閉鎖したが、責任者は処罰されなかった。


とはいえ、韓国選手団は要請にしたがって横断幕をとりさげ、朝鮮半島と虎をかさねあわせた垂れ幕にさしかえたという。
しかし内容には関係なく、垂れ幕や韓国の国旗を選手村にかかげること自体が非難にあたいするかのような論調がくすぶっている。
メディアに掲載された代表として、『AERA』連載のカンニング竹山氏による発言を紹介しよう*3
小山田氏いじめ問題は「差別」、韓国の五輪問題は「無知」カンニング竹山が怒る (1/5) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

中国の話は僕の想像ですけど、それよりも何よりも“とんでもねぇな!”と思うのは韓国ですよね。選手村のベランダに抗日英雄の横断幕をかけたり、撤去を命じられたのにまた別の横断幕をかけ出した。

選手村の報道を見ればわかるが、実際は各国の選手団が国旗や幕をかかげて、自己の存在をアピールしている。
https://www.jiji.com/jc/d4?p=ssm110-jpp038557613&d=d4_zztitle

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東京五輪・パラリンピックの選手村(中央、東京…:五輪選手村あれこれ 写真特集:時事ドットコム

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もちろん韓国の選手団がかかげる国旗や幕も、それらに比べて特別な違いがあるわけではない。
東京五輪の選手村ベランダに取り付けられた韓国…:五輪選手村あれこれ 写真特集:時事ドットコム

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過去の五輪の選手村を見ても、選手団が国旗などをかかげている光景はあたりまえのものだ。
たとえば平昌冬季五輪では各国が多様な飾りつけをおこなっていたことが好意的に報じられていた。

これらを無視して国旗をかかげる行為を非難する人々にとって、五輪は外国への敵対心をあおりたてる意味しかないのだろう。


それでも韓国が国旗や幕をかかげることが悪いというなら、それこそ愛国心に誘導することで五輪の建前を毀損するという理由くらいしか考えられない。
韓国の「反日」にばかり注目するふるまいは、そうした正当でありうる理由とは正反対だ。

*1:www.nikkansports.com

*2:hokke-ookami.hatenablog.com

*3:あたかも世界で韓国のみが福島県産の食品をさけていたり、あるいは韓国選手団だけが独自の食材を調達しているかのように誤解をまねく部分は、今回は横におく。

『ズッコケ三人組』で知られる那須正幹、死去の報

nordot.app

児童文学作家で、広島での被爆体験を基に平和を訴えた那須正幹(なす・まさもと)さんが22日午後2時5分、肺気腫のため山口県防府市の病院で死去した。

視野の広い反戦メッセージを娯楽作品におとしこんだ作品として、架空戦記ジュブナイルとでも呼ぶべき『屋根裏の遠い旅』が印象深い。
hokke-ookami.hatenablog.com

主人公達はテレビごしの戦争しか知ることはない。あたかも現代の日本人がベトナム戦争湾岸戦争イラク戦争をテレビでながめているかのように。

代表作については約一年前にOVAを見る機会があり、SFとしてのつじつまを壊すような物語のアレンジは残念だったが、おかげで原作の巧みさを実感できた。
hokke-ookami.hatenablog.com

原作では女教師はきわめて個人的な目的をもって行動しており、時間移動装置も完全に制御はできない設定だ。トラブルが発生してもおかしくないし、収拾するために時間がかかっても違和感がない。

時代にあわなかった技術者の悲劇という源内の物語が、そのまま女教師の直面した戦争の痛みに重なるテーマが、原作ではつらぬかれていた。その一貫性がアニメからは消えている。

他にも代表作シリーズは印象深い作品が多く、上滑りしかねない強いメッセージ性を強度のあるエンタメ性と入念な取材が支え、補強しあっていた。


そうして現実の子供社会を舞台にしつつ多様な題材をとりいれていて、後期作品『緊急入院!ズッコケ病院大事件』では海外から侵入した感染症をあつかっている。

約20年前の時点でPCRという検査手法名を出しているディテールの細かさが、時を超えてさらに物語のリアリティを上げている。


メッセージ性の少ない作品としては、シリーズ2作目『ぼくらはズッコケ探偵団』でいきなり見せた短編ミステリとしての完成度が忘れがたい。

豪邸に飛びこんだ野球のボールから、割れたガラスと死体に出くわす三人組。事件と直接の関係はないかと思われたが、消えたボールの謎解きが意外な展開を見せる……
一種の不可能犯罪に近い状況であり、トリック自体は子供でも気づくような物理的な手法。しかしそのトリックを直接的な殺人にはつかわないところが気がきいている。
何より、アレがアソコにあったならナニがああならずこうなっていたことが奇妙だ、という伏線から犯人の状況と心理まで読みとく推理が美しい。
誤った推理が展開される多重解決ミステリのような部分もあって、薄いながら本格推理としての魅力は充分あった。

『THE GUILTY ギルティ』

くりかえしアラームが鳴る緊急通報指令室で、さまざまな市民の声を処理していく男がいた。堂々とした仕事ぶりだが、何か過去に問題をかかえているらしい。
そんな時、ひとりの番号間違いかと思われた電話が、男を事件へと巻きこんでいく。その女による奇妙な通話は、なんらかの意図があるようだった……


2018年のデンマーク映画。1時間半に満たない小品ながら、サンダンス映画祭で観客賞を受け、映画評価サイトのロッテントマトで100%の満足度を獲得した。

緊急通報を受ける男を中心に、その性格や立場は会話だけで説明。ほとんどBGMをつかわず、通報音や会話、同僚のたてる環境音だけで緊張感をもりあげていく。
カメラは通報室と隣室を一歩も出ず、電話相手の映像もイメージすら出さない。通報室内のモニター地図と、携帯電話の基地局からざっくりとした位置がわかるだけ。
舞台劇のようなシチュエーションだが、主人公をクローズアップでとらえた圧迫感ある構図と、室内の閉塞感を表現できたのは映画ならではだろう。
この制限されたコンセプトをやりきった時点で感心したし*1、娯楽サスペンスとして飽きさせない工夫もしっかりあって、ロッテントマトの高評価もうなずける。


描かれた事件について誤解をおそれずにいえば、『世界まる見え!テレビ特捜部』のよくできた回を思わせた。
混乱した意味不明な通報から誘拐事件と気づく導入からしてそうだし、間接的な情報収集で想像される事件の情景が変わりつづけるのもそうだ。
観客を誤誘導するトリックも良かった。いったん映画を見終えてから最初から見返すと、会話する相手がそれぞれの立場で自然な発言をしているとわかる。これは翻訳した吹替と字幕のスタッフが両方とも優秀だったおかげもあるだろう。


誰もが情報をつたえられない背景を用意することで、真相はシンプルでも、主人公視点では状況が二転三転していく。そして恐怖につきうごかされていた愚かな人々が、ちいさなつながりからでも他者を信じる意味を知っていく。
心が病んだことによる陰惨で痛ましい出来事は描かれている。しかし、おぞましい状況はたしかに発生していたとしても、不安と恐怖こそが事件を実体以上に肥大化させることも明らかにされる。その意味で誰もが同じように病んでいるのだし、体感不安に満ちて厳罰化を叫ぶ社会から見ても他人事ではない。

*1:たまにGYAO!で無料配信されている『ザ・コール 緊急通報指令室』は、2013年公開の先行作品だが、犯人側も映像で見せてしまっているらしい。

『ルックバック』で「怪物」が顔を見せた描写は安易と思ったのが正直な感想

ジャンププラスで公開された藤本タツキ『ルックバック』。藤野と京本、学級新聞に4コマ漫画をのせる少女ふたりをとおして、さまざまな表現と表現者へのオマージュを感じさせる。
shonenjumpplus.com
技巧的でいて読みやすい。流し読みでも主人公の心情を追っていけるし、じっくり組みこまれた小ネタを読み解く楽しみもある。
全体としては、いきがる子供を力強く肯定していくところが良い意味で珍しい、と思った。


ただし、中盤でさしこまれる悲劇の「怪物」だけは、あまり作りこまれてないし、その雑さが魅力に転化しているとも言いがたい。古臭く平凡なB級映画のキャラクターイメージを安易に引用しただけに見えた。
そうしたB級映画で登場する「怪物」にしても、まったく進歩がないわけではないのに。たとえば韓国映画では、十年以上前からさまざまな挑戦が見られている*1。偏見を逆用するものもあるし、いったん限界までよりそいながら安易な理解をいさめる作品もある。ある意味で人間誰しも「怪物」化するという導入のものもある。

すべてが成功しているわけではないし、また別の偏見を育てかねない作品も少なくない。しかし、切磋琢磨した先を感じさせるようにはなっていて、そこについては『ルックバック』が遅れている。


もちろん、『ルックバック』において「怪物」を物理的な存在として登場させる必然性もわかる。「怪物」について長々と深く描写しては全体のバランスが崩れかねない問題もあろう。
それでも、もう少し工夫できなかったか、それが無理なら描写を弱められなかったか、とは読んだ直後から感じていた。


好みでいえば、「怪物」の実在性をそぎおとして弱める方向で読みたかった。登場シーンはスリガラスの向こうで実態が判然とせず、全身をあらわしてもフードやパーカーに隠れて顔立ちも輪郭も不明瞭で、あっさり退場して名前も主張もわからないまま……といった展開のように*2
あるいは、「怪物」を一見すると平凡な女性に、具体的にいえば並行世界の藤野と読者に一瞬でも感じさせる姿にはできなかったか。「怪物」を創作をさまたげる異物とせず、ある意味で地続きで、それでも決別しなければならない存在として描けなかったか。そうすれば、直後の展開の驚きも増したかもしれない。
すでに公開されている作品はそれとして、そのようなことをつらつら思っている。

*1:このジャンルで私がよく見ていて具体例を出せるというだけで、他の国のサスペンス映画が劣っているという意味ではない。

*2:殺人者の固有性を黙殺することは、自己主張を目的とした虐殺へ対抗するため、現実におこなわれていることでもある。 www.bbc.com

歴史認識論争についての記述を読むかぎり、DavitRice氏の記憶力や要約力は信用しづらいし、誠実な対応をする信頼ももちづらい

hokke-ookami.hatenablog.com
上記エントリと関連あるようなないような話。


日刊ゲンダイなどに寄稿しているid:DavitRice氏の下記エントリで私が言及されていた。
davitrice.hatenadiary.jp
応答を求める意見が第三者からあったので*1、「北村紗衣」氏の誤記などをコメント欄で指摘した。
しかし返答や反論のコメントがないのはいいとして、簡単な修正すらないまま新しいブログエントリが上げられている。


もちろん、指摘を黙殺することも個人の自由ではある。意見が長文になるほど反応が難しくなることも理解するし、単純に読みやすさを損ねてしまう問題もある。
しかし今後も応答が期待できないと思わざるをえないので、別エントリに対する歴史認識についてのコメントのみ、記録をかねて下記に転載しておく*2


ツイート*3などでDavitRice氏自身が関連づけている1年前のエントリを読んで、DavitRice氏の認識と発言にまったく信頼がおけなくなった。
ポストモダンの右と左 - 道徳的動物日記

ひと昔前のネット論壇……というかはてな論壇では「歴史修正主義」をめぐる議論が盛んに行われていた。

 それも、単純な右派と左派の対立ではなく、歴史修正主義を肯定/容認する"わかっていない"ポストモダン相対主義者と、それを批判する"ただしい"批判理論家の対立が主であった(というか、大学にポストを得ていたり主流メディアで発表する機会のある前者に対して、ネットが主な活動の場である"はてサ"がブログなどで批判する、という構図であったような記憶もある)。

当時に批判されていた「ポストモダン」は、主に東浩紀氏の南京事件に対するふるまいだ。そこで東氏が批判されていたのは、あらゆる歴史認識を懐疑したためではなく、選択的に凡庸に懐疑していたがためだ。
私が過去に東氏を批判したエントリでも、ホロコースト否認論なども同じように懐疑するなら相対主義として一貫性があるが、東氏はそうではないという主張が確認できないか。
ポストモダニズム系リベラルの観点から東浩紀氏を全面的に擁護する - 法華狼の日記

東氏がポストモダニズム系リベラルであろうとするなら、むしろホロコースト否定派に言説の場を与えるよう主張するべきであった。

現在までくりかえし批判しているApeman氏のエントリでも、「強い実感」を根拠にホロコーストを懐疑しなかったような態度が、東京大空襲否認論の不在になぞらえて批判されているわけである。
ポモ系リベラルは気楽な稼業と来たもんだ〜♪ - Apeman’s diary

アウシュヴィッツの収容所と、大虐殺事件から7年半ばかり日本軍が実質的に支配していた南京を同列に並べ、両所への訪問体験を語るナイーヴさ(ましてビルケナウと下関を比較するならともかく、80年代半ばにつくられたに過ぎない紀念館と比較するセンス!)。

日本「政府の余裕のなさ、というかある種の怠慢」をはっきりと見てとることができるから。にもかかわらず東京大空襲の実在を疑う人間は(ほとんど)いないのはなぜなのか? この問いを欠いている点は致命的だ。

たとえば広島の原爆投下をも東氏が懐疑していたなら、それは相対主義として一貫性があったかもしれない。私も広島の原爆ドームに行きながら、その遺構の見学が原爆の惨禍の直接的な証拠にはならないだろうと感じている。なんなら藤子F短編『どことなくなんとなく』的な世界への懐疑すら私は感覚的にもっている。もちろんその感覚を根拠に生活しているわけではないが。
いずれにせよ、東氏が批判されたのは相対主義を徹底していたためではなく、相対主義を徹底しなかったがためだ。徹底した不可知論のひとつとして南京事件の懐疑を表明したなら、歴史修正主義的な言説とは別問題と理解されて、強く批判されることはなかっただろう。


そして上記エントリでDavitRice氏が下記のように要約した「はてなサヨク」の主張は、実例がひとつも示されていない。一応、DavitRice氏自身がかつてそうだったという説明はされているが、他人のそれは存在しない。

「悪どいものがやっていることだから、なにかしらの悪どい意図や悪どい目標が隠されているはずだ」

本題に入る前に、私は印象論であればそうと明記して否定的主張でも弱くすることにしているし、不特定集団でも批判する時はいくつか引用するか、特定個人への非難をさける時でもリンクはするようにしている。
念のため、「はてなサヨク」と呼ばれる全ての人がきちんと常に自説の根拠を提示しているわけではない。しかし「はてなサヨク」を「反面教師」としたDavitRice氏が、それゆえ主張の根拠を提示する手間を省くようになったのだとしたら、あまりに愚昧で怠惰なふるまいだと思う。「反面教師」にするのなら、「はてなサヨク」がグウの音もいえないくらいしっかり根拠立てて自説を主張する方向にできないか?
DavitRice氏が自説の根拠をもちつつ省略した可能性を念頭におくならば、上記の私の要求は勇み足になるかもしれない。しかしながら、上記と同じようにDavitRice氏が誤った記憶もしくは捏造によって「はてなサヨク」を論難していると私は考えている。


はてなサヨク」は「自称中立」というふるまいをたしかに問題視してきた。それは人間は誰しも何らかのバイアスにとらわれていて、中立でいようとする態度もそれ自体がバイアスだという認識にもとづいている。
これはDavitRice氏がまとめた「意図や目標」とはニュアンスが違うし*4、もちろん「アカデミアは真実を追求する場ではなく、どちらがよりもっともらしいことを言って主導権や影響力を握るかという闘争の場である」という結論にはならない。
自称中立」とは、バイアスをもっていること自体への批判を抑える。あくまでバイアスをもたない客観的な態度は存在しえないから、それを自認する態度への批判だ。
「ブログ名だけで」「断定」←端的に記憶違い - 法華狼の日記
自分自身がバイアスをもっていることを認めなければならないと少なくとも私は考えて公言してきたし、それによる資料の歪曲や誤読の可能性も注意喚起してきた。それは、バイアスによる歪曲を正当化する意味ではないし、もちろん「確かさや客観性を保ちながら真実を追求するのではなく、自分の派閥の力を強めて相手の派閥の力を弱めることをがんばろう」という話ではまったくない。
DavitRice氏がかつてそうだったのだとすれば、それは何よりもまずDavitRice氏の問題であって、「はてなサヨク」の問題ではないだろう。

*1:個別具体的な内容もなく十把一絡げに言及されていただけなので、当初は応答する気がなかった。id:amamako氏がはてなブックマークで「本当は、記事で挙げられたようなIDの人たちが応答すべきだと思う」とコメントしていたので、気が進まないがコメントすることにした。やはりというべきか、徒労感しかおぼえなかったが……

*2:転載時、冒頭の「次に、」を削除した。「ひと昔前の」に始まり「記憶もある)。」で終わる引用を追記した。「貴方」を「DavitRice氏」に、「です・ます」調を「だ・である」調に、引用符やリンクや注記をはてな記法へと変更した。

*3:https://twitter.com/RiceDavit/status/1412801631863726085

*4:なお、歴史的な加害を否認する人々は、しばしば意図や目標を公言している。こちらに各集会での発言などが多数収録されている。