法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『世界まる見え!テレビ特捜部』大自然はミステリースペシャル

2時間SP。オーストラリアの海底火山が噴火したため、無数の軽石が海面に浮いた光景が印象的。そこにサンゴが付着していて、珊瑚礁の回復も期待できるという。
天敵から逃げるためにさまざまな擬装をおこなう動物たちでは、ガラガラヘビの脱皮した皮をこすりつけて体臭をごまかすリスの人間のような動きや、あおむけにひっくりかえって死んだふりをするリーガルツノトカゲなどが印象に残った。
動物と人間のさまざまな絆を紹介するイギリスのドキュメンタリーは、北野武が指摘するように人間の一方的な思い入れという疑問がある。大半は本能によるすりこみだろう。何よりセンザンコウは姿が消えたまま戻ってこないオチで、むしろ絆に期待する危険を描いているように感じた。
フロリダ州グリフィン湖でワニが生死はっきりしない異常行動をおこすゾンビ現象は、生活排水や肥料による藻類の異常繁殖が原因。ただし藻類の神経毒が直接的な原因ではなく、それによって湖の酸素量が減ってドロソーマという魚だけが異常繁殖し、その魚肉にある酵素がビタミンを破壊して異常行動を引き起こしたというもの。
最後に紹介された恒例の男女全裸サバイバルは、粘着テープをもちこんだ海兵隊員のヘタレっぷりが印象的。運良くバナナとパイナップルを見つけたり、火起こししている女性から虫を追いはらったりと仕事はしているものの、役割分担や優先順位が全体的におかしい。水や食料を思いっきり口に入れては吐いてしまう。そして煙草切れで途中脱落というオチ。このコーナーで依存症が問題になったのは初めて見た。

『ドラえもん』裏山ウォータースライダー/あべこべ惑星

なぜか前半が再放送で後半が新作。
映画に登場する恐竜キャラクターを風景から探すクイズコーナーもできたが、この番組らしく異様に難易度が高くてハイビジョンでもギリギリ見えるかどうか……


「裏山ウォータースライダー」は2016年の再放送。そこそこ楽しいアニメオリジナルストーリーだが、再放送は夏休みにするべきでは……
hokke-ookami.hatenablog.com


「あべこべ惑星」は、のび太が七夕の願いで「りこうになりたい」と書き、ドラえもんがあきれる。そして織姫と彦星の場所もわからないといわれ、宇宙を縮小再現した秘密道具を出すが……
2009年に30分枠でアニメ化*1した原作を、通常の番組半分枠でリメイク。永野たかひろ脚本にひのもとひろしコンテ。
のび太学習障害的なありようで導入してから、縮小した宇宙の星々を3DCGで見せる時間が長くて、星座の解説も多く、原作よりも学習作品らしいおもむきがある。あべこべ惑星へ突入する時に断熱圧縮*2で赤熱したりも。
そして商店の窓文字なども左右逆に描かれているようにディテールを細かく描いた上で、原作どおりのオチ。あべこべ世界だからこそ「天才」と連呼される皮肉が悲しいが、この面白さはSFというより落語的*3
基本的には理想的なアニメ化だったが、のび太が状況をすぐ理解する原作のオチが切れ味の点で好みかな。のび太がりこうでない設定から、状況を飲みこめず喜ぶ今回のアニメも整合性はあるし、こちらがギャグとして好きという人もいるとは思うが。

*1:hokke-ookami.hatenablog.com

*2:この説明は使われていないが。

*3:反社会の設定からして、風刺小説の度合いが強かった19世紀のSFくらいの設定。

『レディ・プレイヤー1』

両親を亡くした青年ウェイドは、トレーラーハウスを積みあげたような近未来のスラム街に住みながら、一獲千金を夢見ていた。
ゴーグルをつけて楽しむ仮想現実世界「オアシス」。そこで三つの試練をクリアすると、創業者の遺言で後継者になれるのだ……


小説『ゲームウォーズ』を原作とする、2018年のスティーブン・スピルバーグ監督作品。金曜ロードSNOW!の地上波初放映で視聴した。
金曜ロードシネマクラブ|日本テレビ

物語の舞台は、2045年。荒廃した世界に生きる若者たちが、VRの世界「オアシス」に眠るお宝を巡って大冒険を繰り広げる! キングコングT-REXデロリアン、「AKIRA」の金田バイク、メカゴジラガンダム、エイリアン、そしてキティちゃんまで! 1980年代を彩った名曲をバックに、映画やアニメのキャラクターがヴァーチャルな世界で繰り広げるド迫力のアクションに、胸躍ること間違いなし! 森崎ウィンの熱演も必見の、頭を空っぽにして楽しめる新世代の超王道お祭り映画だ!!

もとが2時間20分ほどで、30分も枠を拡大しているから、極端にひどいカットはされていないだろう。インターネットで検索したかぎり、細かい作品ネタのくすぐりが多く削られつつ、物語の印象を変えるほどではないらしい。


とりあえず、押井守のように虚構と現実を混乱させたり同等にあつかうのではなく、あくまで現実に基盤がある逃避先として虚構の価値を描いているのが面白かった。映画批評で指摘されているように*1、遊園地のライド感覚のように状況を演出する監督の作風が、虚構をひとときの逃避として描く物語とテーマとして一致している。
そうと理解すれば、あまり評価が良くない最後の結論も、あくまでゲームとして「オアシス」を位置づけただけだとわかる。もともと仮想現実作品にしては五感の表現などに限界がある設定だが、インターネットのような現実と等価の社会とは根本的に異なる。
空想的な近未来スラム街がきちんと生活感あるセットとVFXで、「オアシス」よりリアルな映像で描かれているのもポイントだろう。『マトリックス』三部作が仮想現実への抵抗で導入しながら作中現実はアンリアルなVFXで、最終的に仮想現実内での共存にいたった展開の逆転だ。


さらにいえば三つの試練にしても、さまざまな選択肢を主体的に決めていくゲームですらなく、指示にしたがって変化を体験するライド感覚に近い。最初のカーレースは創業者の意図に気づいてからは一本道だし、『シャイニング』もホテル内は基本的に逃げるばかり。
しかしそれがゲームらしくなくて悪いというわけではない。多彩なパロディが暴れまわる情景を表と裏で二重に楽しませたり、そこまでの近未来SFとは雰囲気を変えた空間を徹底的に再現することでギャップをきわだたせたり、主人公たちが状況に流されていくビジュアル作品としてはよくできている。
一本道の物語を決められた時間にそって見せていくのが原則の映画作家として、これはこれでスピルバーグが自作のような虚構を肯定することに真剣に向きあった結果かもしれない。もちろんそうではないかもしれないが。

*1:尾崎一男氏が「ライド・アクション型映画」と表現している記事を見つけたが、それとは別の媒体で読んだような記憶が漠然とある。 『プライベート・ライアン』革命を起こし続けるスピルバーグの映画作家としての矜持 |CINEMORE(シネモア)

『関ヶ原』

幼い司馬遼太郎が過去に思いをめぐらす。苛烈さを増していく豊臣政権に疑問をいだきながら忠誠を誓う石田三成の、行きついた場所を……


司馬遼太郎原作、原田眞人監督による2017年の日本映画。2019年6月にTV放映もされたが、DVDで視聴した。

約2時間半の長尺大作映画だが*1、予想したよりも関ケ原以前の出来事に尺をさいていて、良くも悪くも語り口がせわしない。
同じ東宝の『シン・ゴジラ』を思わせる早口で物語が進み、娯楽として飽きさせない良さはあるが、現代的な言葉とは違うので少し理解が遅れる。
それでいて登場人物の人格などはけっこう現代ドラマ的。それが悪いというわけではなく、過去を素材にしたアクションドラマという感じか。


VFXは最小限だが、かなり広い関ヶ原のオープンセットを作って、そこそこのエキストラや騎馬を集めて、過去の戦争を描いた史劇としては見どころがある。特に馬上の主観視点と、伝達に走る石田三成を正面から映したカットなどは新鮮味があって良かった。
どう見ても時代錯誤な巨大火砲を操り、朝鮮侵略という歴史背景から考えても石田三成の味方になることが疑問な朝鮮人部隊も、景気の良い爆発で映像を楽しくはする。
考えてみると『梟の城』よろしく忍者アクション*2が展開されるリアリティレベルの映画だ。そのスパイ合戦が関ヶ原の合戦にもかかわってくる。
一見した真面目そうな雰囲気からすると期待を裏切られるが、アクション優先のバカ映画と思えばこれはこれで許せる。


石田三成を真面目に平和で理想的な社会を求めた主人公と位置づける無茶も、史実をはなれた時代劇としては成立していた。
残虐な処刑を序盤にじっくり描くことで、この映画における主人公の動機は理解できる。最初に処刑した勢力にいた主人公が最後に処刑を受けいれるという構成もきちんとしている*3
ぐらぐら判断がゆれる小早川秀秋をぎりぎり善良に描いたバランスも面白い。関ヶ原を忠実に再現した決定版を目指したというより、パターンをずらした二次創作と理解すれば楽しい作品だ。

*1:冒頭の司馬遼太郎の語りは、ずっとナレーションとして利用するわけでなければ、結末で回収するわけでもなく、削ってもいいように思った。

*2:けっこう殺陣がきちんとしていて感心した。

*3:これも冒頭の司馬遼太郎回想がなければ、もっと美しい構成になったろう。

『グリーンブック』

1962年のニューヨーク。イタリア系の用心棒トニー・リップは、つとめていた高級クラブの休店にともない、ドクター・シャーリーという黒人の運転手になる。
ドクターは博士号をもつほどインテリなピアニストで、仲間とともに米国南部の演奏旅行をおこなおうとしていた。そこは根強く黒人差別の残る地域で……


後に俳優となった荒くれ者と名音楽家の南部強行軍を、トニーの息子ニック・ヴァレロンガの製作脚本で2018年に映画化。アカデミー賞などの多くの映画賞に輝いた。

グリーンブック(字幕版)

グリーンブック(字幕版)

  • 発売日: 2019/10/02
  • メディア: Prime Video

1960年代の米国を舞台とした芸能物として楽しい作品ではあった。さりげなくも緻密に当時を再現したセットやVFXを背景に、せまい自動車内のかけあいをとおして、さまざまな人種差別のあらわれを描いていく。
違う階層で育った人間が出会い、衝突しながら関係を深めていく展開までは古典的。そこに黒人が大統領と関係があるくらい社会的な成功者で、対する白人が米国では半黒人としてあつかわれるイタリア系という逆転で変化をつける。
フライドチキンを黒人が好むという偏見に困るシャーリーと、フライドチキンを乱暴に食べても差別はされないトニー。シャーリーの高名は、招待する白人の教養を宣伝する踏み台でしかない。黒人を敵視するように逮捕する警察の、現在のBLM運動につながる問題も映される。
人違いで取り押さえられ骨折、黒人男性が警察を提訴 米ジョージア - BBCニュース
南部ですらピアニストとして歓迎されて特別あつかいされても、それらはシャーリーの視点では差別でしかないことがはっきりわかる。過去の成功者の苦渋として描くことで物語に入りこみやすく、いくらか人種差別が緩和された現在でも問題がつづいていることが実感しやすい。


しかし、アカデミー賞などでの高すぎる評価をスパイク・リー監督らが批判した意味も理解できてしまう作品でもあった。
「グリーンブック」の作品賞受賞に異論噴出 米アカデミー賞 - BBCニュース
黒人を助ける白人の視点で描かれる映画の基本構造そのものは、ふたりが南部を旅した1962年に公開された『アラバマ物語』と変わらない。先述のように立場の変化はつけているものの、めぐまれた立場をおりて危険な南部を縦断したシャーリーの主体性は間接的に描かれただけ。
トニーがシャーリーと仲良くなって家族に紹介する幸福な結末も、はげしく現在もりあがっているBLM運動と比べれば、別世界の出来事と感じられてしまう。娯楽映画としては後味の良さが求められることもわかるが、それゆえ良くも悪くも現実から遠ざかっていく*1
仮に、いじめられている同級生と仲良くなった少年が、それを作文で発表して学校で賞賛をあびたとする。それは良いことだとは思う。しかし、いじめがその時もつづいていれば話は違ってくるだろう。あえていえば、ヒーロー誕生の踏み台にされた同級生が、わだかまりをもっても不思議ではない。
この物語にハッピーエンドはまだ早い。

*1:実際、シャーリー側の関係者によると、映画ほどトニーとの関係性は深いものではなかったという。紹介したBBC記事でも「シャーリーとヴァレロンガの関係を誇張しすぎだと批判した」と言及されている。