法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『スター☆トゥインクルプリキュア』第48話 想いを重ねて!闇を照らす希望の星☆

フワの犠牲で蛇使い座のプリンセスは封印されたかと思いきや、犠牲をこばむ星奈の思いが封印を失敗させた。そして宇宙は闇に飲みこまれ、変身できなくなった星奈たちも闇に閉ざされていく……


村山功シリーズ構成の脚本に、宮元宏彰シリーズディレクターの演出。プリキュアの復活から最終決戦、そして別離までを1話で描ききった。
作画監督は松浦仁美と増田誠治の共同で、原画に芳山優や仁井宏隆、鷲北恭太など。特徴を知って*1から見ると、たしかに芳山作画はわかりやすい。あまりアクションでアニメーターまかせにしない今作で、決戦も敵巨大化や1対1のように見映えする状況ではなかったが、さすがに全員に出番をわりふって充実した戦闘で楽しませてくれた。
しかし情景として印象に残ったのは、暗闇にただよう星奈たちをていねいな陰影で浮かびあがらせた前半と、言葉をもらす表情をクローズアップでていねいに作画した結末。この作品らしい力の配分だったと思う。


物語も、おおむね順当にまとめていたと思う。
復活から決着までの展開はシリーズの定番にとどまるが、5人がたがいをよりどころにする描写を長くとり、それぞれの心中にあるイマジネーションが歌声としてあふれる変身バンクにつなげて、爽快感があった。
他に何もない暗闇でたがいの存在を知ること、それそのものが復活のきっかけになるというのも、異なる他者と出会う今作のテーマをきわだたせる。暗闇に飲みこまれていく宇宙各星の情景や、プリキュアの味方としてイメージされる多様な人々の姿も、想像を超えたところに他者がいるという、地に足をつけるより遠くを見あげることを選んだ今作らしさがあった。


また、全てが終わってからプリキュアが蛇使い座のプリンセスを敵視しないことはもちろん、他の十二星座のプリンセスもさほど重視していないのが、過去にない味わいがあった。
フワを残すことに同意できたのも、プルンスがまかせるようにうけおったから。ガルオウガに腕輪をたくしたのも蛇使い座の気まぐれで、本当に他のプリンセスは何もしていない。
プリンセスがフワを道具あつかいする前回*2の衝撃を思うと、もっとプリンセスとの決定的な衝突を描いてもいいと思ったが、ほとんどまともに目を見ないまま別れるのもこれはこれで断絶感があって良い。

『ドラえもん』そして、みんなイモになる/ネンドロイド

スネ夫としげおのコーナーが無くなったなとEDを見ながら思ってたら、映画の宣伝にあわせてリニューアルとのこと。


「そして、みんなイモになる」は、言葉で比べるだけでより良い物に変えていく秘密道具が登場。ドラえもんはどら焼きを求めて出し、のび太は教科書を漫画に変えたが、ジャイアンに奪われて……
佐藤大脚本の完全アニメオリジナルストーリー。「コレヨリメガホン」という万能系秘密道具から、予想外に街の情景が一変していくまでを描いていく。
違う道具とのとりちがえという古典的なプロットだが、ジャイアンたちだけでなくドラえもんたちも故障とかんちがいして、さらにしずちゃんへの不信感から事態の収束が遅れてしまう……のは良いとして、そこまでの秘密道具のつかいかたにアイデアがなくて単調。オチも全員がイモになって収束をあきらめて終わりという投げっぱなし。焼き芋屋が周囲の異変を気にせず秘密道具をつかいつづけているのは原作っぽいが、ジャイアンスネ夫を人間にもどして問いつめれば解決できたのではないかと思わずにいられない。
イモ人間が歩いていくシュールな描写は『地球の長い午後』的な不条理ホラーっぽさがあったし、容疑者のジャイアンスネ夫をさがすと被害にあっているというゾンビ映画的な展開は嫌いではないから、もう少し結末を工夫すればカルト的なエピソードにはなりえたと思うのだが……


「ネンドロイド」は、毛髪をさした粘土型ロボットが、毛の生えていた人物そっくりのキャラクターに変形して使役される秘密道具。のび太は友人の毛を集めて楽しようとするが、ジャイアンに奪われて……
標準的な原作短編を、おそらく2005年のリニューアル以降で初のアニメ化。現在では同音のひらがなのフィギュアレーベルが有名だが、もちろんこの原作の発表が先。
基本的には原作通りだが、5袋のネンドロイドを奪ったジャイアンがすべて自分にしようとしてからが新展開。ジャイアン同士で争いがおこり、ケンカをするうちに融合。巨大ジャイアンネンドロイドになるというサプライズ。
毛を複数さしたからではなく、単純にネンドロイド5体分の体積だけ大きくなったと解釈するべきだろう。そこからモンスター映画のように暴走するアクションがはじまり、水にとける設定から「温泉ロープ」をつかった罠をしかけ、しずちゃんが巻きこまれたことが意外な成功につながる。ちゃんとキャラクターが知恵をつかっていて、アニメオリジナルながら納得感が高い。しずちゃんネンドロイドが溶けていく情景が、原作を尊重してスケールアップした感じなのも良かった。
コンテはベテランのパクキョンスンが担当。大勢のネンドロイドを一室に集めているのに見やすいレイアウトや、ジャイアンネンドロイドの巨大感、融合したりメタモルフォーゼをくりかえすネンドロイドなど、映像の見どころも多かった。もちろん五月女有作の演出や、小野慎哉の作監の力もあるだろう。

『東京ミラクル』第3集 最強商品 アニメ

2019年12月17日に初放映されたドキュメンタリーを、『NET BUZZ』の再放送で初視聴。
www.nhk.or.jp
外市場を総計して1兆円にまでなった昨今、手描き作画のアニメーションを安価で発信できる理由として、やりがいで動くアニメーターの姿が紹介された。


初放映時にさまざまなアニメ関係者の疑問などを見かけていて、つい見るのをためらっていた。しかし本放送部分でも若手アニメーターの平均年収問題*1にふれていたし、『NET BUZZ』の枠組みトークで現場への負担を批判するインターネットの意見も紹介されていた。

歴史的には、日本のアニメ業界が、その制作者たちのやりがいに頼り、低賃金・長時間労働を許容してきたという背景もあります。そして、その結果として、日本のアニメが世界的には低予算で作られてきた現実もあります。
番組では、過酷な現場で働いてきたアニメーターの取材も行いました。そこで強く感じたのは、アニメ制作に携わるひとりひとりの情熱が報われるようになって欲しいということです。

そこで番組は、『鉄腕アトム』から始まった日本における商業量産アニメの歴史をたどり、制作会社ボンズで若手アニメーターが自ら手間がかかるアクションへ作画を変えていく姿を映し、やりがい搾取で挫折した女性アニメーターが中国資本で好待遇の職場につけた現在まで見せる。
手描きアニメの省略方法は『鉄腕アトム』のリミテッドアニメから、出崎演出などの古典的な手法を紹介。待遇面での時代の変化は、NETFLIXなどの海外資本の潤沢さに注目していた。
意外なことにNHK放映の『映像研には手を出すな!』を宣伝しながら、過去の報道と違ってサイエンスSARUの試行錯誤*2は紹介しない。注目するのは同人誌即売会から発掘された原作者と、さまざまなアレンジを加えていくアニメスタッフの、共同作品としてのアニメのかたち。
あえて無責任な消費者として感想をいえば、エクスキューズのおかげで意外と見やすく、情報も興味深かったことは間違いない。いくら劇場アニメとはいえ制作会社ボンズらしいアニメーターの自己判断による作りこみや、スタジオジブリ最新作の進行具合や宮崎駿への最新取材など、他にない情報もたしかにあった。


ただ、いくつか説明に疑問点はあった。
たとえば『鉄腕アトム』の制作会社として虫プロダクションに入って、そこで撮影機材やフィルムを見ながら杉井ギサブロー監督に説明を受けていたが、本当は当時に制作していた社屋ではないし、そもそも同名でも別会社と考えるべきではないか。現在の虫プロは、旧虫プロ労働組合が倒産後にたちあげた小さな会社であって、旧作の著作権等は手塚治虫にゆずられたものだったはずだ。
さらに日本アニメの原型として、共同作業で安価に量産された美術の浮世絵を位置づけようとしていたが、そうした人海戦術のアニメ制作体制はディズニーなど海外のアニメ会社が直接的な源流だろう。それにかぎらず今回の番組では、まるでディズニーが3DCGアニメしか作っていないかのように説明され、誤解をまねきかねなかった。
また、特に誤った説明というわけではないが、番組のシリーズテーマにあわせるためかアニメ会社の東京一極集中だけが語られた。京都アニメーションufotable*3などの地方で人員を育てる試行錯誤にもふれてほしかった。
あと、予告映像で氷川竜介氏がふしぎと若々しいと思っていたら、アニメ好き芸能人のサンキュータツオだった……写真を見比べるとそう似ていないのだが*4、問題なのは私の視力か記憶力か。

*1:NHKでもくりかえし報道された。 若手アニメーターの年収についてNHKが報道 - 法華狼の日記

*2:『クローズアップ現代+』2兆円↑アニメ産業 加速する“ブラック労働” - 法華狼の日記

*3:制作主要部署は東京にあるが、せっかく『鬼滅の刃』を紹介したなら少し地方との関係もふれても良かった。

*4:対談したこともあるという。

『相棒 Season18』第12話 青木年男の受難

いきなり休んだ青木の電話により、借りていたという本が杉下に返された。しかしその本を杉下が貸したことはなく、青木は誰かに拉致されたと推理される。
青木がハッキングしているのは警察の内部資料。その二つの事件で犯人は早々に罪を認めて服役しつつ冤罪の疑いがあるが、調べる関連性がはっきりしない……


児玉頼子脚本。青木の拉致は早々に推理されて、犯人が青木に何をさせたいのか、それで逆算される犯人像は何かが謎解きの焦点となる。
物語の構造はメタミステリとして古典的といっていいが*1、それを一種のミッシングリンク物として展開したのが面白い。関連性はあからさまなのだが、犯人の意図がわからなければ気づけない。どちらか一方がミスディレクションかと思い違いさせられる。
立場のわりに目立っているゲストキャラクターが真犯人という真相も、表面的に装った性格の中身が凶悪というパターンではなく、見たままの性格ゆえの犯行だったのが一周まわって意外だった。


ただ、真犯人に対して杉下がはげしく指弾するのだが、たしかに一般人よりも重い責任があるとはいえ、その批判のすべてが杉下にもしばしば当てはまることへの留意が見えないことは気になった。
インターネットで感想を見ても、少なからず指摘されている。せっかくなら、今回あまり活躍しなかった冠城にチクリと指摘させるくらいの出番を与えても良かったのでは。

*1:『ブラウン神父』シリーズが代表。

麻生太郎氏、同レベルの事実誤認をくりかえし公言することで、成人式での自説を自ら反証する

麻生太郎氏「日本は2千年、一つの民族」政府方針と矛盾:朝日新聞デジタル

13日の国政報告会の中で、昨年のラグビーワールドカップ(W杯)の日本代表チームの活躍に触れ、「いろんな国が交じって結果的にワンチームで日本がまとまった」などと指摘。その上で「2千年の長きにわたって一つの場所で、一つの言葉で、一つの民族、一つの天皇という王朝が続いている国はここしかない。よい国だ」と述べた。

「結果的に」という表現を入れているとはいえ、国がまじりながら「ワンチーム」でまとまったことを、たぶん肯定はしているのだろう。それなのに、つづけて「一つの民族」を賞賛する意図がわからない。「ワンチーム」を賞賛するなら「八紘一宇」をもちだしたほうが、まだしも文脈の一貫性はある。もちろん一貫性があればいいというものではないが……
2000年という期間もよくわからない。皇紀として伝説から考察された天皇の歴史は2700年近くあるし、逆に史実では皇統はいったん断絶していると考えられているし。なぜ宗教と史実の中間的な数字をあげているのだろうか?
もちろん、王朝という階級制度がつづいていることを、仮にも民主国家の選挙で政治家になった人物がなぜ肯定するのか?という原理的な疑問もある。


朝日記事で指摘されているように、麻生氏の主張は今回が初めてではない。

総務相時代の2005年にも「一文化、一文明、一民族、一言語の国は日本のほかにはない」と発言し、北海道ウタリ協会(当時)から抗議を受けた。

それどころか、他国の人種への蔑視につながる中曾根康弘発言以降、くりかえし批判されながら保守政治家に根づいた観念である。
そしてこの朝日記事には、前日の成人式における主張についても言及している。細かい説明はないが、きっと皮肉の意図だろう。

「皆さんがた、もし今後、万引きでパクられたら名前が出る。少年院じゃ済まねえぞ。間違いなく。姓名がきちっと出て『20歳』と書かれる。それだけはぜひ頭に入れて、自分の行動にそれだけ責任が伴うということを、嫌でも世間から知らしめられることになる。それが二十歳(はたち)だ」と発言している。

姓名がきちっと報道で出て、一般的な成人よりも重い責任があるはずの立場で、同じような誤認をくりかえす麻生氏……