法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

2ちゃんねるまとめブログ「もえるあじあ(・∀・)」が、また差別的な主張でアニメ関係を攻撃している……

hokke-ookami.hatenablog.com
上記エントリで紹介した井上俊之氏への非難が、「もえるあじあ(・∀・)」に「ぱよ炙り出し」というタイトルでまとめられていた。

この「もえるあじあ(・∀・)」は、『おそ松さん』のキービジュアルで日章旗が燃やされているというスレッドを、事実誤認の指摘を削除してまとめていた。
hokke-ookami.hatenablog.com
また、『暁のヨナ』を「第1話から天皇が韓国人に暗殺される」「とんでもないド反日アニメ」*1と紹介もしていた。
hokke-ookami.hatenablog.com
日本のアニメに影響を受けた国外のアニメーターが、メジャーなTVアニメでも活躍する現代。どれほど日本のインターネットがまとめブログによって時代を逆行しているのか……

*1:

「表現の不自由展」とカリスマアニメーター

一部で「カリスマ」の敬称で知られる井上俊之氏が、下記のようなツイートをしていた。

差別的な発想に基づく非難*1に対して、これくらいの批判がくわえられるのは、もちろん表現の自由である。
また、井上氏はid:Cinema2D氏による下記ツイートもリツイートしている。

こういうツイートをJAniCA理事という立場のアニメーターが発してくれただけでも、少し救われる。

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ひとつひとつ言及するのは避けるが、「表現の不自由展」についてのアニメ関係者の言及を見ていると、職人という側面が強いアニメーターと、物語を作るような脚本家や監督とで、少し温度差がある感じを受けている。
どちらかといえば井上氏は職人をきわめたアニメーターであるが、作画表現の研究をおこたらず情報も共有しようとしていることや、職人的な立場の育成や広報などに目配りしているのが違うのかな、とも思った。

「表現の不自由展・その後」と「そっちこそどうなんだ主義」

「そっちこそどうなんだ主義」という言葉がある。
何かしらの批判をぶつけられた時、他の過ちが批判されていないことをもって相殺し、批判そのものを無効化しようとする詭弁の一種だ。そのような態度を許せば、最初に批判することが誰もできなくなってしまう。
逆にいえば、批判は批判として受け止めて、あらためて相手や第三者の過ちを指摘することはかまわない。あるいは、ひとつの批判をきっかけにして、注目されざる問題を批判するよう要望することも悪くはないだろう。
いずれにしても、あらゆる物事に個人が注目することは困難だと認めつつ、どのように問題に向きあうかという話である。


つい先日、京都アニメーション放火事件と比べて他の被害者が注目されていないという意見に対し、MValdegamas氏が「ものの言い方を考えないとだめ」あるいは「本物のクズ」だと評していた。


たしかに、先述のように他の被害へ注目するよう要望することは問題ないとして、あらゆる物事に個人が注目することは困難だという返事も認めなければなるまい。
ただし、「こういう弱者にも関心持てよオラァ」と要約されている意見が、社会による保障の要求などであれば、原則として「ものの言い方」で決められるべきではあるまい。個人ではなく社会であれば、あらゆる物事に注目して解決することが理想であるし、少なくとも「ものの言い方」が選別の基準として妥当とは考えにくい。


しかし、京都アニメーション放火事件では意識されていたような理想が、1週間もたたない「表現の不自由展・その後」に対しては適応されない場面をよく見かける*1
MValdegamas氏にしても、「ものの言い方」を忘れたような「挑発」をおこない、「マウント」を始めるようになった。先に引用したツイートがなければ、理解できる範囲の態度だとは思うが。

これに限らず、京都アニメーション放火事件では散発的に発生しつつも抑制されていた犠牲者非難が、「表現の不自由展・その後」に対しては大手をふって公言されていることも興味深い。


さらに典型的な「そっちこそどうなんだ主義」として、「表現の不自由展・その後」に異なる社会問題を題材にするよう求める意見がある。
たとえば先日に指摘したように、深津貴之氏*2貞本義行氏が、「ライダイハン像」も並べるよう要望した。
「表現の不自由展」の不自由さについて|深津 貴之 (fladdict)|note

僕は慰安婦像置くのは、(表現の視点としては)よいと思うけど、どうせなら慰安婦像とライダイハン像青線問題のアートを並べておいて欲しかった。そこまで並べてしまえば、「歴史と政府と性暴力と事実認識」に純化したメッセージが出せるのに、慰安婦像だけだと「我が国の体制批判」というメッセージ性が乗っかってしまう。

「表現の不自由展・その後」に言及した貞本義行氏は、いくつもの大切なことが見えていない - 法華狼の日記

しかし、あくまで芸術祭の片隅の一展示に、あらゆる作品を並べる困難性くらいは意識されるべきだった。選定などのリソース以前に、スペースに限界がある。
「表現の不自由展・その後」を批判したいらしい深津貴之氏と田中雄二氏は、従軍慰安婦問題において朝日捏造論者らしい - 法華狼の日記

「表現の不自由」がテーマである以上、その不自由をしいている「我が国の体制批判」は、今回は「歴史と政府と性暴力と事実認識」より優先されるのはしかたないのではないのか。
そもそも深津氏があげた題材で、日本が世界全体で抑圧している表現と比べて、それほど抑圧されている表現があるのだろうか。なぜ具体的な表現を示さず、Wikipediaの項目へリンクするだけなのか。

上記で批判したように、そもそも「ライダイハン像」は「表現の不自由」にふくまれる表現なのか、という疑問もある。
たとえば「平和の少女像」の作者はベトナム戦争の現地犠牲者を悼む記念碑を韓国に建立しているし、元慰安婦やその支援団体はベトナム戦争遺児のため基金を設立した。
「ベトナムピエタ」像、済州に建設される : 政治•社会 : hankyoreh japan

ベトナムピエタは、ベトナム戦争当時、韓国軍による民間人虐殺犠牲者の母親と無念の死を遂げた名もない赤ちゃんたちの魂を慰めるため、「平和の少女像」を作った作家のキム・ソギョン、キム・ウンギョン氏夫妻が製作した。

慰安婦被害ハルモニ ベトナム戦争性暴行被害者 助ける : 政治•社会 : hankyoreh japan

挺対協は、日本軍慰安婦被害者の金福童(キム・ボクトン)ハルモニ(87)、吉元玉(キル・ウォンオク)ハルモニ(84)の意思により、ベトナム戦当時、派兵した韓国軍による性暴行で生まれたルオン氏とキム氏を助けることになったと明らかにした。

さらに、女性芸術家の組織「GEDOK」による展覧会「TOYS ARE US」で、少女像に対して日本政府が抗議におとずれたというユミソン氏の証言がある。

あくまで想像だが、日本軍慰安所問題と比べて、あまり韓国軍の性暴力が表立って問われないため*3、反動としての韓国側の反発も少ないのかもしれない。日本において、731部隊人体実験の否定論があまり語られないことと同じように。
理由はいずれにしても、日本政府が国内外で記念碑建立を妨害しているのと同じくらいに「ライダイハン像」が抑圧されているという観念は、願望と現実を混同していないだろうか。
先に引用したユミソン氏のツイートで、戦時下の女性という題材を「もちろん韓国軍の蛮行を含む」と説明しているのに、tanuki34471661氏が「じゃーライダイハンもやれや」とリプライしたことも象徴的だ。

まだ救いがあったことに、tanuki34471661氏はakaimujina氏の指摘によって見解を修正していき、最終的に先入観をもっていたことまで認めて謝罪するにいたった。

きちんと注目していることを注目していないかのような先入観で非難することも、「そっちこそどうなんだ主義」が詭弁となる局面のひとつだ。
そのような先入観による非難が大勢をしめると、その先入観を新たに植えつけられる人も出てきて、広がりをもって増えていく。


きちんと注目していることを注目していないかのような先入観で非難されているのは、日本軍慰安所制度だけではない。
たとえば、性表現が展示されていないというツイートが初期に注目されていた。これは「そっちこそどうなんだ主義」ではなく、あくまで興味深いという推測にとどめているが、事実誤認ではあるだろう。

実際には、「表現の不自由展・その後」は限られたスペースにあらゆる作品の実物を展示するかわりに、2000年以降の日本で美術に限らない表現が不自由をしいられた年表があり、性表現も多数記載されていた。

また、主人公の過去設定や作者の差別発言*4などが注目され、小説のいったんの出荷停止*5およびアニメ化展開中止があった『二度目の人生を異世界で』を、展示すべきだったという意見もある。

しかし、公権力による介入や具体的な脅迫などなくても、やはり実際の年表には掲載されていたことが2018年6月を確認すればわかる。


年表にさまざまな不自由が掲載されているという指摘を受けて、なおも多くの欠落があるという反論もある。特に右派が弾圧された事例が少ないという主張が目立つようだ。
表現の不自由展の年表に書き記されなかったもの - Togetter
たしかに、2016年3月に作品が中国政府によって輸出不許可とされたような、左派が批判するような事例が目立つかもしれない。日本では保守的な政権が長い以上、表現を公権力が抑圧するような事例で左派が弾圧する機会は少なく、収録されないのは原理的にしかたないだろう*6
しかし年表を読んでいけば、すでに指摘されている船橋市図書館の図書廃棄事件もあるし、2015年10月の鳥肌実による大学講演が中止されたような事例もある。


そもそも年表でもスペースが限られている以上、あらゆる事件をのせることはできない。
たとえば百田尚樹氏の講演中止がないのに2017年6月の香山リカ氏の講演中止があることへの批判を見かけたが、2018年にも講演中止があったことは記載されていない*7

激しい抗議運動といえば、2010年の反捕鯨ドキュメンタリー『ザ・コーヴ』や*8、2013年の従軍慰安婦漫画『恨の足跡』への在特会の抗議*9なども掲載されていない。
歴史学的な表現が攻撃された事例として、2009年の『NHKスペシャル』の「人間動物園」表記や*10、2013年の大河ドラマ平清盛』の「王家」表記*11なども見当たらない。
サブカルチャーも少なからず年表に記載されているが、あくまで表現の自由にとどまる抗議は除外されているとして、人種差別的な誹謗中傷や暴力的な脅迫もまた必ず収録されているわけではない。
2012年から同人誌イベントを委縮させた黒子のバスケ脅迫事件もないし*12、同時期に『さくら荘のペットな彼女』に韓国料理が登場したことへ抗議が殺到してスタッフが委縮をしいられた記述もない*13。2014年にお笑いコンビの8.6秒バズーカが攻撃された事例もない*14
抗議や攻撃とは離れた不自由の問題として、2015年の『おそ松さん』で第1話などが過剰なパロディとして封印されたことも、おそらく『ぱすてるメモリーズ』第2話の封印*15につながっているのに、やはり未掲載である。
念のため、個々人が年表への掲載を要望するまでは自由な権利であるし、年表の傾向などを評価するのも自由だろう。しかし、あらゆる事例が掲載されないことだけをもって批判するのは、不当な非難でしかない。これもまた「そっちこそどうなんだ主義」だ。

*1:この指摘そのものが「そっちこそどうなんだ主義」に陥らないよう注意は必要だろう。

*2:はてなアカウントはid:fladdict

*3:そもそもベトナム戦争における韓国は、あくまで米国に追随して参戦した立場だ。軍隊を送りこんでこそいないが、日本も同じ立場にある。第二次世界大戦時の、主体的かつ積極的に他国へ進攻した日本と比べて、国際的な批判が優先されないのは当然ではないだろうか。

*4:商業化およびTVアニメ化までされるWEB小説『二度目の人生を異世界で』の作者が、ありふれた保守的思想をたれながしていた件について - 法華狼の日記

*5:絶版や回収ではない。

*6:さらにいえば、基本的に中道左派政権ほど表現の自由を重視して、弾圧に抑制的という傾向もあるという。たとえば『ホラー映画クロニクル (扶桑社ムック)』によると、イタリア映画界でジャーロが興隆したのも中道左派政権時代だとか。

*7:香山リカさんの講演会中止 妨害ほのめかす電話:朝日新聞デジタル

*8:西村修平氏による街宣活動などがあった。西村修平氏は典型的な転向左翼としか感じられない - 法華狼の日記

*9:在特会、「ぶんか社」を攻撃。慰安婦マンガは反日プロパガンダだと謝罪要求 - 薔薇、または陽だまりの猫

*10:「人間動物園」で踊る「黒いヴィーナス」が踊る - 法華狼の日記

*11:「運動団体や資料館に爆破予告をすると面白くなりそう」と語っていた人物が、「娯楽作品の表現や内容を制約」を「PC」がおこなう光景しか観測していない不思議 - 法華狼の日記

*12:「黒子のバスケ」脅迫事件はなぜ深刻な問題なのか? | 連載コラム | 情報・知識&オピニオン imidas - イミダス

*13:『さくら荘のペットな彼女』サムゲタン選択的批判という問題 - 法華狼の日記

*14:反日疑惑でクレーム殺到、“テレビに出ちゃいけない芸人”に…「8.6秒バズーカー」が語るデマの“真実と悪夢” | AbemaTIMES

*15:【重要なお知らせ】|ニュース|TVアニメ「ぱすてるメモリーズ」[ぱすメモ]公式サイト

『スター☆トゥインクルプリキュア』第27話 海の星!人魚になってスーイスイ☆

惑星サマーンへの旅はつづく。今回は前回に出会ったヤンヤンの故郷、プルルン星へやってきた。
全体が水でおおわれたプルルン星に突入した宇宙船で、星奈は外で泳いでみたいといいはじめる……


特に大きなイベント回ではないが、高橋晃キャラデザインの作画監督回。原画にもスタジオダブの面子がそろっている。アイテムを使って人魚へ変身する時、わざわざバンク*1のような特別な演出と作画を、ひとりひとりに用意しているのが楽しい。
その代わりなのか、プルンスが奮闘する水面に突入する映像を使いまわして、省力しつつ、くりかえしギャグとして楽しませてくれた。宇宙船の窓を使ってプルンスを星奈たちが無視する2画面ワイプ的な演出や、プルルン星に突入する時の横からくる水面など、今回の演出は小技が効いている。


物語の本筋は、故郷を救うために周囲を騙したユニと、それゆえ罰を受けるように騙されていたアイワーンの衝突。
自分が傷つけられたからといって他人を傷つけていいのかと叫ぶアイワーンは、もちろん最初に傷つけた側の身勝手な主張ではあるが、過去のプリキュアにはないユニのキャラクターをドラマの論点にすえる良さがある。身勝手だからこそ幼さを感じさせ、それが無垢な印象を生み、ひいてはバケニャーンに対する信頼は本物だったようにも感じさせる。
対するユニはうまい反論ができないが、変われるのは良いことだという星奈のフォローで救われる。物語のプロットとしてプルルン星の水遊びは本筋と関係ないのだが、そこで使った変身アイテムを反論につなげたことに感心。さすがに充分な反論とまでは感じなかったが、アイワーンとの再戦は予定されているし、今後さらに深く描いていくことを期待したい。
細かい技の切れ味に、今回は村山功脚本かと思ったが、広田光毅だった。もちろん演出で改変されている可能性はあるが、こういう脚本も書けるのかと少し驚く。

*1:変身や必殺技などの、何度も使いまわすことを前提とした映像のことで、だからこそ見ばえするよう力を入れることが多い。

ストーカーのような漫画を連載している漫画家のツイートをメモ

絵によるエンパワメント。

ストーカー*1のような映画漫画のほうは、最近ちゃんと面白くなってて毎回のコンセプトも凝っていて、最初のコンセプトがブレてない?と思ってる。
おやすみシェヘラザード | やわらかスピリッツ
モチーフにした映画の構造を漫画で再現するのは第2巻収録の『お嬢さん』等でやっているとはいえ、いま公開中の『イノセンス』ほどにコンセプチュアルなエピソードが出てくるとは思わなかった。

*1:主人公とサブキャラの立ち位置と、眠くなることのダブルミーニング